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自滅の一手

2019.01.24

本番まで 10日 初日不算入本番の日まで

🔵自滅の一手
 

 迷った結果の魔の手、自滅の手を選んでしまうのは何故?
 人は、何故か、重要な選択を迫られるとき、その選択は二者択一がほとんどなのだが、自滅の選択肢を選んでしまう。このときはたらく心理とはどういうものなのであろうか。
 囲碁の井山名人は、強い相手、それは中国のトップ棋士と対したとき、どこを打っても負ける錯覚に襲われた、という。
 「相手の手がいい手に見えていたら負け」。井山名人の言葉である。これなどは、自分よりも相手の方が数段上と認めている心理である。
 名人は、「負けられないと気負う」、自分の心理を分析する。これも相手が自分より強いということを認めた上で、なに自分だって日本のトップだ、負けられない、と気負うわけである。気負うという言葉は、そのような「気」を負う、つまり重い気、負担になる気、重いから体が自由に動かない、という気である。
 私たちの精神は、気という負荷で、身動きが取れなくなる、そのようにできている。
 井山名人は、相手に気圧されたのは、「自分を信じきれないから」と結論づけた。「誰が何を言おうと自分を信じる力」が大切だったと気づいたという。
3.11の地震のとき、津波の襲来までの間、止まるか、逃げるか、の選択を迫られた人たちの多くは、止まる道を選んだという。この心理を科学的に説明したのが、正当性バイアスという心理偏向である。人は想定外の事態でも日常性に取り込むことによって、心の安寧を保とうとする。日常性というのは、人間にとって、普通の事態であり、当たり前のように決まりきった行動をすればそれで何の禍もなく終わるエリアである。
 だから異常な事態も日常性の中に取り込めば異常ではなくなる。これはもちろんバイアスをかける心理である。バイアスというのは、偏りである。偏向である。実は、人間というのは、誰もがこのバイアスを持ち合わせていて、さまざまな異常を日常性に取り込むということで精神的な平和を保つということをやっている。

 わたしは、人の価値観などというものも、つまるところバイアスによる正当化なのであろうと考えている。
 ただこのバイアスがかかった心理というのは、迷いはない。そのことは、新興宗教の信者を見ればわかる。
 私たちが、迷う、迷った挙句に選んだ選択肢が、自滅の道になるのは、何故なのか。
 わたしはかつて司法試験を受けたことがある。短答式試験は、五肢択一式である。わたしは二肢まで絞って、よく間違った方を選んだ。迷うと、間違った方を選ぶというのは、本当である。
人は自滅肢を選ぶ。破滅を本能的な選ぶ。
 これは、生存本能から見ておかしい。
 いったいどうしたことなのか?
 気の迷いという。このとき、気が動く、とんでもない方向に気が動く。もう論理も何もない。勝手に手が動く。何かに駆られたように、最悪の肢を選ぶ。
 わからないものに対する恐怖心から、遠くへ逃げたい、だから飛ぶのか。思わぬ方向、とにかく予想もしない方向に飛ぶ。

 これはもう本能だ。本能が破滅を選んでいるとしか思えない。

 本能の赴くままに手を動かしてはいけない、これが教訓か。
 ブレのない判断の軸、それは、客観的事実をのみ、バイアスから完全にフリーにして、考量して、結論を導く、それこそが、自分を信じる、ということではないか。
 私たちは、外野の声に、動かされる。正当な判断を曲げられる。自分以外の声に動かされる。外野の声は、物理的な周りの声ばかりではない。自分の中にこそ外野の声が喧しい。そういう声に耳を傾けては、だめだ。
 真の自分の考えが、雑音に消される。
 井山名人は、中国の強豪棋士を恐れた。その恐れが、井山名人の真実の声を黙らせた。雑音が脳内を席巻した。相手の手がいい手に見えた。つまり「見えた」という五感までもが、自分の真の声を否定する。「見えた」のは、自分の手に自信がないことの裏返し、いや、自分を否定するから。

 人間が、判断を誤るのは、恐怖から逃げようとするあまり、論理ではなく、感覚で、選択するからである。

 人間には、様々な欲が、正しい判断を歪めるという、最初から、誤判断の宿命がある。
 台風を押して家族が小型船で沖に出る。これは何か月も前からカネ払って予約したこと、しかも会社の休みも何か月も前から取って計画してきたという事情がある。そこまでしたのにあきらめることはできない、そういう判断が勝つ。自分の真実の声は、一瞬で否定される。

 真実の声に耳を傾けること、そういう行動基準を自分の中に確立すること、これが、大切なことは言うまでもない。

 7回解き直しの真の意味
 7回解き直しは何のためにするのか。ただに受験のための方法と考えてはならない。それは、雑音を遮断して、自分の真実の声と会話するため、である。
 真実の声は、弱い。すぐに、様々な正当性を掲げる雑音にかき消される、踏み潰される。
 真実の声は、一瞬に吹き飛ばされるほどに弱い存在なのである。
 世の中に蔓延るのは、偽物。偽物ほど声を大にしてその正当性を訴えかける。

 何故7回なのか
 3回では何故だめなのか。それは、自分の真実の声と話すための回路、道筋を作るためだからです。雑音が邪魔しないように、真実の声と常に連携を取るためです。
 あなたたちが無心に7回解き直しをすることが、あなたたちの中に巣食う雑音を排除し、あなたたちの心にひっそりとかすかに棲む、真実の声に手を差し伸べるからです。あなたたちは、7回解き直す過程の中から、自分の真実の声に耳を傾け、理解するために真摯に向き合うはずです。それが、自分に自信を持つ、ということなのです。

 がんばれ、竹の会の受験生、受検生‼️

 自分の真実の声を見つけて、自分の真実の声を大切にしてあげてほしい❗️

 私があなたたちに贈る、わたしからの最後の言葉です‼️

桜吹雪 

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