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英語が、弱い生徒は、どこを受けても受からない!

2021.03.12

 

◎英語が、弱い生徒は、どこを受けても受からない!
 まず、受験は、英語を極めることである。英語が、取れないというのは、得点の計算ができないということである。合格の見通しが立てられない、そういうことです。
 英語を極めることが、受験成功の鍵となる! 
 これは、数学で点が取れる場合に、現実味を帯びてくる。数学で100点取っても、英語が、70点では合格の計算ができない。英語ができる奴はうようよいるからだ。英語には、地頭は、関係ない。慣れた奴が勝ちである。好きになった奴が勝ちである。単語を覚えた奴が勝ちというところがある。スラスラと覚えられる人間がいる。そしてスラスラと覚えられる人間はどんどん英語の力をつけていける。アメリカの小学生がペラペラ英語を喋ってもだからといって特に頭がいいわけではないのは当たり前で、要は、慣れることである。
 私立は、もちろん都立も、英語は、取れて当たり前というぐらいに仕上げておかないと、得点の計算はできない。
 直前に英語が伸びないという事態
 中3の入試直前の模試で英語が伸び悩む生徒について
 英文解釈をやりこんでいないからだ。時間が許す限り、英文を訳すことだ。英語五文型の理論で英文を分析できるようにならなければだめだ。
 英文解釈とは、英語五文型による、英文の骨格、構造の解明にほかならない。中3文法を一通り終えたら、五文型について、じっくり学ぶことである。英文解釈は、英語五文型理論、すなわち英文の一つ一つについて、文型を確定し、文型に見合った訳をつけることである。
 ※英語五文型
 SV
 SVC
 SVO
 SVOO
 SVOC
 S 主語 V 動詞 O 目的語 C 補語
 英文というのは、この4つの要素の組み合わせで、成り立っている。だから、英文を読むとき、まず、主語を確認する。それからそれを受ける動詞を探す。この動詞には、五種類ある。目的語を取るか取らないかで、自動詞と他動詞に分かれる。目的語を一つ取るか、二つ取るか、でまた分かれる。二つとは、人と物を目的語とする場合である。補語というのは、主語ないし目的語の意味を補う、補充する詞(ことば)である。つまり、主語=補語、目的語=補語、の関係にある。
補語になれるのは、名詞と形容詞だけである。ここで、品詞の働きが大切になる。
 実は、英語では、前置詞という品詞の働きが、大切である。前置詞とは、名詞の前に置いて、つまり、前置詞+名詞 のセットで、句を作る働きがある。句には、形容詞句と副詞句がある。副詞も品詞の一つである。形容詞には、二つの使い方がある。補語として使う場合と名詞を修飾する使い方である。副詞というのは、主に、動詞を修飾する働きをする。これを動詞に「かかる」という。名詞を修飾することを名詞に「かかる」という。
 語れば尽きないが、五文型思考とは、都合上のような分析をすることを言う。ところで、五文型思考に適した辞書が、研究社の新英和中辞典というわけである。竹の会では、これか、姉妹編のライトハウスという辞書を薦めている。

 英語の実力をつけるというのは、文法を学び、五文型の理解を修得すること、もって良質の英文を訳す練習を積むことである。
 
  
編集後記

もうすぐ春! 
 春になると、父、母のことを思い出す! 父さん、母さん、今年も受検が終わり、3月になりました。もうすぐ春です。桜の季節が来てもあなたたちは、もう桜に心を躍らせることもできないのですね。
 もう苦悩することは何もない。病気で苦しむこともない。母は、遠く離れた私のことばかり心配していたが、もうそういう気苦労することもない。この世の煩悩から解き放たれて、自由になったのだから。
 
 生きるということは、さまざまなストレスに身を削られながら、心身を消耗することなのだと知らされました。それが病気をもたらす、大きな原因の一つに違いないと思います。
 母の最後の希みは、もう少し生かして欲しいということだった。あと二年、いや一年だけでいい、と何度も言った。あちこちの身体の不調に堪えながら、それでも母は、子どもや孫を見ながら、暮らしたい、と願った。しかし、神様は、その願いを受け入れることはなかった。
 あなたが、この世を去って、早15年が経ちました。母が他界して12年後父もこの世を去りました。何度も何度も手術を繰り返し、「もうだめじゃ」と呟いた父。息を引き取る前の日、「上へ行く、上へ行く」と言ったそうだ。弟の嫁は慌てて、「お父さん、待ってください。○○さん(弟)を呼んで来ますから」と上へ行くのを引き留めた、とのこと。前日は、弟家族に囲まれて、弟嫁の語るこれまでの思い出話しを黙って聞いていたという。脳梗塞で口も利けなかった。父は安らかに微笑んでいたと言う。翌日父は静かに息を引き取った。
「父さん、お疲れ様でした」
 わたしは涙にくれて、素直にそう語りかけました。
 もうあちこちが痛いと苦しむこともない。子どもが病気で苦しんでも、子どもが社会で苦労しても、気を悩まして悲しむこともない。あれこれと頭を悩ます日常の些事からも解放される。
 生きるということは、そうした苦しみの中で心の通い合う人たちとの交流、思い、心配してくれる家族との支え合い、思い遣り、そういう世界に身を置くということ。そういうものが、人生の喜びであり、幸せであることを知っています。しかし、それでも私たち子どものことで心配を重ねてきた父と母を思うとき、「お疲れ様でした」、「もうこの世の苦悩からはようやく解放されますね」と話しかけるしかないのです、
 もう災難、事故、事件に遭うこともない。母が重い病気で手術したとき、心がは張り裂けそうでした。それでも手術で助かる可能性があるということがどんなに素晴らしいことに思えたことか、わかりました。母が、白血病に罹り、余命一週間と知らされたときは、この世の理不尽を嘆きました。父が、「もうだめじゃー、治らん」と言ったとき、胸を締め付けられるようでした。なんとも言えない胸苦しさが私を襲いました。私は堪えました。胆管癌、胆管を何度も取り換えた。一度取り換えても一週間で管が詰まる、その度に痛い思いをして取り換える。こんなことがいつまで続くわけがない。わたしはその時はがやがて来ることを覚悟しました。家族のみんなも同じ思いだったでしょう。時間の問題だとわかっていましたが、それでも父の息が少しでも続くことを祈らなかったことはありません。父を慈しむように見つめる、だけでした。
 母の死顔も、父の死顔も、長い人生を必死に生きてきて、ようやく訪れた、安らぎの時、しかし、この世に、未練を遺し、無念さを滲ませていた、そう見えました。
 それは、別れの辛さ、もう二度と会えない、今生の別れ、戻ることのない、別れの定めに、半ば諦めるしかない思いが滲んでいました。
 弟家族に囲まれて、支えられて、幸せな二十数年でした。私たち東京の家族と大分に住む姉の家族が集まる盆、正月は、もう二度とは戻らない、幸せな時間でした。
 でもそんな日はそんなに長く続きませんでした。
 母は、長男の就職が決まったことも、次男が大学に合格したことも、国家試験に合格したことも、知らないで、この世を去りました。生きていたら、どんなに喜んだことか。
 私が、病気で苦しんでいると知ったら、どれだけ心配したことか。わたしが、入院したと知ったら、手術をしたと知ったら、どんなに心配しただろうか。母さん、父さん、もうそんな苦悩からも解放されますよ。親はいつまでも子を思い、私たち子どもは、いつも親を思ってきました。思いやる親がいない、こんな寂しいことはありません。
 母さん、父さん、
 あれからこんなことがあったんだよ、あんなことがあったのだよ。報告したいことは山ほどあります。あなたたちが、どんなに喜ぶか、私には目に見えるようです。生きてるということは、そういうことだったのですね。
 残された私たちは、いつもあなたたちのことを思い涙を流しています。しかし、あなたたちは、もう涙を流すこともない・・・
 

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