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誤った英語勉強法の流布/そもそも勉強とは何なのか/トップ都立高校に合格するには/そもそも適性問題とは

2017.05.09

 5月の連休が終わりました。6年生はどう過ごしたのか。勉強とそれ以外に分かれたようです。あと5月、6月、7月、8月です。それほど時間があるわけではありません。28年の夏は1日7時間の勉強をしたのは2名のみで、その2名がそれぞれ小石川と九段に合格しました。4時間弱、しない日もある、そういう人たちの中の2名が富士と白鷗に合格者しました。わたしは子どもたちに「夏は7時間以上の勉強を」と常々に言っておりますが、これを実行するのは実は難しい。合格する人は勉強している。勉強しなければ合格できなくてもしかたない。2学期に頑張るのはあたりまえです。本番で力になるのは夏に長時間を乗り切ったという経験です。夏だらだら過ごして合格するほど甘くはない。いくら知能が高くてもそうです。それは培われるべきものが培われていないからです。

 「うちの子は勉強のしかたがわからないからできない」という母親がよくいた。頭が悪いだけでしょ、とツッコミたくなるけれど、昔はもやもやしながら聞いていた。勉強のしかたがわからないという子はだからということなのか、勉強をしていない。勉強していないからできないのでしょ、とまたツッコミたくなる。

 今のように音声装置もない、まともな辞書もない、さまざまな出版物もない、予備校もない、学校もない、そういう明治の時代に現代人の及びもつかない英語力、教養を身につけた人たちがいる。そのような博覧強記の人の中の一人、南方熊楠(みなみかたくまぐす)の勉強は学ぶところが大きい。

 「幼少より学問を好み、書籍を求めて八、九歳のころより二十町、三十町も走りありき借覧し、ことごとく記憶し帰り、反古紙に写し出し、くりかえし読」んだ、と自ら語っている。

 書籍というものは今のようにない。だから遠くまででかけて行きそこで借りて読み、そのときに覚えて帰る、おそらく帰り道なんども思い出しながら帰っていたのであろう、英文なんかもみな覚えて帰ったという、そして家に帰ると、紙に想い出しながら写し出したのである。それからそれをくりかえし読んだのである。

 熊楠はなんと当時の百科事典「和漢三才図会」105巻をはじめ、「本草綱目」、「諸国名所図会」、「大和本草」などを十代前半にすべて「書写」している。

 ここに勉強とは何か、が見事に語られている。見ながら、読みながら「写す」からアホになるのだ。まず記憶してそれを想い出しながら写し取る、のである。ノートに正確に写しとることばかりに気を取られて、何も覚えていない、それでは頭を使ったことにはならない。だからできないのだ。勉強というのは、まず覚える。そして何も見ないで想い出しながら写しとる、のである。熊楠には本を買うカネもなかったし(もっとも実家は裕福である)、本は希少物でどこそこにあるというものではなかったから覚えるしかなかった。それしか方法がなかったのだ。彼は記憶して想い出し写す、という頭のはたらきを徹底して幼少期から訓練したのである。彼の英語の論文は30編以上が英国のネイチャー誌に掲載されている。英語の達人である。百科事典を書写するというのは集中力の鍛錬であり、文字の訓練であったにちがいない。なによりも幼少より学問を好んだ、ということである。今の親は幼少より習い事、稽古事、早期英語やらと忙しいがなにかちがうのではないか。とにかくまず子どもに書写をやらせる親は皆無であろう。見ながら写させるのでは訓練にはならない。見たら想い出しながら写し取る、この訓練をしなければならない。そして写したら繰り返し読むのである。

 中1の最初は英語の単語を覚える。500語は覚える。このとき見ながら書くから覚えないのである。見たら想い出す、想い出すとは、写し取ること、そして書いたら繰り返し読む。単語が覚えられないからZ会の本を使って覚えるという中1がいたけれど、単語を一語も知らなくて英文で覚えるの? そもそも単語を覚えるというのは、勉強の訓練、頭の工事をやっているのであって、考え違いも甚だしい。社会だって、理科だって、同じことだ。それからノートにまとめるのもいいけれど、それよりもまず読んで、記憶して、写し取る、ということをやったらどうなのですか。書写をやるのだ、記憶して写し取る、訓練のためだ。

 もう一度言おう。勉強するとは、書写することだ。書写とは、記憶したものを写し取ることだ。見ながら写すのでは頭の訓練にならない。英文もまず記憶してから写すのだ。

 そして1回記憶したら10回想い出せ、繰り返し10回読め。

 記憶と想起と繰り返し。これが勉強のしかただ。

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