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過去問合格法の時代

2022.11.25

過去問合格法の時代
 竹の会は、昭和60年10月開設、昭和62年2月初めて高校入試を戦いました。なにしろテキストも何も持たなかった中での初の受験でした。私はこの時から過去問だけで戦ってきました。私には過去問しかなかったのです。過去問は自分で実際に解きました。例えば、開成高校なら過去10年分を売っていましたから、そういうものを買って解いたのです。都立の過去問も同じでした。何年か経つと、首都圏の過去問ならほとんど解いていました。さらに過去問は毎年出ますから10年も経つと一つの高校で20年近く解いた勘定になる。過去問は最初学参のものを使っていましたが、後に声の教育社のものになりました。さらにコピーのしやすいプリント形式のものも使うようになりました。
 過去問はどう利用するかと言うと、例えば、「2次関数の問題」なら、どこそこの過去問を使う、という使い方です。難関私立の問題を解かせて解法を考える、ということもやりました。総花的な問題ばかりを扱う高校の問題は点検に使えました。わたしにはどこの高校の問題はどういうものだということがすべてわかっていましたから、その子の実力から測って問題を選び、練習させるということはよくやりました。
 過去問合格法というのは、決して、志望校の過去問を練習して備えておくというものではありません。そういうことはよく一般のみなさんがやることですが、それは、過去問と同じ問題、似た問題が出ると思い込み、偏見と思い込みが、柔軟な頭のはたらきを阻害し、現場で考えて解くという姿勢は失われ、覚えてきたことを思い出す、それで頭はフルになる、そのような弊害のあるものです。
 竹の会の過去問合格法は、私の過去問研究の結果、導き出された道筋を子どもたちに示してやる、道を示す、ものである。子どもたちは、過去問を考え、確かな一つの道を見つける、一つ一つの道を確かなものとして、思考という証しを積み重ねていく、のです。
 竹の会は、過去問合格法によって実績を積み上げてきた。
 竹の会のレジュメ指導は、過去問合格法の集大成というものであった、私は、経験と勘を文書という一つ形にすることを試みた。レジュメ化という未知の新しい方法、わたしが、そういう道を選んだのは、理由があった。ある数式ソフトとの出会いである。数式が自由に書ける、作図が簡単にできる、これはわたしには夢のソフトであった。大手のテキスト以上のことができる。わたしの胸は躍った。しかし、このソフトを完全に使いこなすまでに、一年を要した。最初は投げ出していたソフトにようやく手をつけたのは、高校入試数学体系のレジュメ化を志した時だった。当時オリジナルテキストが、窮屈になったこともあり、私はこれまで書き溜めた資料を総レジュメ化することを考えた。たまたま熱心な中1女子がいたのでその子のためにと着手した。平成17年のことだった、完成までに2年を要した。平成19年は、入試問題解説に取り組んだ。こうして平成20年、豊島岡女子学園高等学校都立西に彼女は私のレジュメだけで合格を果たした。同年男子が、立教新座桐蔭理数に合格、彼もレジュメ世代だった。後に東大合格した子だ。この時に竹の会の高校入試のレジュメ体系は完成した。さらに、私がこのソフトにかけることになるのは、入会試験の制作がきっかけだった。平成24年のことだった。それまでも今の算数の原型となるレジュメ制作は手がけてきたのだが、平成24年の年頭、私は入会試験の実施を決意し、そのための試験案を作ることになった。作り始めてみると、細かな図にこだわり微に入り細に入りまるで芸術作品を作るかのような感覚に囚われて制作している自分がいた。入会試験を作るはずが、それがシリーズとなって、次から次に作品を生み出していった。このソフトはどんな複雑な数式も可能だった。作図機能は優れて彩色も自由だった。好きなところに好きなポイントで文字も打ち込めた。私はかつて夢に見た、大手のような自分で思い描いたように作れる教材を作れるようになったのだ。好きなところに自由自在の発想で思い浮かんだ図を挿入する、好きなだけオリジナルの説明ができる、今や私の想い描いたとおりの教材をつくれるようなったのだ。竹の会のコペルニクス的転回と言っていい。この時から竹の会は独自の道を歩むことができたのだ。私の想いは次から次に既成の、古い思い込みを打ち砕いていった。算数の解説に燃えた日々、麻布、開成、早稲田中学の問題解説に没頭した日々。難問の解説を作ることに燃えた日々であった。鞄の中にはいつも声の教育社の過去問があった。旅先でもどこでもいつも過去問を開いていい解法を思案した。
 毎日が、私には夢の実現の日だった。毎日が、完成した芸術作品に自ら感動し、幸せを実感する日だった。わたしの作品を楽しみにしてくれる子どもたち、この一つの作品で子どもたちは充実した竹の会の時間を過ごし、その顔はいつも喜びに満ちてた。
 少ないレジュメでどうしてあれほど確実に合格できたのか、今なら「わかる」気がする。
 今ほどレジュメの種類も量も少なかった時代に、なぜあれだけ合格できたのか、子どもたちは、できたばかりのレジュメを大切に解いてくれた、一つ終えたらそれだけで子どもたちが確実に前に進んでる、それを実感した。

 ※平成27年桜修館合格の女子(去年早稲田大学進学)の体験記 

  阿部先生、こんにちは、お久しぶりです。○○です。お元気ですか?私はとても元気です。桜修館では、毎日楽しい日々を送っています。入学してからすぐに友達ができ、沢山の友達と仲良く過ごせています。先生や先輩も面白い方ばかりです。学校に行くのが本当に楽しいです。クラスの友達はすごく明るくて、みんなを笑わせてくれる友達も多く、4クラスある中の一番笑顔が溢れているクラスだと思います。授業中も先生がすごく盛り上げてくださるので、楽しく学べます。こういう生活を送れるのも、私が桜修館に受かるように指導してくださった阿部先生のおかげです。本当に有難うございました。竹の会にいれたことは、私にとって一生の宝物です。心から感謝しています。(中略)私がここまで頑張れたのも、ここまで点数がとれたのも、全部阿部先生の支えと、レジュメのおかげです。受検日に風邪をひきながらもやり切れたのも、竹の会の神様がそばにいてくださったからだと思います。本当にありがとうございました。それから、よければ6年生に伝えてもらえますか。受検に合格する秘訣は、ただ先生を信じて、出してもらえるレジュメをやりきる、ただそれだけです。2月といえばまだまだ先のように思いますが、意外とすぐきます。毎日コツコツと頑張ってください。あとは、風邪を受験の時にひかないようにしてください。かなりつらいです。そして竹の会の神様を信じてください。以上です。長くなりました。それでは、いつまでもお元気で。

 毎日が、アイデアに満ちた日々、レジュメを作ることをこれほど幸せと感じたことはなかった。アイデアを求めて、過去問を隅から隅まで読んでいく。ふと見つけた斬新な切り口、見逃しそうなあたりまえの問題、私はその度に宝物を拾ったような感覚に囚われた。喜び勇んで問題を解読し、レジュメにする。解説はわたしの腕の見せ所、普通の思考、あたりまえの考えで解ける解法にこだわった。一つ一つ作品を仕上げる日々。
 国語をこのソフトで作ったら、どうなるのかな、ある日ふと考えた。
 蘇った高校入試魂‼️
 私の本当の幸せ、それは高校入試を指導する時。それはいつも私の心の深奥に息吹いていた。いつか、難関校で勝負したい、開成高校、そんなところを受けるという子は竹の会に来るのだろうか。開成ならサピックスなのかな、Z会なのかな、そんな子は竹の会には来ないかな。
 3年前小石川に落ちた子がいた。誰もが受かると思っていた。これから高校入試を竹の会で見る、そんなことは考えてもなかった。でも親子で竹の会で受験を、やりたいと言ってきた。あの時は、小石川の思いを高校入試で倍返ししてやればいい、そんなことを考えていた。高校入試は何をすればいいか最初からわかっている。
 私は最初から開成を考えていたわけではない。日比谷でもいいかな、ぐらいしか考えていなかった。
 それでも前倒しに早めの手を施してきた。中2の夏には、中3のレジュメは終わらせた。中2の2学期、駿台模試に照準を定めた。私はそのための手を小気味よく打っていった。単語、英作文、英文解釈、秘蔵の数学レジュメ、私は気になることはすべて手を入れた。過去の模試を使って丁寧に検証を重ねた。弱いところを見つけるとすぐ対応を考えた。筑駒も開成も国語は記述のみの出題である。選択肢問題などない。全て記述である。だからその対策にはもちろん腐心した。会心の策を講じた。英語だって、英作文は、高度なレベルが求められる。唯一苦労しなかったのは、数学だろう。竹の会の数学は開成、筑駒の上を行っていた。
 私は、「〇〇、駿台模試で、一番をとってこい!!  全国一番だ‼️」、「おまえは、既に大手の天才たちを遥かに凌ぐ実力をつけている」「サピックスでもZ会でももはや敵はいない」、私は正直に思ったことを口にした‼️
 〇〇は、本当に1番を取ってきた‼️  慶應志木1番、早稲田高等学院1番、書いたところはすべて1番だった、日比谷志望者中1番、開成高校1番、筑駒高校1番!! 

 わたしは、更なる一手を思案した。指導に終わりはない。私は本番で合格を勝ち取るまで気を抜かない!!   細心の注意を持って弱点を探し、綻びをみつけたら手を施した。家の神棚には、渋教幕張、開成、筑駒の受験番号を捧げた、本番が恙無く終わること、平穏に受験ができること、そのことのみを祈った。もう実力はあるのだから、変な理由で受験できないなんて、そればかりを心配した。幕張は、特別特待生合格開成が無事終わり、筑駒も無事受験を終えた。私はこのコロナ時期、何のトラブルもなく受験できたことに神様に感謝した。開成突破筑駒40人枠突破。終わった。私の戦いは終わった。わたしはようやく安息の日を迎えられるのか。思えば、長い戦いの日々であった。竹の会の、私の最後の仕事だった。
 私は、高校入試を心ゆくまで戦えたことに、心は満ち足りていた。ホッと肩の力が抜けて、体が軽くなったような、ようやく心から力が、抜けて優しく景色を観る余裕ができた。
 〇〇、よく頑張ったな!!
 「これ1週間で終わらせられるか」、よく新しい問題集を渡して、期限を切ったな。「なんとかやってみます」、小さな声だった。しかし、力強い意志を感じとった。検証と処方、一週間のリズムで、私は見直しをし、また次の一手を腐心した。毎朝数学1問、長文音読1。国語音読1は欠かすな!! 、最後まで気を抜かなかった。
 

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