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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立の雄、日比谷・西に入るということの意味/都立小石川、桜修館という基礎訓練/不合理なバイアスと負の選択/大手塾を支えるバカ親子

2016.05.12

 おはようございます。ようやく一息つきました。なにしろ提出される課題のチェックだけで3時間ほどかかってしまいました。添削は明日やるつもりです。小4の子には負担かなと思っていますが、慎重に負荷をかけてようすを観察することにしました。小5にとってもかなりの負荷となるかと思います。今は完璧な答案など期待してもなく、こういうレベルの諸問題に悩んでほしいと思っています。

 ※現在配付中の課題レジュメ(主要なもののみ)

  「資料の観察」「教養のための理科」「四字熟語」「読解百選」「天声人語質問集」「読解の基礎の基礎」「新国語ノート」「新国語読解」「教養シリーズ」「作文の基本」「新面積と体積」「視覚の素」等々

  注 学年によって配付内容が異なります。課題提出が「ない」と配付はその限りで打ち切ります。提出の都度次回の課題レジュメを添付して、参考答案及び添削答案とともに返却します。

    答案は、原稿用紙がお薦めです。字数感覚を徹底して鍛えてほしいからです。

 ◎渋谷A 小4の逸材を募集しています。渋谷Aの入室には入会試験に合格する必要があります。 

 ◎渋谷B 小学3年のための基本指導を準備中/高校受験を視野に入れた小学生(4年、5年対象)のための基本訓練指導

     ※渋谷Bの小学生は6年生までの指導を保証します。当然には中学以降の指導を保証していません。なお、2017年2月開始の新中1指導に参加するには、所定の試験に合格することのほか、通知表を斟酌しております。中学の途中入会の場合は、「5」が5個前後あることが目安です。

 ◎都立小石川、都立桜修館という基礎訓練

 竹の会で小石川、桜修館をめざして基本訓練を受けるということは、受検ということを離れて考えても意味のあることだと考えております。計算力を「神」の域までに鍛え抜き、「割合」という概念を思考枠組みとして頭の中に組み込むために、1年以上をかけて思考を積み重ねていく、そういう過程は、裏から言えば、勉強というものの付き合い方、対し方、すなわちスタンスというもの身につけていく過程であり、勉強に集中するという訓練を重ねて、判断を磨いていくことにもなるのです。これは受検という契機を借りて、本来の教育をほどこすことになっているのではないか。竹の会の子どもたちが、たとえ受検に失敗することになっても必ず中学でトップクラスにあるという事実は教育の本質の一端を垣間見ることにはならないか。

 いつも悔やまれるのは、小5の2月から小6の4月にかけて竹の会にやってきた子たちのことである。そういう子たちというのは、たいていはどこかの大手で1年以上いた経験をもつ。大手にいたということが、これほどマイナスの要因になるというのもおかしな話しである。大手に1年も2年もいたのなら、計算だってできてしかるべきだし、割合なんかも当然わかっているはずであろうと思うのは、本来当然のことであろうけれど、現実はそうではない。計算をやらせてみるとまともに正解しない、割合もまず全く理解していない、これが現実である。それでは1年も2年も大手塾で何を学んできたのか、と問い返したくなる。大手に1年行って基礎学力「なし」とすると、基礎学力からつけていくしかないが、そこで身につけた、「習う」習慣、「説明を聞いてわかる習慣」というのが、障害となる、まことに厄介なことである。なんでも「聞いてわかろう」とする癖というものが、染みついてしまっている。未知の問題に対して、当然に気づくはずの違和感もなく鈍感なままに「わかりません」という精神の落ちどころで安定したままである。

 それならまだ塾に行ったことのない子の方が、よほど指導しやすいということにもなる。大手だけではない。算数を教えられない、数学専門塾などで算数を習うというのは、算数というものの本来の思考というものを学ばないままに、終わる危険があり、せっかくの伸びやかな思考育成の機会を逸することになる。算数というのは、思考の妙を楽しむ学問である。数学のように数学特有の記号言語で語る学問とは本質的に異なる。よく親が子どもに算数の問題を訊かれて、方程式で説明する、とりあえずxは使えないので、かっこをつかってやるという光景はよくあることであるが、これを数学塾がやるわけである。算数というものが思考の妙、思考の綾、思考を楽しむものであるということがまるでわかっていない。

 わたしは小6の10月あたりが指導開始のぎりぎりの限界かと思っている。ただしその場合でも通知表の「よくできる」は8割前後なければ成功しないと思っている。知能の高い子が小6の4月から指導開始というのが理想であるけれど、もちろん小4とか、小5の時期に、小石川や桜修館などを想定してやるような思考訓練を受ければこれがもっとも有効な高校受験を視野に入れた指導となるであろうことは疑いない。

 最近のわたしの小学生指導の研究はかなり進み、小3を指導することも可能なところまできている。ただし、小3にもいろいろある。落ち着きのない、一所に集中していることのできない小3では無理である。その意味では、小3の逸材を念頭においての話しである。現在渋谷Aでは、新小4の逸材を2人ほど募集していますが、場合によっては集中力があれば小3でも受け入れることを考えている。

 ◎都立の雄、日比谷、西に入るということの意味

 まず、日比谷、西というのは、オール5の子が受けるところと考えていて丁度いい。平成13年に都立西に入った生徒は、9科目中「5」が8個、「4個」が1個であった。平成20年都立西合格の女子は、「5」は、6個だったか、正確なところは、資料を見てみなければ、わからないけれど、そんなとこだろう。彼女の中学は、内申の厳しいとこだった。テストの成績を反映してない。そういう中でよくがんばったと思う。

 わたしの二番目の子が慶應大だったもので、日比谷出身の慶應大生の話しはよく耳にした。なかなかに優秀な学生ばかりであった。難関国家試験に合格したり、就職しても一部上場の企業ばかりであった。慶應と言っても、様々な高校から来ており、内部進学生もいるから、卒業時の進路も様々である。慶應の中では、やはり慶應理工は天才の集まりで、別格であったように思う。著名人の子とかもいたりして、内部生だと「こんなバカがいるのか」というのもいる。大学入試の一般受験で合格したのが、いちばん「できる」。指定校推薦は総じてダメ。中には、就職できない、名も知れぬ企業に入る、そういう学生もいる。慶應でも様々である。しかし、日比谷、西出身の子というのはやはりものがちがうような気がする。竹の会では、平成13年に西に合格した生徒は、慶應の理工へ進んだ。天才的頭脳であったが、大学院へは進まず、IT企業を興し、今はその世界では知る人ぞ知るである。

 さて、そこで、竹の会では、今、都立日比谷、西へ合格することをひとつの目標として、本年2月から本格的な指導を開始した。新中1の諸君には、勉強を中断することなく、日々最低でも5時間以上の勉強を望んでいる。最低でも、都立駒場、小山台、新宿は合格させたい。中学生の諸君は、漠然と高校受験をするという意識ではダメである。明確に日比谷なり、西なりに合格したいという強い意思を日々明確に意識して、わたしの指示を実行に移していただきたい、と願っております。

 ◎大手塾を支えるバカ親子

 迷わず大手を選んだ親が言うのは、「大手を信用していた」という言葉である。近頃大手も大手だからこそ信用できないということになってきているのではないか。三菱自動車しかり、耐震偽装をしたのは大手三井不動産であったか、確かに、大手というそれだけで私たちは信用してしまうところがある。文科省認定とか、厚労省推奨とか、こういう責任の所在不明でも、国だと信用してしまう。ウソがばれて大手を信用した人たちが被害者となる構図は尽きることがない。

 塾業界の大手はどうであろうか。産業では、大手に負けない町工場がいくらでもある。塾にも中小塾から個人塾までこの東京には夥しい数ある。個人塾などは許可も何もいらないから、やりたければだれでもやれる。個人の才覚の問題であり、生徒が集まらなければそれまでの才覚ということである。特に、許可制にする必要もない、自然淘汰される業界である。竹の会が昭和60年に元代々木に教室を開いたとき、周りにはすでにさまざまな中小塾がひしめき合っていたし、河合塾とか代ゼミとか、日能研、四谷大塚、学習指導会、昴などの有名塾の何十倍もの小塾が犇めいていた。竹の会は創設30年を過ぎたけど、その間にどれだけの塾が生まれて消えていったことか。すぐ近くにすごい勢いで宣伝を繰り広げた関塾という塾が6か月で潰れたことがあったけど、竹の会はそういう塾の盛衰の影響をほとんど受けることなく永らえてきた。当時からやはり大手信仰の親というのは多かった。竹の会には大手進学塾の落ちこぼれたちがよくきた。そういう形で大手に通う子どもたちというものを見てきたのが竹の会であった。

 公立中高一貫校制度のスタートは、これを専門とする大手の進出を可能にした。これまで私立受験とは無縁だった子たちが公立中高一貫校をめざしてそうした塾に通うようになった。大手というのは、制度スタートのときからどう指導したらいいのかという点では手探りであったと思う、それが過去問の集積が進むにつれて、過去問類似問題を解かせることが最大の対策と言わんばかりに、「小石川対策コース」のような冠コースを作り、バカ親たちを見事に集めた。この冠作戦は今でもバカ親を集める有効なまやかしのようだ。もともとの天才小学生がこうした過去問類似を解くことによって自己啓発していくことは容易に想像できるけれども、大半のバカ小学生は、基本的な素養もないままに、大手の手の平で転がされて挙げ句の果てに区立中へ進む、しかし、だからといって大手を恨むことはなく、それどころか中学でも懲りずに大手の世話になるというのが世間のバカ親たちの選択である。大手というのは、「楽しい」らしい。仲間がいっぱいいて楽しいというのである。明るく楽しい大手というイメージである。

 大手を信用する親の信頼のもとのもとをたどると、鉄筋コンクリートのビルにある教室(安定感は十分)、派手な広告、豪華なパンフレット、これをやれば受かりそうなテキスト・教材の山、受付には専門スタッフ、これはもう信用するためのあらゆる装置が装備されているわけです。講師はたいてい学生のはずだけれどなぜかビシッとスーツにネクタイを決めて、好感度抜群、もうここしかない、大手しかない、そういうわけで母さんの心はすでに確定です。さて晴れ晴れと大手塾へ通う毎日、子どもは楽しそう、母さんニコニコ、塾費は安い?はずであったけど、毎月、特別ゼミみたいなのがあって、トータルするとかなりもの。母さんヒヤヒヤ。あれから365日、ここで母さん、なにも気がつかない。子どもは計算できると言うし、割合も授業でやったから大丈夫と言う。大半は落ちる試験であるから、大半は近所の区立中学へ行く。中学というベルトコンベアに乗る。部活に日々時間を使い果たし、親は部活で勉強できないことを大義名分を得たかのように錯覚し、中3になったら高校受験でがんばらなきゃーといい調子でいつも先のことと先送りする毎日、あっという間に3年生、気がつけばベルトコンベアの予定の出口、低偏差値私立高校に無事無試験入学。

 大手の信用のシンボル(鉄筋コンクリートのビルにある教室(安定感は十分)、派手な広告、豪華なパンフレット、これをやれば受かりそうなテキスト・教材の山、受付には専門スタッフ)の維持にはカネがかかります。けどトーサン、カーサンたちが、せっせと貢いでくれますから、安心してください。

 人間というのは、やっかいな生き物だと思います。いったんある考えをもつと、もうその考えを変えることはない。反証を山ほど突きつけられても動じない。人間というのは、自分の癖ともいうべき不合理なバイアスに基づいて傍から見れば明らかにおかしいという判断をしてしまうのです。おかしいと気づいても現状を変えることはない。これが人間の恐ろしいところです。

 「不合理なバイアス」。わたしはいつも自分がこの不合理なバイアスによって凝り固まっているのではないかを懼れています。

 

 

 

 

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