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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立は戸山・青山基準/小石川中等は小4から準備/大手塾の正体、中小個人塾の正体

2017.05.20

 朝6時目覚めると体温37度3分、昨夜寝るときは37度7分、なかなかしぶとい。暑いからと半袖にしたのがよくなかったのか。少し汗ばんでも長袖にしたほうが放熱は避けられるということか。今日は所要で御徒町の木工所に行ってきました。体のようすを見ながらですが、夕方になるとまた熱がでてくるのか、少し心配です。

 もう5月下旬に突入してしまいました。あと6月、7月、8月しかありません。9月以降があると考えているなら、それが間違いであったことをすぐに悟るときがきます。夏休み1日7時間以上の勉強時間をとれる子、家庭がいったいどれだけあるであろうか。平成22年に桜修館に合格した杉山太一君(去年京大法に合格)は、小6の秋以降、わたしの「土日などの休みの日は1日10時間以上の勉強をしなさい」という指示を実行しました。10時間どころか、17時間という記録も残されています。今年5月の連休では休みボケした小6でレジュメは遅れるばかり、ピントのはずれた答案を出すなどかなり衝撃を受けました。

 掲示板を見る、たいていは自分の番号はない、そういうことです。合格するには合格するに必要な時間の総量を確保したかです。勉強時間の絶対量が足りないのに自分の番号があるなどと期待するのは自分がどれだけの天才と思っているのか、ということです。

 都立中受検ということで都下のほとんどの親子がどこかの大手塾に通っていることと思います。竹の会でも大手の塾で2000人中の20番内とかいう子たちの実力を診断したことがありましたが、正直話しにならなかった。大手に行っている子たちというのはせいぜいそんなものです。わたしの見立てが実証されたのですが、それにしても驚き呆れました。大手塾というのは、もともとの天才しか相手にしていない、ということでしょ。天才なら放っておいても受かるのだから実はノウハウなどないに等しいということになる。それよりも天才でもない、受検生の大半、おそらくは90%近くを占める子たち、そういう子たちを導くノウハウなどないということが問題です。よく保護者の方から耳にするのは、小学校でもよくできる優等生の子が大手に行って1年後ないし2年後伸び悩むケースです。学校の優等生は決してわたしの言う「天才」の部類には必ずしも入りません。こういう子でも大手の飼い殺しになるわけです。

 はっきり言って、騙される親はバカです。かつてわたしが「竹の会はほんとうにすごい塾ですよ」ということを訴えたとき、ひとりとして関心を向ける親はいなかった。いやそれどころか、なにか怪しむような目をして背を向けたものです。わたしには竹の会の凄さというか、本物ということには確信に近い自信があったし、その真実を伝えようとしたわけですけど、かえって怪しまれてしまいました。もともと無名の小塾ですからしかたないとは思いましたけど、そういう親たちが自分の子を大手に託すということがいったいどういうことなのか、わかっていないことがバカのゆえんです。はっきり言って大手には「できない」子をなんとかするなど全くできない、のだ。いやこれは大手に限らない。塾というところが、旧態依然とした、結局それはノウハウなどないに等しい、スタイルをとる限り、どこの塾でも五十歩百歩ということである。規格化されたテキストを用いて授業する、もちろん講師がであるが、そのスタイルを前提にして、いろいろと亜型が考え出されてきたわけである。「予習」「復習」という概念もそのテキストについての話しである。「確認テスト」も同じ。となるとそのテキストのレベルがどうなのか、である。都立一貫校塾なら平易にしなければ集まるのはバカばかりだからすぐ馬脚が表れる。平易なテキストでできると思わせて長く引っ張る、それで6年生になったらいろいろ特別ゼミなんかを勧めて煽る。これで株式会社大手塾の営業利益は株主様を満足させることになる。これが大手進学塾だとまた話しが違ってくる。テキストはそれなりのレベルに設定しておかないと実績が出せないからだ。ただここでももともとの天才が結局成功するだけの話しではある。ただ私立は都立中と違い受け皿はいくらでもある。開成がだめなら城北、巣鴨、さらには、芝中といった具合である。進学塾の場合、どうしても「落ちこぼれ」は出る前提なのだ。「落ちこぼれ」ても私立願望が強いため塾に引きつけることはできるのである。

 個人塾、中小塾は、バカでも機嫌をとって通ってもらう、だから生徒や親に舐められる。なんだかんだと「カネ払ってるのだから」と親も子も無理難題を言ってくる。親に阿る、子どもに阿る、だから筋を通した指導ができない。さらには、ここでもテキスト、講師、授業という三種の神器は当然のように、なんの疑いもなく、採用されているから、大手と同じ弊害がある。

 わたしは、授業形式、個人指導、家庭教師などいろいろやってきたけれど、どうしたら子どもたちを導くことができるのか、様々な試行錯誤を重ねながら、塾のあるべき姿を追求してきた。そして究極の指導法というものに到達した。どこかの母親が「竹の会のやりかたは、少し古い」と言ったのには、笑いましたが、進学塾で小学の間、もまれてきた親子というのは、救いようがない。親は情報ばかりに翻弄されて、子はじっくりと考えるということを知らない。大手進学塾の弊は、落ちこぼれに対して、なんの施策もない、ということである。

 わたしは理想の塾のありかたを追求してきた。そして今の竹の会は、やめたければさっさと止めてください、という基本スタンスである。阿るというのは、塾としては自殺に等しい。勉強しないバカをがまんして通わせるなど、ありえない。騒ぐとか、問題行動を起こすとか、そういうのはさっさと切って捨てるだけでしょ。成績落ちたらそれは本人に問題ありということです。ですからさっさと止めることです。

 今の竹の会は塾としての理想を追求した結果、「指導」という形式を中核とするようになったのです。教材としてのレジュメの機能はさまざまです。文章を「読み取る」訓練、答案を書く訓練、解説レジュメを読み理解する、そうした基本機能のほかに、指導の内容によって千変万化です。多様性こそ生命です。小数をマスターさせるとき、分数をマスターさせるとき、割合をマスターさせるとき、そのそれぞれに工夫のレジュメを用意しました。ピンポイントで一気に訓練していきたちまちマスターしてしまいます。一週間前通分始めたばかりなのに、次の週にはもう難解な計算をこなしているということもよくあることです。竹の会は子どもひとりひとりを見つめて子どもの能力の進度を追いながら次の一手、次の一手と進めていきます。

 ただ竹の会の竹の会たるゆえんは、だめなら退塾というのが当然ということです。先にも申しましたとおり、わたしはだれでも指導でもっていけるということはできない前提でやってます。わたしにはどうにもできない子というのがたくさんいます。竹の会にそういう子をもちこんでくるのは止めてください。だから入会試験をやっています。ただ仮合格というのを認めたのは不徹底でした。ただ仮合格の親御さんには試しの指導だということを予めお断りしています。わたしは効果もないのにカネだけとってとにかく通わせる、引き留める、そういうことだけはしたくないのです。

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