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都立トップ校への道~全力を尽くさない人たちの精神構造とは

2016.03.22

 おはようございます。20日、21日と連続指導を終えていよいよ3月も終わる、という実感がします。21日はAB合同指導日でBの生徒もAの長時間指導のメリットを実感できたかもしれません。それはともかく長らくHPのBの指導曜日が誤表記されていたことに気がつきませんでした。渋谷Bは、月・金の18時~20時の実施です。渋谷Bは家庭学習を率先してやるタイプの子でなければまず成果は期待できない、ということは何度となくご注意申し上げてきたとおりです。かつて元代々木教室の時代に、3時間×8回というコース設定がありましたが、この設定を選んだ子たちから、決して難関私立高校、トップ都立高校の合格者が終ぞ出たことがなかった、という曰く付きのコース設定でした。それで旧教室時代にこのコースは廃止されていたわけですけれど、渋谷教室になって旧設定よりさらに短い時間設定で復活しました。

 これには理由があります。まず竹の会の指導がレジュメ指導に転換したことがあります。予め相当のレジュメを家庭でやることを前提にした指導がとれるようになったからです。ただし、Aのように事態に即応した、リアル進行形の指導はとれないわけです。子どもの能力にもよりますが、これはかなりの不利な条件だと思います。直接指導の時間が長いほど効果が高いのは実際に竹の会の指導を知っている子なら自明のことでしょう。Aの子は決してBに行くなどということは言いませんから。

 このようにBは、補充的、一時的なつなぎのコースという性質を有しています。例えば、今は時間が合わないのでとりあえずBにしておくとか、受検するわけではなく、将来高校入試を考えて小学時代に基礎学力だけはつけておきたいとか、そういう需要に応えることを念頭においています。したがって、Bの生徒は、夏や冬の講習は必須ではありません。ただし、受検目的、高校受験目的でBを選んでいる場合は、これらの講習を受けないというのは、間違いなく受験は不成功に終わる、それで講習だけは受けるほかない、ということはあるでしょう。ただし、それもAの定員がいっぱいだと無理です。Aは講習は必修だからです。

 現在の竹の会の入会試験がもっとも効果的なのは、小4の2月前後である、ことが実証されつつあります。現行の竹の会の入会テストでA合格(6問中5問正解)を小4の2月前後にとって入会した小学生の合格可能性が極めて高いということがいえると思います。小5の2月前後ではいかにも遅い、やや時期を逸しているという感想を持っております。

 といいますのは、現行の竹の会の入会テストの内容は、偏差値基準ではなく、あくまでも知能テストに近い構成になっているからです。小4の2月にA合格した子と、小5の2月にA合格した子について、同列には扱えない、ということです。

 小4の2月合格者はまず通分や余りのある小数の割り算から指導していきます。ところが小5の2月合格者はすでにそういうことは大手塾でやってきたことになっている、あるいは大手に行っていなければもしかしたら通分からということもあるけれど、これだといかにも遅いという感じを否めない。

 大手塾、例えば日能研、四谷大塚などで1年やってきたという子が、竹の会にやってきてわかるのは、自分が計算もできない、割合も理解していない、という現実でしょう。ましてや進学塾でもない栄光やエナだとなおさらです。割合はやった、というけれど、よく訊いてみると、テキストの単元としてある割合を2回ほど授業でやっただけと言う。ありえない設定ですけど、夥しい数の生徒を集めてやっていることがこれだというのはなんともお粗末な話しです。竹の会で割合のレジュメ1問解くのに、時には何時間もかけて考えさせるというのとはあまりにもかけはなれたことなのでなんとも論評しようもない。わたしが大手一般に通う生徒の大半が計算もろくにできない、ただできると思っているだけ、割合もわかっていない、ただかなりできると思い込んでいるだけ、だからバカの集合だと言っているのは、根拠に基づいて事実を言っているだけです。

 だいたい竹の会でできないと思われている生徒が大手その他の模試を受けたらかなり上位にいる、ということはどういうことなのか。さらには、竹の会でできる、進んだ組と言われている子たちが、例えば、エナや大原などの模試を受けて、たちまちトップ層に入る、というのはどういうことか、ということです。

 竹の会でやっている問題数は割合のレジュメ集にもよりますが、「小学思考の素 割合問題編」でも60問そこらでしょ。それを1問1問じっくりと考えさせながら進めていくわけですけど、ここで思考にかけた時間を積み重ねていくわけです。こなした問題数はすくないですけど、他塾のバカ化した生徒は相手にならない、そういうことでしょ。もちろんあれだけ大勢の生徒を集めているのだから、中には超天才の頭脳をもった子も当然紛れ込むでしょ。そういう生徒ができるのは当然です。大手が育てたというのではなくもともとの天才がたまたま大手にいて成功した、それだけのことです。

 今日のテーマは、全力を尽くさない人たちの精神構造です。去年の夏にわたしが7時間を希望したときに、いつも「4時間弱」「3時間ちょっと」と答えていた子たちもそうですが、小6の1学期、まだ時間的余裕があると思ったのかどうか、さまざまな習い事、稽古事、スポーツにいくらでも時間をかけてきた人たちのことです。春休み、連休、夏休み、といつもそれなりにのんびり過ごし、さまざまな家族や親戚などの集まり、行事、などいくらでもそういうことに時間をかけられる人たちのことです。

 それでも受かると思っている、おめでたい人たちです。天才の頭脳を持っている人が、全力を尽くして勉強しているときに、天才でもない人たちが、勉強に全力を尽くさない、手を抜く構造です。仮に、天才としても手を抜けば、神的な勉強時間を実行する天才に勝てるわけがない。時間を能力をいくら分散してもそれでも受かると信じているおめでたい人たちがいるということです。世の中はそういう人が多数派なので凡人でも努力さえすれば成功することになっている。

 東大、京大に行ける人というのは、そこから違うのです。凡人が3時間も勉強に集中できない、継続できないのと違って、かれらは、小学生でも17時間集中したといい、1日たりとも疎かにせず勉強を継続できるのです。天才かどうかというのもありますけど、あることを成し遂げるに、物理的に必要な集中した勉強時間がどれくらい必要なのか、ということが彼らにはわかっているのです。

 凡人たちが、物理的なかける時間というものを全く考えないで、ただ超主観、精神的な思い込みだけで成就できると考えているのとは大違いです。だからわたしはバカだと言っているのです。

 わたしはそういうバカを相手にしたくはない。ほんとうに合格したいと思っているのなら、のっぴきならぬ行事でいとも簡単に勉強をお休みするなど考えられないことです。まして超個人的、自分の意向でどうともなることで勉強を犠牲にするなんて、ありえないことでしょ。

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