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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立トップ校進学一直線/小石川中等・両国への道/事後説明の天才にはなるな/・・・

2016.04.15

 お早うございます。これまでにない地震の展開に熊本を核とした九州一円に不気味な不安が漂っているようです。実はわたしは九州の大分県出身でして実家のある別府市だけでなく大分の各地に親戚や知人がいます。いや実は熊本市内にも宇土市にも親戚がいますが、朝から連絡をしていますが、宇土市は無事のようですが、熊本市内の親戚にはつながらないままです。

 余震なのか別の地震なのか不明ですが大分市に住む姉の話しでは昨日の夜は余震?が間断なく続き一睡もできなかったそうです。九州には桜島や阿蘇山、雲仙普賢岳など活火山が多く、活断層もいたるところに点在しております。郷里の別府は鶴見岳の麓に広がる温泉地ですが、鶴見岳の隣には由布岳が聳えています。由布岳は奥別府として有名な湯布院を見下ろす、鶴見岳よりも標高の高い火山です。わたしはこうした火山に囲まれ、火山から溢れる温泉の中で少年時代を過ごしました。何万年も昔の阿蘇山の大噴火では溢れる溶岩が九州全域を覆ったと言われています。このような火山地に川内、玄海原発が作られたということも、恐ろしいことです。福島のような地震が原発を直撃しないという保証はないのです。バカ裁判官たちがまたぞろ国勝訴に右へ倣えの様相です。福島の事故はこういう輩にはなにひとつ教訓としてはなりえないということです。原子力規制委員会の委員長も保身を図る姿勢も見え見えでこういう人間にわたしたちは何も期待できないと思いますが、すべて安倍を中心とした政権の意向が背後に透けて見えるのも嫌な気分です。

 さて竹の会では新中1の指導が本格化しておりますが、実は、中学生というのは、爆弾を抱えているようなもので、それがいつ爆発するか、予測もつかない、そういう懼れをいつも持ってきました。過去幾多の中学生が自ら勉強放棄を宣言し脱落していったことか、それは突然やってくる、わたしにはそう思えました。中1の末に兆候が見えて中2の春から初夏にかけて爆発というのがもっとも多かったとおもうのですけれど、中には中3の2学期に決まって低迷する子たちが出たものでした。

 中2脱落は男子に多かったように思いますが、中3脱落は男女に関わらなかったと思います。

 竹の会では、27年、28年と都立戸山高校に合格しておりますが、この2人の生徒が、中学の2年10か月をなんとか切り抜けてこられたことにまずほっとしておりますが、実は本年戸山合格者は中2の時期に情緒不安な時期がありかなりの危機であったと思っております。新中1のみなさんがこれからの2年10か月を勉強一直線で受験まで走り抜けられるか、多くの挫折を見てきたわたしには正直未来のことについてはなにも言えません。脱落する者が出るのが普通ともいえるからです。

 そもそも毎日5時間という勉強ができるのは限られた人にのみ可能なことです。勉強の継続には強い意思が必要です。それ以上に志望校合格への強いモチベーションが必要です。漠然とではだめです。20年都立西合格者は、中1のときから都立西への進学を強く意識してきた生徒でした。いや27年、28年合格者たちも最低でも戸山合格という強い意思では負けていなかったと思います。中学で生き残るかどうか、それは実行力が決めることです。考えるよりもまず実行が先です。

 実行しなくなったとき、そのときが、脱落したときです。強い意思がなければ実行など不可能です。そして強い意思のある者のみが人生において「いい道」を歩むことができる、のです。

 ◎余はいかにして戸山合格を出し得たのか(古典風記述)

 27年、28年と連続して戸山高校合格者を出したのは決して偶然ではない。戸山以上志望の生徒が27年に1名いてその1名が合格し、28年にも1名いてその1名が合格した、戸山を志望して戸山に合格した、わたしにはぎりぎりの戦いであったけれど受かってみれば高得点合格をしていた。

 何か特別のことをしたのか。否。レジュメだけである。数学はもちろん結局英語もレジュメだけになった。いや英語が心配で原書の訳を課したけれど結局やらなかった。それでレジュメだけになった。ただ英語はそのために苦労した。そこでことしは原書の英文を厳選して抽出しレジュメにする、そういうことにした。

 理科と社会は、ほんとうにうすいテキストを各1冊用意した。これで模試で9割はとれる目算であった。いや戸山志望の生徒はこれでよかった。が、文京志望者がテキストを実行できなかった。さまざまな手を打ってきた。

 戸山志望者をふくめて、直前1か月の定番各1冊以外に、理科は別に1冊用意した。ただし、いずれも80ページ程度のうすいものである。

 竹の会では勝手に参考書、問題集などをやることは指導に反する、指導に順わないと評価される。それで失敗したのなら自業自得ということになる。

 数学は、竹の会の、わたしのレジュメは完璧である。

 本年は、英語のレジュメを補強する。そのために現在大学受験英語の参考書を読書中である。1か月後に製作開始の予定。

 国語は、「新国語読解」が秀逸である。本年戸山合格者が、このレジュメを使い始めて1か月、それまで悪かった国語の偏差値を一気に70にした。その勢いは止まらず、本番の戸山の独自問題では、86点をとっている。

 本年は、独自問題の国語を「新国語読解」でとったと同じ手法で分析したレジュメを制作予定である。そのために現在2冊の参考書を読んでいるところである。

 ◎事後説明の天才になるな!

 人間は、どんな凡才でも事後に説明することにおいては天才である。人は何かを説明するために、うまく辻褄が合う物語を作り上げる天才であり、その物語に囚われ続ける、という本質的欠陥をもつ。こういう人間が組織のトップに立つと、それは悲劇となる蓋然性を常にはらむ。

 人間というのは、何らかの出来事や現象に後から「説明をつける」ことが非常にうまい、それはもって生まれた天性の才覚と思える。頭のいい人は事後の説明に「首尾一貫」した説明をつけることに巧みであり、その首尾一貫性のゆえに一度つけた説明にどんなに反証となる事実が突きつけられてもそれを認めることはない。この点において人間というのはあまりにも最初の思い込みにこだわることでも天才的である。

 このことは、日常の何気ない会話に注意してみればすぐにわかることである。人というのは、話していることのかなりの割合が、何かを説明しようとする試みになっているはずである。そして人というのは、物事の理由付けが本能的に巧い。自分の人生に起きたほとんどどんな事柄についても、自分はなぜそうしたかを事後に理由付けしてしまう。

 今朝のテレビでも地震学者、火山学者が、さっそく得意な事後説明をしている光景を散見したが、かれらが専門家ということで、自分の専門知識を、この事後説明に使う分、さらに説明が巧いので、厄介である。

 テレビや新聞のコメンテーターや解説委員がやる事後説明も実に理路整然として、いや首尾一貫していて筋が通っている。が、事後説明の巧い人間のやる説明のことだから、捏ち上げ率はどのくらいなのかと考えてしまう。

 芸能人の離婚会見も結婚会見も事後の物語、辻褄合わせの物語でしょ。人は何か、説明を求められると、すぐ事後説明、捏造物語をでっち上げる。国会議員の答弁や説明も首尾一貫した捏造話しであるけれど、原発事故のときの東大大学院などの学者も見事な捏ち上げ説明であった。福島の放射能の影響については、今でも福島県立医大などの学者連中が、事後物語の創作に余念がない。

 人間というのは、最初にでっち上げた説明が、首尾一貫していればいるほど、それに固執しもはやその宗旨を絶対に変えることのないほどに頑迷であり、頑固である。

 人は圧倒的な反証を前にしても、間違った思い込みにしがみつく思考癖から逃れられない動物である。

 さて、勉強ということに関しては、この人間の思考癖が、致命的にはたらく。首尾一貫した説明というものをもし自分がつけたなら、もう疑ったほうがいい。一度自分の考えが正しいと思い込んだら、どんな反証ももはや役に立たないほど人間というのは頑迷なのだから、ほとんどどうしようもない。自分はそれほど頭がよくない、だから首尾一貫した説明ができても、不完全なものと思っていた方がちょうどいい。年老いた頑迷な爺さんや人の意見を聞かないおばさん、おじさんになったら終わりでしょ。

 いやちょっと待てよ。大手盲信の昨今の親や子も似たようなものか。この人たちには反証というものが効かない。失敗しても、中学でまた大手に行くということには迷いがないほど、最初の選択にこだわる。落ちてもなぜ落ちたかの事後説明は実に自分に都合のいい、自分が傷つかない物語なのだから。 ヒステリックに自分の子どものバカさ加減を決して認めようとしない、頭の悪い母親というものが棲息しているけれど、もちろんでっちあげの物語を作るにおいては天才的である。

 

 

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