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都立中という「切り捨て」、進学指導重点校という「切り捨て」/「わかりやすい」という悪魔

2017.06.16

 おはようございます。梅雨入り宣言があると必ず青天が続くというのは今の気象衛星とレーダー頼みの気象庁の底の浅さを見る思いがしますが、そういえば去年の熊本の地震のときも「わからない」と判断放棄したことを思いだします。あのときはなんでも江戸時代の記録に似たような地震の系譜があったということを発掘した学者もいたようですが、気象庁や地震学会は知らんぷりでした。「オレ様」に何を言うのか、ということなんでしょうが、中世のキリスト教社会を彷彿とさせる切り取り絵図でした。

 梅雨入りということで毎日の雨を覚悟していましたが、今のところは快適に自転車通勤をしております。なにしろ大量のレジュメなどを運ぶので自転車は重宝しております。昨日はBの指導日でしたが、竹の会では男子でもトイレを使用するときは座って使用していただくようにお願いしていますが、昨日はルール破りの子が出まして注意しました。かつて元代々木教室では特に夏場はもうこの男子たちの乱暴なトイレ使用で悪臭が立ち篭め教室にまで充満し、いくら洗剤などで洗っても改善されずに途方にくれたことがありました。渋谷教室ではこれに懲りて男子には徹底して、特に、入会に際しては、この点の念押しをしてきましたが、まさかという思いでした。注意してもダメなら退塾していただくことになります。こういうことで退塾かと思われる人もいるかもしれませんが、トイレを悪臭なく気持ちよく使ってもらいたい、という思いは強く、ルールを守れない者にそもそもなにかをやる、少なくとも竹の会ではその資格はないと判断しております。小言ついでに最近の中2について、勉強姿勢が弛んでいるように感じております。指示したことの進捗具合も緩慢に過ぎる気がしております。何かひとつなまぬるいのです。これを中2病と言えばそうなのでしょう。特に、中2の1学期、夏休みまでというのは何かいくらでも時間がありあまっているような錯覚に陥るのかもしれません。家庭学習は最低でも5時間必要と言ってきましたが、竹の会の中学生がこれを実行しているかかなり懐疑的です。特に、日比谷、西という枠は、男子ならそれぞれ160人でしょ。トップ都立というのは、あと都立国立も含めていいますが、この3校の東大合格者数は躍進を続けている。都立の中でも超一流都立です。このトップ都立が、私立中高一貫校優位の牙城を崩す、希望の星となっている。私立高校入学者や国立大附属からの東大進学数の凋落もこのトップ都立勇躍と切り離して考えることはできない。さて、そういうトップ都立の枠に入りたいというのが本気の話しなら、今のようなぐだぐだした勉強ぶりはありえない、そう言っているのです。いや戸山とか、青山あたりをと考えているのなら、もともと優秀なみなさんですからそれほど問題にはしません。それならそれでいい。しかし、もし本気でトップ都立に入りたいということなのだとしたら、今の勉強ではそれはない、と言いきれます。反省を促したいと思います。

 ◎「わかりやすい」という悪魔

 そもそも「わかりやすい」というのはいいことなのでしょうか。最近よくそう思います。塾は「わかりやすく教える」ことが価値とされています。少なくとも世間一般の考えはそうなのでしょう。過去問なんかも解説がわかりやすいと評判の塾もあるようです。公立一貫校の学校説明会では、必ず過去問の説明会があるようです。それで「よくわかった」などという親子も多いのかと思います。まず注意しておきたいのは、過去問の解説というのが、すべて後知恵の解説である、という点です。試験の現場で突然に出された難問に思い悩んで考え出した答案とはかけはなれたものです。後からゆっくりとじっくりといろいろなものも参照して、時には知恵を合わせて、作られた答案、そして解説がわかりやすいと感動するのは結構ですが、それでその塾なりに入れば、そのようなよくできた答案が書けるようになると思い込むのも結構ですが、それははっきり言って完全なる誤解だということだけは知っておいたほうがいいでしょう。

 それで今度は次の本番で自分が未知の問題に明快に答案を書けるのか、ということです。「わかりやすい」解説を聞いて理解をしていけば「できる」ようになるか、という話しです。そんなバカなわけがない。頭というのは他人の解説を聞いてよくなることはない。自分でああでもない、こうでもないとあれこれと頭を悩ませる、そういう過程の積み重ねがどんな問題にもなんとか糸口を見つけて解き明かそうとする不屈の精神を作り上げるのです。こういう過程を一切省略して、どんな難問にも常に予めよくできた解説が与えられるのではいったいいつ頭は使われるのですか。竹の会の解説は頭のいい人ほど「これほどわかりやすい解説は見たことがない」と言われてきましたが、誤解してほしくないのはいきなり解説なんかしていないということです。それはもう何時間も考えたけれど「だめだった」、そういう過程を経て初めてわたしの解説が生きてくるのです。あれほど悩んだからこそ手に取るようにわかるのです。悩みの過程もなくいきなり解説してどうなるのですか。それに後知恵の答案や解説なんかやったらダメです。本番で自分が未知の問題に対したとき、どう解くか、これです。わたしは子どもたちの気持ちになって本番の問題を自ら考えて、時間内に可能な答案というものを考えてきました。わたしがいくら考えてもダメな問題、時間のかかりすぎる問題は子どもたちにもダメなんです。そういう問題もあたかも「こうやれば簡単に解けるよ」などということを教えることに意味はないのです。どんな問題もこうやれば解けるよ、はありえないのです。普通の子が必死に考えて書くであろう答案を示してやらないでどうするのですか。後知恵の、すべてわかったような答案、解説なんかを「わかりやい」と有り難がっても自分の足しにはなにもならない、ということです。

 

 

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