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都立中高一貫校に合格することの難しさの認識が浅い親の短絡な思考

2018.03.13

 花粉塵の中で目と鼻はぐちゃぐちゃです。昨日、今日ととにかく空気中に占める花粉の割合は確実に増えています。効きの悪い目薬と止めようのない鼻水に悪戦苦闘しております。心身に蓄積されてきた疲れが出てくるのがこの時期ですが、なんとか持ち堪えております。それにしても試験の直前に感じた嫌な予感というものは侮れないですね。都立校入試の2日前に感じた嫌な直感、都立中受検直前1か月に感じた直感、悉く的中しております。実は受検直前に合格は予測できる。そして不合格も予測できる。しかし、予測不能、紙一重という判断もある。合格を予測するのは、わたしの指導を成功裡に進めてきたこと、模試で実証してきたこと、である。部活、家庭の事情で、勉強を中断させる頻度が多ければ多いほど、不合格の予測に重心が傾くことになる。不合格の予測は、実行していないこと、に尽きる。勉強の絶対量が圧倒的に足りないのである。もっと言えば、勉強の本質というものに完全に背馳する日常生活を送っている。勉強というのは、中断によっていとも簡単に破壊されてしまう性質がある。この性質を理解しないから平気で、習い事、稽古事、部活、旅行、キャンプ、帰省、法事、レジャーと、本人たちは「ほんの3日ほど」という、だから問題ない、という認識で強行するわけである。不思議なくらいにそういう人たちは合格していない。正確には、勉強してないという共通項でくくれる人たちではあるけれど、こういうひとたちは、合格できると思っているところがまたわたしには不思議である。

 合格者の小学校でほかにどれだけ受かっていたか、という話しが私の耳に入ってくる。富士に受かった子の小学校では、6人受けて3人合格(ここは5割でいい)ということです。もうひとりの富士に受かった子の学校では、ほかに富士を2人受けていたけれど、みな落ちた、また小石川を3人受けたけどみな落ちた、ということです。桜修館に合格した女子の小学校では、桜修館だけで20人以上が受けたそうで、わかっているのは男子が3名受かったこと、女子は自分以外にまだ受かったという話しを聞いていないこと、であった。大手やその他の塾に合格をめざして通っている人がほとんどでしょうが、そのほとんどが落ちるということなのです。5倍、8倍とか、10倍、そういうところで鬩ぎ合っているわけです。そういう現実を踏まえても、それでも家族の私生活を優先させて、それで受かると思っているのか、ということです。連休に旅行する、お盆に1週間帰省する、けっこうなことです。しかし、そういうときも変わらず勉強していた人がいたということです。そういう人たちにさまざまな事由で勉強を中断してきた人たちが、どうして勝てると踏んだのか、わたしには理解できないのです。

 世の中には、学校説明会やママ友間の情報交換などでやたら受験情報に詳しい母親というのがいます。今年はどう変わったとか、傾向が変わったとか、説明会ではこういうことを言っていたなどとかつてはわたしに言ってくる母親たちがいましたが、そういう母親も退塾して一掃されました。傾向、傾向と喧しいかぎりですが、傾向というのは、いったい何なのか、そんなものは実体のない、合否には関係のない話しである。確かに、例えば国学院久我山高校では、必ず確率の大問が1問出るとか、慶應中等部では、ベタな問題の数がやたら多いとか、麻布の算数だと問題は2問ほどで、やたら長い問題が出るとか、そういうものが傾向というのならそれはある。しかし、それだけのことでしょ。過去問見たらわかることです。わざわざ学校説明会で言われてわかることではない。傾向というのは、来年も同じような問題が出るだろうから、そこを重点的にやっておこう、ということなのか、しかし、そういう傾向に即した準備をしたはずが、傾向どおりに出た問題なのに全く解けなかったというのが通例なのだ。そのときその受験生は必ず「今年は新傾向だった」と言い、母親も、「新傾向だからできなくてもしかたない」ようなことを言う。問題の本質というものがわかっていないのである。傾向というのは、要するに、相手の弱点を知る、ということです。しかし、ここで問題にしなければならないのは、それ以前に、自分の弱点を知っているのか、ということです。そもそもの実力がない、というところが問題なのに、傾向に即した勉強ばかりいう母親は始末が悪い。こういう母親に限って、大手の志望校対策別コース、講座などというものをありがたがって申し込むのである。相手がさらに手強いとわかれば、それは己を鍛えることにさらに力をかけるというのが本来のとるべき対応であろう。自分の弱点はそっちのけで、相手の弱点ばかり気にする、そういう受験ママがどうなるか、どうなったか、知りたいものである。竹の会には、そういうモンスターママがときおり迷いこんで竹の会を掻き回して嵐の如く去るということがたまにある。

 それから、竹の会に入会して指導を受ける、それから1か月、2か月経つ、そこで、もう一度このまま続けるかどうかを再考してほしいということです。課題を出さないとか、指導に困難な状況があるとか、いつまで経っても基本から脱却できないとか、なかなか基本事項を習得できないとか、部活で指導が断続的になって見通しが持てないとか、要するに、指導が順調に進んでいない、そういう事態をそのままにできないということです。指導がわたしの目論見どおりに進んでいないというのは、私には大なり小なりのストレスとなります。比喩的に言えば、棘が刺さった状態です。退塾というのは、ひとつの処方であり、双方に一定の痛みをともないますが、いったん退塾していなくなると、少なくともわたしにはなんとも言えない解放感に満たされる、というのが正直な思いでした。いわば棘が抜ける、抜けたという、そういうスッキリ感がかなりわたしの体にはいいということです。どうもわたしには指導がうまくいっていないということが大変なストレスとして心身に病気をもたらしているようなのです。

 新小5、新小6のみなさんは、大学ノートを1、2冊準備しておいてください。「新国語読解」というシリーズがありますが、あれを使って、みなさんに「語彙ノート」を書き綴っていってもらおう、と計画しているからです。「新国語読解」の材題は、私立難関中で出された説明文ですが、小学生にはかなり難解です。そこで国語の辞書をひいて、とにかく意味調べをやってほしいと思います。教室に用意された辞書は限りがありますので、できれば辞書は持ってきたほうがいいでしょう。

 ほんとうに合格したければ、わたしの思い描く通りに、勉強する、実行することです。高校入試にしても、中学受検にしても、わたしにはわたしの描く合格の手順というものがあります。部活で指導が中断する、そういうことが後々わたしの手順にはない、後手の手を打つほかないという事態をもたらすことになる。小6の秋にあきらかに失速する子たちが出てくるのは、わたしのいう通りにしてこなかったからです。とかく人間というのは、試験がまだ先というときは、危機感に乏しく、さまざまなことを勉強に優先させても大過ないと考えがちですが、そのことの誤判断は秋になってみればわかります。積み残したノルマで何から片づけていっていいのか、どれをやっても追っつかない、積み残しは瞬く間に不可能なまでに山となっていく、こういう失速をした子たちというのは、例外なく、まだ時間のあるときに、さまざまな事由による勉強先送りをしていた子たちです。

 竹の会では、入会試験がまず登竜門となります。入会試験で6問中5問正解をA合格と呼んでいますが、これは実は小4早期を基準にしたものです。小5でA合格をとるのはあたりまえです。とれないのがおかしいのです。ところが、小5A合格者が悉く失敗し、小5の夏以降に仮合格したとか、準合格した子が「受かる」という事態が生じています。これは、入会試験の成績もさることながら、より大切なのは、入会後の勉強姿勢だということを証明しております。小4の早期にA合格とる子の能力は高い。これで実行を怠らなければ、竹の会では、めったにいない、英才指導の手順もとれることになる。小5だとよほどの実行力を支える強い意思がないとまず合格は難しい。ましてや小6などということは通常は考えられない。確かに、平成19年とか、20年、22年頃は、小6入会者の合格がありました。まだ公立中高一貫校が制度として確立していなかった時代の話しです。少なくとも小石川、桜修館は、小6はない。

 今年の都立高入試では想定外の事態が生じましたが、試験というのは、一点の曇りもない素直な気持ちで臨むというのが戦略になります。自分の判断に何の迷いも躊躇いもなかった、と言えるほどの境地が必要です。それには、普段から鍛錬を怠らないこと、鍛錬を続けること、これしかないのです。本番で澄み切った心境で、迷いなく判断するには、勉強を中断することなく、鍛錬を継続していくしかないのです。だからわたしは中学生の部活、小学生の習い事、稽古事を天敵としているのです。そして時として親の見せる、様々な、特別事情による勉強の中断を天敵としているのです。

 

 

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