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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立小石川、桜修館をめざす/都立日比谷一直線/漢検〆切/時間を過小評価する親たち/ありもしない知識でプロを騙る似非専門家/

2016.04.30

 おはようございます。本日はまた好天気で初夏の予感が漂う、新緑が眩しい、春の一日になりそうです。朝から、雑用で今日はこれから明日の指導の準備です。

 忌憚のない意見を言わせていただければ、わたしは、ほんとうによく思うのです。小6になるまで、よく子どもをこういう状態になるまでに放っておいたということを。もう1年、わたしのところに早く来ていれば、少なくとも、今のように計算もできない、割合もあやふや、そういうことにはならなかった。わたしは、世の親たちが自分の子を迷わず大手に入れて、1年、2年と安閑としている、その間に子どもたちが取り返しのつかないことになっている、そういうことにまるで気づいていない、わかっていない、それが歯がゆくてならないのです。

 確かに、今の東京にどれだけ、良心的な、正直な、それでいて本物の指導のできる塾があるかということです。東京でもう30年以上も塾という仕事をやってきた私から見ても、ほんとうにいい塾を探す、見つけるというのは難しいことだと痛感しております。「良心的、正直な」塾というだけではダメなんです。まじめな融通の利かない先生が教える塾なんていいはずがない。だいたい塾の先生というのは、できもしないことをできると平気ではったりを言うものです。大手なんかの営業もそんなものです。わたしは入会試験をやりますが、それは入会試験にも合格できない子を指導するのはわたしには無理だと告白しているということです。大手や巷の個人塾のようにカネさえとれればだれでも入れるということはやれない。東京にどれだけ本物の塾があるのか、ということでは、少なくとも、さまざまな塾に行っていたという親子と面談してきた経験、その際に聞かされた、これまでの塾のようす、そして学力の程度などから、いつも巷の塾のありように失望してきました。まともな塾などあるのか、といつも疑いをもってきました。だから世の母親や父親が大手へ行くというのもわからないではない。巷の個人塾には、どうしても頭の悪い子たちが集まる傾向は否めない。「うちの子は大手ではやっていけない」という母親の選択である。そういう母親も実は大手はすごいという認識は前提にあるわけです。それほど大手がすごいのか、ということですが、これははっきりいってはったりでしょ。大手というのは、天才をも集める集客能力において太刀打ちできるところはない。その資本力にものを言わせて宣伝にはいくらでもカネを使う。豪華なパンフレット、いかにも「これをやったら受かりそうだ」というテキスト、そういう消費者の弱いところを巧みについて、取りこんでくる。

 しかしです。大手というのは、ものすごい数の生徒を集めるけれど、実際の受かった数というのは、示されていない、とわたしは思うのです。もしかしたら模試を受けただけかもしれない。夏期とか、冬期に、何日か講習を受けただけかもしれない。そもそも在籍数を明らかにしていない。その在籍者の中の何人が合格したか、最低でもこれは示す必要がある。あと在籍期間も大切である。そういうものが、明示されることなく、ただ数だけを言い募るから信用できない。

 大手というのは、一部の天才にだけ有用ということです。進学塾なら天才にはいい。しかし、大手の補習型の塾だと、大手のおかげというより、天才のおかげ、つまり、天才がもともとの能力で受かったということであろう、とわたしは思う。大手には、天才以外の子どもはみなお客さんです。カネを運んできてくれる大切なお客様です。進学塾の実績を出すのは天才だけです。努力型の秀才というのがいて、ここまでかな、と思う。努力型の並才が大多数である。これが大手のお客さんである。なんとか天才にあやかろうととにかく、この層の大手に対する信頼は半端なものではない。できもしないのに高望みする層である。だいたいこの層から受験失敗無気力症候群というのが生まれる。

 ◎漢検申込〆切ます。1年に1度だけの実施です。お申し込みいただいたみなさまには、ご協力を感謝いたします。なにしろ10名以上受検者がいないと団体受検の申込そのものができなかったからです。

 ◎新小4募集

  渋谷Aでは、新小4の募集をしております。都立小石川、都立桜修館をめざすなら、小4がベストです。早ければ、小3の2月から遅くとも小4の2月まで、これが合格を確実にするベストの入会のタイミングです。通知表の「よくできる」が、8割が、合格の目安です。入会をご希望の小4のみなさんは、竹の会のお問い合わせフォームからお問い合わせくださればと思います。

 

 ◎都立日比谷一直線

  竹の会で高校入試のための中学生の募集を再開したのは、去年の10月のことでした。幸いなことに、順調に、23区全域から、予定の数を集めることができました。その新中1の指導が始まったのが、3月です。新中1のみなさんが、数学と英語で四苦八苦しているのは承知しています。早い子で「1次方程式」「関数」を終わって、もう「平面図形」、遅い子だとまだ「文字式」でもたもたしていますが、いずれにしろなんともわからない。先に進んでいる子でも「文字式」で綻びが出てきており、英語については、まだまだです。これから夏に入るまでとにかく鍛え上げていくことになる。何度も前に戻り、検証はするし、「チェックテスト」も頻繁にやる、そしてできてないところ、わかっていないところを掘り出す、あぶり出す、ことになる。できないと嘆く前にとにかく1日5時間の勉強を実行することです。実行が最大の方法です。

  竹の会の新中1のみなさんの何人が、本物の受験生として生き残るか、生き残れるか、わかりません。都立日比谷をめざす、真に合格したいと願う、そういう思いが、本物の受験生を作り上げる、浮き上がらせてくれる、そう思っています。あなたたちに勉強に向かわせるのは、「都立西に入りたい」「都立戸山に受かりたい」「都立新宿に合格したい」、その思いが強ければ強いほど勉強に向かわせる、実行するしかなくなる。

 ◎時間を過小評価する親たちの愚昧

  世の親というのは、時間というものをかなり過小評価しているように思います。たとえば、小6になって、受検するために塾に通い、勉強もしていながら、他方では、さまざまな習い事、稽古事、スポーツもものにしようと励む人たちがいます。この人たちはどちらも大切でどちらも手に入れるつもりのようです。ただこの人たちには重大な誤解をしていることにおいて共通しています。それは、この人たちは、時間を過小評価していることです。単純に考えても、受検までの10か月、その半分を勉強、残りの半分をスポーツなどに使うということですよね。そしてこの人たちの中には、そう言いながらも、親戚の集まり、家族旅行、実家帰省などといくらでも時間を削っていくわけです。いったい実質どのくらい受検のための勉強にかけたのでしょうか。時間の過小評価もそうですが、その過小評価をした、本人の能力については、どうも過大評価、つまり過信しているふしがあるのです。大学受験で部活をやりながら塾にも予備校にも行かずに京大に合格した杉山太一君のことを思い出しましたが、彼は決して時間を過小評価していたわけではないと思うのです。いやむしろ時間の大切さ、時間というものが大切にしないとするりと逃げてしまう、消えてしまうということをよくわかっていたのではないか、と思うのです。だからこそ部活に流されない、勉強する「時」を全力で大切にしたのだと思うのです。それに彼の能力そのものがまた成熟度が高いと言えます。彼は小6のときにすでに大人でした。精神的な成熟度はもう大人でした。謙虚な態度を知っていたのです。これは中学生になって謙虚さの欠片もない、生意気な中学生とは比べものにならない、すぐれた才能を感じさせます。

 勉強するときに、集中する、全力をかける、というのは、時間の大切さを知っているからです。時間を過小評価し、過信ばかり強いのが昨今の親子です。漫画で時間を「潰す」、ゲームで「時間を無為に過ごす」、テレビを見て時間を「捨てる」、こういう時間を大切にしないバカはどうでもいい。そして根拠のない過信ばかりで、実行のないバカもどうでもいい。そもそも成功するわけがない。

 ◎ありもしない知識でプロを騙る似非専門家

 ありもしない知識でプロを騙る専門家というのがここそこにいますけど、福島の原発事故のとき、これまで専門家として尊敬されてきた、東大大学院の原子力工学の教授とか、東大病院の放射線科の部長とか、福島医科大の学長だとか、東工大の原子力の専門課程を卒業した原子力の技師たちとか、どいつもこいつも信じられない嘘つきだということがわかってきた。こういう連中は、「ありもしない」知識というわけではない。いやむしろ知識は豊富とみられてきた。が、知識が豊富だから、正しい判断をする、理の当然として、正しい判断ができる、というわけでないことをわたしたちは苦々しい思い出知った。

 だから専門家というものが、実は信用ならないとしたら、「ありもしない知識」でプロを騙る似非専門家というものが、その根拠とする専門家そのものの影が薄いのであってみれば、専門家を名乗ることも面はゆい話しになろうというものである。わたしたちは、医師が言ったから正しい、弁護士の意見だから正しい、とこのときばかりは自らの判断をミリ単位に過小評価してしまいがちであるけれど、なに、こういう連中こそ全く信用ならないと思っていてちょうどいいのである。医師が投薬ばかりして金儲けしか考えていない、弁護士だって自分の利益しか考えてない、すぐに取引して和解で決着をつける、これが今の弁護士の仕事である。あるべき正義の姿など求めてはいない。

 大手塾などもかなり、この専門家という基準では、割引して考えなければならないであろう。大手の講師は、大半が、学生である。大学生ならまだいいほうで、巷には、高校生というのもいた。まあ、これは例外ですが、大学生にしてもひどい。私立の文系の学生、つまり数学で受験していない学生が、小学生に算数を教え、中学生に数学を教えていたりする。慶應の理工の学生ならこれは問題はないとおもうけど、そういう学生ばかりではない。たいていはマーチあたりの学生である。お仕着せのテキストに突貫工事の知識で教える、そういうことではないか。学生は毎年変わるから、経験の蓄積などというものもない。わたしは、世の親たちがよくもそういうところに自分の子どもを預けるものだ、とその頭のレベルを疑ってきた。「うちの子は講師の先生と相性がいいので」とか言う親がいたけれど、まあ、愛想のいい学生、調子のいい学生と人見知りのバカ息子の取り合わせということでしょ。

 今もせっせと大手塾に子どもを通わせている親御さんには、いずれわかる時期がくる、しかし、そうなるまでわからないとはなんとも悲しい話しである。

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