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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

高校受験タイプと都立中受験タイプ

2020.08.18

高校受験タイプと都立中受験タイプ
 よく都立中受検に失敗した子に、「高校受験がありますから頑張ってください」などと慰めの言葉を言うことがある。この言葉は期待を込めての、しかし、どうなるかわからないという気持ちを込めての言葉である。ほんとうに高校入試で成功することができるのか。部活三昧で勉強に身が入らなくなるという恐れもなきにしもあらずである。
 さて、この言葉が真実性を持つのは、実は条件がある。そう、結局は、小学において、それなりの能力があったか、である。能力があったにもかかわらず努力不足で落ちたという子に対して言う言葉である。しかし、努力不足、というか何やかやと口実をつけて勉強しなかった子が中学になった途端に勉強するようになるかというと、その可能性は限りなく低い。たいていは中学に入るとたちまち部活に入り次第に部活中心の生活に陥り、勉強は先送りするようになる。つまりろくに勉強はしない。これが相場である。
 こうして中学に入って成功するのは、一部の能力は高く、強い向上心を持つ生徒に限られる。つまり、リベンジを果たせるのは、限られた子である。
 都立中受検型か、高校受験型か、改めて問うならば、高い能力があり、いや、潜在的な力がありながら、未だ幼いために、能力に目覚めていない、そういう子に限り、都立中受検は時期尚早ということになるであろう。もともと能力が低いために、学力が低い、伸びないという子が、中学に入れば、伸びるようになるかというと、そんなことはない。巷の塾の先生は、そういう子をも、大器晩成型とか、何の根拠もなく「男の子は中学から伸びていく」とか、「この子はこれから目覚めていく」などと親向けに調子の良いことを言うけれど、それは単に、生徒を繋ぐための、嘘である。
 因みに、竹の会の都立中受検失敗者には、中学で成功した子が多い。桜修館に落ちて、公立中から、日比谷、慶應志木に合格、同じく桜修館失敗組には、都立戸山合格がわかっているだけで、2名いる。両国失敗の子が、竹の会から都立戸山へ進み、一橋大学に合格したのは、最近、ブログで紹介したと思います。都立白鷗に補欠十番で落ちた女子が、今年東北大学に入った話しはすでにこのブログでご報告しました。
 都立受検型の子には、かえって都立高校に進んで、国立大学を狙うという方がわたしにはいいのかと思っている。わたしは、もともと高校受験が専門家である。能力のある子でも都立中は、競争率8倍前後の難関であり、落ちても不思議はない。竹の会では、これまで高確率で合格者を輩出してきたものの、都立中受検は、最後まで合否を読みきれないところがある。しかし、これが高校受験となると、話は別である。内申制度というのが、都立受験に不真面目な者を弾き出す働きをすることは周知のことであるとして、都立高校受験は、わたしには、99%の成功率を確信するほどに戦い易い仕事である。竹の会で高校受験をする、つまり成功するには、ある条件がある。指導者であるわたしの指示に100%したがうことである。これには、成績にまつわるデータを全てわたしに迅速に開示するという条件ももちろん含まれる。さらにわたしの指示は相当期間内に確実に実行されなければならない。この条件が満たされたなら高校受験は99%成功する。
 わたしは、都立高校受験、もちろん高偏差値私立高校の受験も、知り尽くした人間である。高校入試の指導を始めてもう35年になる。竹の会はかつては中3で埋め尽くされていた。次第に、中2、中1と集まってきた。そう、かつて平成元年前後は、親たちは、高校受験の準備なんて中3になってからそろそろ始めるかなどと考えている人がほとんどであった。めちゃくちゃである。「先生、中1の子が塾に行きたいというのですが、わたしは中3になってからでいいと思うのですが、先生はどう思いますか」などと平気で電話してくる母親がいた時代である。それまで勉強というものをろくにしてこなかった中学生を相手に高校入試を成功させなければならない。わたしはとにかく合格を勝ち得る、そういう技術を洗練させていったと思う。内申オール1の子から、学年ビリ、ビリから三番とかいうのも合格させた。この時に使うのが、最低点合格法という手法である。その詳細はまた別に譲るとして、学年1番とか、2番、3番とそういうのはざらにいた。いや竹の会で中1から育てた子はたいていそういう立ち位置にいた。進学校の落ちこぼれとか、不登校児とか、中学の女番長とか、番長も指導した。不登校児で思い出すのは、中2からクラスの全員に無視されたことから学校へ行けなくなった生徒だ。不登校児の内申はオール1とされている。その子を都立鷺宮に受からせた。500点満点の460点を取って合格した。本来なら青山は行けた実力である。内申さえあれば。彼は高校の三年間も、母親に懇請されて、指導した。東京理科大と千葉大工学部に受かって千葉大に行った。自閉症の子なら二人ほど見た。一人は、工学院へ、もう一人は都立の低いところに受かった。わたしはどのようなタイプでも頼まれれば必ず合格させてきた。

 しかし、本来は、秀才以上を指導するのが、最も私の能力を発揮できると思う。平成10年の合格速報に、早稲田実業高等学校に合格した生徒の記録がある。彼は立教新座高校を、皮切りに、早実の商業を撃破、続いて早実普通も撃破、その勢いに乗って慶應高校一次突破と快進撃した。竹の会では初めての大手併用型でない、純粋の竹の会っ子だった。小6のいつ頃入会したのかよく覚えていないのだが、日能研に3年通い、受験に失敗した子だった。たしか、桐光学園には合格した。慶應志望だった。小6の秋にはすでにお金を払っていた日能研の冬季講習も捨てて、竹の会へとシフトを変えた。すべてお母さんの意向であり、彼の選択であったと聞いている。竹の会に三年間通い、早実普通進学後も三年間通い続けた。早稲田大学商学部に進み、今は起業して独立している。竹の会だけで偏差値70レベルの高校に合格した。これこそがわたしの真骨頂だった。

 平成11年青山学院高等部に合格した女子かいる。この子は、桜蔭を受験して失敗した受験組であり、小学時代は、有名な大手塾に通ってきた。中学になっても、サッピックスに通い、中1の頃は首都圏3位という記録も残っている。しかし、中3になって落ちこぼれた。竹の会にシフトを変えたのは11月のことだったか。いや竹の会に入会したのは、中1の4月だったが、竹の会の基本指導を受けながら、サピックスを本体とした。慶應女子志望だった。中3の11月サピを止めて竹の会に専念した。竹の会の指導で青山学院高等部に合格。またしても懇願さらて高校三年間指導した。彼女は竹の会以外どこの塾にも行かなかった。彼女は、センターで点が取りきれず、私立にシフト、上智経済、慶應総合政策に合格した。竹の会の指導で大学受験成功。彼女のお母さんは、いたく感激したのか、大学の四年間毎クリスマスになると、彼女にワインを届けさせた。挨拶を欠かさなかった。彼女は今大手新聞社の第一線の記者として活躍している。
 本来わたしは知能が高くて、したがって飽くまで静かで穏やかな知性高い子を指導するのが得意であり、好きだったのである。わたしにそういう仕事があればわたしはどれほど幸せだったか。しかし、竹の会は名も知れぬ小塾である。竹の会の真価を見抜いて竹の会を選び竹の会に来てくれる秀才などほとんどいない。みな大手に行ってしまう。たまたま、たまたまである、竹の会に秀才が来てくれることがある。事情は様々である。たいていは大手で揉まれて受験に失敗したとか、いろいろと屈折した経歴を持っていた。最初から草枕に心酔し来てくれたこともあったけれど、多くは何かの挫折をきっかけに竹の会に目を向けてくれた、という人が多かった。
 わたしはもともと高校受験でもまれてきた人間である。受験のことは、高校受験で学んできた。私立難関の受験者よりも、都立受験者の方が多いからどうしても都立高校受験の専門家になってしまう。高校受験を指導するには、少なくとも大学受験をも視野に入れた科目水準が必要である。畢竟わたしは高じて大学受験までも手がけてしまった。竹の会の英語は、高校英語を念頭に置いたものとなっている。数学のバックボーンも高校数学にあった。実は竹の会の大学入試の成功者たちは、例えば、慶應にしても、上智にしても、みな数学で受験している。社会はスルーしている。竹の会の数学は、大学受験の数学を指導可能としての、数学であったのである。奥の深さこそが竹の会高校受験の本質であった。国語は、もちろん大学受験国語が母体である。大学受験のための参考書を読み高校受験国語として指導に生かした。竹の会の高校受験は、理科にしても、社会にしても、常に、大学受験の深みが背景にあったと思う。
 都立高校受験型か、都立中受検型か、という問いかけには、できれば、都立中受検で勉強してもらいたい。というのは、都立中の勉強のための竹の会の訓練は、勉強の基本の基本を習得する最高の機会だからである。すなわち受検するか否かに関係なく竹の会の指導を受けることは確実に基礎学力、思考のスタンスを身につけることになるから、たとえ受検に失敗しても中学で原動力となる。したがって高校入試もうまくいく。
 さて、その上で、高校受験を考えるとき、わたしの高校受験の目に敵うか、敵えば指導してみよう、という気になる。高校入試は、勉強しない中学生には何も語るべきことはない。勉強する中学生を、のみを相手にするのが前提である。その上で、わたしの目に敵う子でなければならない。だれでも見れるわけではない。特に、竹の会は、最低でも戸山、青山、譲歩しても新宿、駒場、小山台まで、そういうところを指導の力によって合格させることを守備範囲としている。となるとそれなりの、少なくともまともな能力は備えた子でなければ見ることはできない。部活で勉強を平気で先延ばしする子、つまり結局やらない子を相手にすることほどストレスなことはない。
 塾をやると必ずなにかしらのストレスはある。わたしにはこのストレスが耐えられないのである。勉強しない中学生はストレスである。生活態度の、乱れた子どもはストレスである。親がなにかと無理を言ってくるのもストレスである。かつて毎日メールを10通以上してくる母親がいたが、これには初めて恐怖と嫌悪を感じた。程なくして退塾の運びとなってホッとしたことがある。成績の上がらないことを言ってくるのは、たいてい母親であるが、竹の会に半年以上通って、進捗が捗々しくなければ、能力的な原因を考えたほうがいい。塾に何か言っても解決はできない。頑張るとか、そういう問題ではない。もともと入会時に、仮合格なりで入会しているなら当然に予測された事態であり、さらにはたとえ合格した子でも、実際、指導してみたら、外れだったということもある。だから、竹の会で、どうも進捗がよくないと感じたら、少なくともそれは塾に相談することではない。
 竹の会は、勉強する気のある、指導すれば、進捗する子を入会試験によって選抜し入会を許可し、指導を請け負う塾であるということを、最初から謳っている、申し上げている。
 もちろん竹の会の指導が、能力的には遅い子にも効果があることは知っている。どんな子でもそれなりに伸びることは知っている。ただ竹の会は、いや私はもうそういう子の指導は「いい」、卒業した、と言っているのである。
 竹の会が小塾ながらあえて入会試験をやるのは、伸び代のある子を伸ばしてあげたい、ただそれだけの理由です。伸びる素質のある子を伸ばす、それが竹の会の仕事だと決めたからです。確かに、かつては学習不振児がたくさんいたことはある、そしてそうした子たちをある程度までできるようにしたことはある。しかし、それでは、私はあまりにも不完全燃焼なのです。わたしは、磨けば光る、そういう子を発掘して、その子の潜在的な能力を引き出してあげたい、そう思うようになりました。わたしは伸びる素質のある子を思い切り伸ばしてあげたい、それがわたしの天職なのだとさえ思っています。
 竹の会は、お預かりすれば、最大限の指導を惜しみなく処方するでしょう。しかし、仮合格入会のように、最初から近い将来いずれ能力的な制約のゆえに壁に突き当たる、伸び悩む時がくる、指導の進捗が停滞する時が来る。親御さんは悩まれるであろう、が、わたしには、如何ともし難い事態なのです。仮合格というのは、もともとわたしが壁に突き当たることを予め予想した上での入会許可だったからです。
 また入会試験に合格した子の中にも時として、原因は不明ですが、学習進度が遅々として進まないという子も出てまいります。これは、なかなか難しい問題で、入会試験で選別しきれないことがあるのか、と問わざるを得ない。ただここで入会試験のレベルを上げることにはなかなか抵抗もあります。これまで十分に機能してきた問題だからです。
 仮合格にしても合格にしても、受検目的で通われているなら、進捗捗々しくなければ、受検は無理と考えております。その辺の判断もあって、渋谷教室スタート時はそのような理由でよく退塾を勧告していたというのもそれなりにあったと記憶しております。
 ただ退塾というのは、どうしても感情的なものがストレスとなる、それで、今は、極力控えて、親御さんの適切な判断にお任せしております。
 なお、現行の入会試験に合格できない子でも、現在小3に関しては、入会を許可している、のは、小3で指導の可否を判断するのは、時期尚早という判断があるからです。小3に関しては、少しようすを見て見ましょうということです。

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