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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立戸山に入る/都立中受検か高校受験か/入会試験の真実/

2016.05.08

 おはようございます。本日は、渋谷Aの指導日です。実は、金、土と入会試験を実施しました。結果は、残念ながら不合格でした。塾の子のお母さまにちらっとそういうことをお話ししたら、「入会試験に落ちるということもあるのですね」と驚いていられた。それはあります。実は、去年は小5も小4も来なかった。ただ正確には、入会試験に合格できなかった、ということでした。もっと正確には、入会試験の受検者がほとんどいなかった、です。世の親御さんというのは、どうしても大手を「信用」される傾向が強い。これは、大手に2年以上通って受検に失敗し、今度、中1になったというお母さんの言葉によく表れていた。「大手を信用してきた」と言った。同じ言葉をR(渋谷Bの亜種)について問い合わせてきた都立中失敗の母親からも聞いた。「ずっと大手を信用してきた」と。世の親たちが、なぜ迷わず大手を信用するのか。それは、大手以外にまともな塾があるのか、と問えば見えてくるかもしれない。昨日入会試験に落ちた小5のお母さんは、近くの個人塾に小1から小5の今まで通わせている、という。世のお母さんたちも悩んでいる、ということでしょう。

 渋谷でもう30年以上塾というものをやってきたわたしには、塾という仕事に携わっているからわかる真実というものが見えてくる、と思う。小学でもっとも大切な時期、小4から小5の期間を「訓練」、「教育」することもなく、漫然と「テキストと自習」をさせてきた、という塾の不作為に憤るというより、個人塾というのは、実は何もポリシーもコンセプトも具体的方法論も持ち合わせていないのだということをまず知っておいたほうがいい。基本的に、勉強を教える、わからないところを教える、というただそれだけのことしか考えてない。既製のテキストを使って教える、あるいは自習させる、何の工夫も知恵もない、お粗末な程度である。そもそも個人塾というものに期待など持たないほうがいいのである。かといって、大手を信用する母親たちの子を思ってのことではあるが取り返しのつかない選択はなんとも悲惨なことである。

 大手を信用する、そして子を大手に通わせる、それも小4、小5、小6の時期、これが悪魔の選択となるであろうことも知らずに、ほとんどの人が受検に失敗して、区立中へ行くことになる。これほど滑稽な話はない。竹の会で訓練を受けた子たちがそういう子たちを足下に見てトップクラスを維持してトップ都立高校へ難なく合格していくというのもわかる気がする。

 大手に通う大半の子たちは、特に、都立中受検を謳う大手塾に通う子たちは、進学塾型の大手塾とは、違った意味で確実にバカにされてしまう。そもそも小学生に「やりかた」を教えてそれがわかれば「わかった」として扱う、そこのところが間違っている。「やりかた」が「わかる」のと、実際に「できる」のとは違うのである。計算のやりかたがわかればできるというのはありえない。大手に1年間通ったという子が、竹の会にやってきて「計算はできる」と言い、「割合もわかる」と言うけれど、それではと言ってベタな問題を解かせて解けた試しがない。計算の正解率も4問中1問できていればまし、である。それではそういうこともできないで、大手では何をやっていたのか。適性類似問題ばかりをやっていた、ということでしょ。どうせまともにわかるわけはないから、講師の授業をただ聞くだけ、ノートするだけで一年を過ごしてきた、そういうことではないか。

 大手の巧妙なところは、決して難しい問題はやらない、ということである。ここが進学塾とはちがう。進学塾でそんなことをやっていたらとても合格実績など出せない。だから進学塾では必ず落ちこぼれが出る。これは、必然的なものである。だからそのために別に補習塾に行ったり、家庭教師についたりするのである。親もつきっきりでホローする。ところが都立中受検型塾では、算数や国語の実力が直截には見えてこないように見事に躱されている。オブラートに包まれている。易しい問題で構成されたテキストばかり解いているから、「できる」と錯覚を起こすしくみである。テストだって易しい。つまり「できない」「わからない」ということが見事に表面化、問題化しない体制になっている。中学に進めば中間テストや期末テストがあるから子どもの客観評価というのがたちまち露わになるから、親たちはそのたびに飛び上がる。ところが、都立型大手塾ではそういうことにはならないのである。適性問題という大義名分が子どもたちのバカを隠す。表面化させない。

 どこかいい塾はないですか、という質問をされることがよくある。塾の先生に他塾のいいのを知らないか、と問うてくるのである。それは入会試験に落ちて竹の会に入れないとなったときに発せられる。わたしは他塾のことなどとんと知らない。やたらと誘われてきた塾の団体にも背中を向けてきた人間である。いつも現場で実際に子どもたちを指導する中から、よりいい指導の方法をというものを追究してきた、それがわたしのやりかたであった。一年一年が勝負であった。合格という結果でなんぼの世界である。目に見えない結果を出しても、大手を信用する親たちには評価されるはずもない。たとえば、小学時代にわたしの指導を受けた子たちが、区立中でトップレベルにあること、有名進学塾でトップクラスにいること、勉強のスタンス、習慣というものを身につけていく姿、考える姿勢というものがわかっていくようす、そういう目に見えない過程、そういうことが世の大手を信用するしかない親たちの目にとまることはないのである。

 わたしは小学4年、5年、6年において、小学生を指導訓練する達人と思っている。わたしほどの指導ができる人がこの東京にいるのか、知らないが、少なくとも竹の会だけは、本物の指導ができる塾と思っている。大手に1年ないし2年通ってバカになった、取り返しのつかない子たちの行く末は暗雲が立ち籠めている。計算も不慣れ、割合という思考枠組みもない、したがって、思考ということができない、そういう子たちが、区立中に行って、どういう過程をたどるのか。そういう子が部活中心の生活をするようになったら結末はどうなるのか。中程度の都立にも行けない、最終学歴が、中退率の高い私立高校ということは見えている。

 都立中を夢見た親子が、大手を信頼し、大手に託し、結局着地するところは、不良生徒ばかりが集まる低偏差値高校ということでしょ。環境が人を創る、という。周りにバカばかりの高校である。勉強ができないというだけならまだいい、生徒の質の悪さからくる人間的な最悪の汚染環境の中に、部活にのめり込んだ、まだまじめさの残る子どもが放り込まれる。中途退学の多いのには理由がある。

 戸山の学園祭に行って見ればいい。質のいい、賢そうな生徒たちが、生き生きと活動している光景を。質の良さは、駒場高校、新宿高校でも変わらない。生徒が賢いから、低偏差値校のようないじめというものはない。かつて区外の都立の工業高校に行った頭のよくないタフガイがいた。喜んだのは「都立合格」の日だけだった。入学して1か月で止めた。教室には、金髪の見るからにごっついワルばかりがいた。件のタフガイとはワルのレベルが違ったのである。低偏差値の私立に入って3か月で退学した生徒は、部活で絶対服従を強いられ、暴力を振るわれて、反撃して退学となった。およそ勉強とは関係のない高校があるのである。すべては小学時代の選択、安易な選択から始まったことである。

 大手を信用して、子どもにもっとも大切な期間を使って、バカにしてしまった親のみなさんは、自分の無知な判断の代償を中学から払わされることになるということは早晩わかるでしょう。

 中学になって、小学の黄金時期(小4-5)のように、時を止めて時間を潤沢に使い子どもの指導訓練をする、ということがもはやできないことを知ることになる。6月中間テスト、7月期末テスト、場合によっては、9月テスト、こうして2か月置きに定期テストという学習評価が下されるベルトコンベアの上に乗ってしまったら、もはや基礎からやるなどということができないことに気がつくはすである。ベルトコンベアは最終学歴地である、低偏差値私立高校へと無事送り届けてくれることでしょう。

 竹の会を胡散臭い目で見たみなさんが、それはまあ大手を信用するという裏返しの目なのでしょうけれど、早晩行き着くであろう最終学歴地というものがわたしにはよく見えています。わたしは、みなさんに、小4の今、小5の今こそが、あなたの大切な子どもたちを訓練する、いちばんいい時なのですよ、と訴えてきました。しかし、わたしの真摯な言葉に、ウソ偽りのない言葉に、大手絶対と洗脳されたあなたたちが、耳を貸すわけはなかったのです。

 竹の会のような塾は、ほかにはない、わたしはそう思っています。なぜって、竹の会はわたしがわたしだけがつくって、作り上げてきて、わたしなしにはない、そういう塾だからです。東京にぽつんと1つだけある、小さな塾、竹の会、小5だって5人がぎりぎり、ほんとうに少しだけの子どもたちがきてくれる、何かのきっかけで目を留めてくれた親御さんが、竹の会を選んでくれた、ほんとうにたまたま、知った、それだけの出会いでした。大手のように宣伝する資本もありません。また竹の会が宣伝すれば竹の会を知らない人はきっと胡散臭い目で一蹴する、一瞥する、そして無視する、頭の中を通りすぎるだけでしょう。だから竹の会が知られることはないのです。

 ところで、竹の会の入会試験というのは、3タイプがあります。通常は、「入会試験Ⅰ」というのを使っています。この試験の対象は、小4の2月を標準としています。この時期に、6問中5問をA合格、4問をB合格、3問を準合格としています。準合格は空席があれば入会を許可しています。今年は、この準合格者が、富士、白鷗に合格しています。

 この入会試験に落ちる、ということがあるのか、というと、毎年数人が落ちています。いちいち落ちた人を公表しないのでわからないが落ちた人はたくさんいます。だれでもかれでも入れてたら、去年のように渋谷Aがいつもガラガラということもなかったてじょう。しかし、竹の会としての質、渋谷Aの質の維持は至上命令、譲れない条件です。巷の塾のように来るものは拒まず、ということはしない。やせ我慢かもしれないが、竹の会の品質を自ら壊すことはできない。

 入会試験Ⅰを小5の2月、つまり小6直前に使うことの意義は正直迷っています。小5の2月以後に来るという子はたいていどこかのたぶん大手に行っていた子でしょ。そうすると例によって何も訓練されていないことのほかに、まともな教えられ方をしてきていないために頑固な癖を身につけてしまっている、そこからくる指導の困難さというものもある。とにかくすぐに本論には入れない。それでとにかくも基本というものの訓練からやり直すことになる。この時期の子たちに「入会試験Ⅱ」を使うという選択もあった。ただこのⅡのほうは、竹の会で順調に小5の1年をかけて訓練をしてきた子で何とか対応できるという実験データがあるから、Ⅱを使ったら、合格者はいなくなるだろう。

 そういうわけで小5の2月以降から小6についても、Ⅰで対応しているけれど、小5の2月の合格はその後の伸びを必ずしも保証しないであろう。ただ小5の2月以降にこの試験に合格できない、ということは、この試験の反面的効用として、つまり、小4の2月に合格できる子がいるのに、小6になっても合格できないということが、その小6の低水準を証明することにはなる。しかし、合格したからといって、積極的に能力ありということにはならないだけのことである。それには、「入会試験Ⅱ」ないし「Ⅲ」に合格する必要があるであろう。

 小3から小4の前半についての「入会試験Ⅰ」の使用については、未確定な要素が多い。ただ最低でも、Ⅰの1番、2番はとる必要はある。入会試験を始めたばかりの頃は、現Ⅰの最初の3問だけで構成されていて、2問正解で合格としていた。このとき、小3の12月に合格した子が、今年九段に合格した女子であった。小3については、使用できる入会試験の開発が急がれる。少なくとも5問形式で、潜在能力発見につながる問題創りをと焦っている。

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