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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立戸山への道、最低でも都立駒場・都立新宿、都立残念組の親象/竹の会英語の系譜/その他

2016.05.10

 遅くなりました。朝から雑用その他に追われてようやく時間がとれました。今日は朝からどんよりと曇り空ですが、日暮れから雨ということです。

 さて、渋谷Aは、現在小4、小3のための逸材枠(3)を残すのみです。渋谷Bについては、部活でAに通えないという生徒、基本訓練を望む小学生を想定しておりました。入会試験に落ちた場合、入会の機会はこれまではありませんでしたが、今後、渋谷Bでは、このような入室もありうることになりました。ただし、小学生を訓練するに最適の時期、つまり小4後半から小5前半に限り、かつ竹の会で指導を受けたいという熱意を感じた場合のみの特例措置とします。

 渋谷Bについては、Rコースを検討していますが、解決しなければならない難しい問題があり、現在保留のままです。レジュメをやりあげて出すというリズムがとれない子が出た場合にコースとして成り立たないのではないか、という危惧です。それよりも、とにかく熱心に通ってくるなら、入会試験に落ちても、これから基本的な学力、思考の作法だけは、つけてあげることができる、そういう現実的な対応を意味あるものと考えました。渋谷Bについては、なかなか普及せず、どうしたものか、と思案しておりましたが、今後は、入会試験に落ちた小学生の受け皿としての意義を再認識できるほどに効果を出していきたいと考えております。

 ◎都立残念組になる親、生徒とは

 竹の会というのは、実は、開設当初から、駒場や新宿、そして青山の合格者が多かった。毎年普通に出た。今、HPで合格実績として掲載しているのには、実はかなり漏れがある。わたしの怠慢で気がついてもそのままにしているからである。

 昭和62年に初めての入試でしたが、都立駒場を出している。この子は指定校推薦で芝浦工大へ行ったと連絡があった。都立大附属の2人は、一人は男子、一人は女子だったと思う。今、顔を思い浮かべながら書いている。都立目黒は、女子でこの子は東洋英和女子大に進んだ。青山学院高等部に合格した男子は、前哨戦の市川にも合格した。国学院久我山に合格した女子は、そのまま国学院大に進んだと聞いている。竹の会花の一期生たちであった。当時の竹の会には、常時20~30人の中学生がいたけれどほとんど忘れてしまった。

 昭和63年の駒場ははてだれだったか。都立芸術は覚えている。久我山は偏差値38から指導した男子だったと思う。富士見はあの女子かなと思う。都立大附属もたぶんあの女子かなと思う。平成元年の都立国際は初めての募集で22倍の難関だったと記憶している。渋谷区で竹の会の子だけが受かった。平成2年の新宿とはだれだろうか。あの3兄弟の一番上だろうか。今は小学校の先生をしている。獨協中は竹の会初めての中学受験だった。この生徒は獨協高校を卒業するまで竹の会にいた。東京理科大に指定校推薦で入り今は建築士として働いている。平成3年の都立戸山高校は、青山学院高等部に合格した女子のことだ。この年、新宿と駒場に合格したのは、心当たりがある。駒場の生徒は、駒場高校の3年間も竹の会で勉強している。中央大学法に進んだ。今は都の消防局に勤務している。平成4年に青山に3人合格している。たぶん一人は男子(後に明治へ)、2人は女子だった。桐蔭理数に受かったのはだれだったか。平成5年の都立大附属、特定できない。平成6年の都立青山、だれだったかな。新宿は覚えている。バレーをやっていた。平成7年の成城学園は、光塩女子小の子かな。東邦は今医師になっている子なのだろう。平成8年、都立青山2人、新宿2人、はてだれかな。昭和女子中の女子はよく覚えている。平成9年都立青山3人。これは覚えている。青山に行ったのは、男子2人、女子1。女子はその後慶應文に進んでいる。男子は、一人は東京理科大である。この年の駒場の2人は、ふむ、一人は女子だった。平成10年鈴木君が早稲田に受かった年だ。このときの駒場に合格した男子はその後早稲田大に合格している。都立三田に行った女子も覚えている。ゆかりちゃんが日大二高に合格している。平成11年都立青山は、だれかな。駒場はだれかな。青山学院高等部は女子で慶應大に行った子だったな。平成12年に新宿に3人合格している。一人はわたしの長男です。都立青山に行ったのは男子です。後に法政大に進みました。平成13年には都立西はわかる。国際はオール5の女子でしたね。新宿というのは、例の3兄弟の一人かな。

 どうでしょうか。実はあの合格記録には、目黒とか、広尾とか、松原とか、千歳など夥しい数の都立合格者たちを挙げてはいない。こういう都立の合格者を合わせるととんでもない数字になるであろうと思う。

 昔から竹の会は都立高校専門の塾であった、ということが、ご理解いただけたであろうか。

 さて、そういうわけで、わたしは昨今第一志望の都立高校に落ちて、不運なのかどうか、行きたくもない滑り止めの私立に行くことになった、多くの人たち、つまり都立残念組の実像というものに触れてみようと思ったしだいである。昔と今では、都立の制度そのものがちがい、一概には言えないけれど、つまり、昔も落ちる生徒はもちろんいたけれど、今のように、都内全域の生徒が有名都立に集中するようになると、比較にならないほどの悲惨なケースも現実になってくる。都立は2倍だともうかなりの倍率になる。しかし、2倍といってもその内実は実力拮抗者の戦いである。内申が高いけれど実力はないという人たち、内申はないけれど実力はあるという人たち、内申も足りないけれど実力的にも今ひとつという人たち、この3タイプに分かれる。もちろん内申も実力も高いという少数もいる。昔のようにチャレンジャー、つまり内申も足りないけれど実力的にも今ひとつという人たちは、少ないのかな。とにかくこういう中での合否の「読み」はなかなかに難しい判断を迫られる。それにVもぎとW合格もぎの合格基準総合得点がまるで違うという、ふざけた話しもある。たとえば、戸山にしても、男女それぞれ100人前後が落ちているという現実がある。この残念組が行くことになるのは、併願私立であるけれど、なんとも鬱屈した精神の宿る話しである。

 まず塾に行かないで、駒場、新宿クラス以上をめざすというのは、残念組を覚悟しているということでしょ。学校の授業は高校に合格することを保証しないということは当然の認識でしょ。さらには、中3になって塾へ行くことの無意味さはすでにこのブログでも散々書いてきたことである。戦略も何もない、そのへんの個人塾などは残念しか保証しない。もともとの優等生が個人塾でできるだけというのが実体である。都立をめざしているのに大手に行くバカがいるけれど、都立だけは大手ではダメである。

 竹の会では、高校受験をめざすには、小5、少なくとも小6の4月から1年間の基礎訓練が必要と認識している。小6の2月には中学の指導ができる前提が整っていなければならない。小6の2月になっても、割合も理解しないではどうにもならない。受検失敗組で大手に2年も通っていたのに、竹の会の入会試験Ⅰに合格できないというのはありえない話しである。わたしは受検失敗組、都立残念組の親たちの無責任な判断こそが責められてしかるべきと思う。「大手を信用していた」とみな同じことを言う。その信用の根拠とは何なのか。豪華なパンフレット、案内書、鉄筋の教室、派手な宣伝、スーツを着た講師、などなど、バカな親たちを騙すのには、これだけの装置で十分なのでしょう。大手の言うことならまるごと信じる、そういう精神構造こそ問題でしょ。今の世の中というのは、自分の感覚、判断に根拠しなければ、とんでもないことになる。国は、平気で毒薬を新薬として認可しているでしょ。日本だけですよ。レントゲンの取り放題なんて。会社員が毎年定期検診で放射能浴びて、30年もすればガンになる、そういうしくみです。これは年金払わなくて済むし、高齢者対策にもなる、そう勘ぐってみたくもなる。老人を薬漬けにしている今の日本の社会なんて、絶対におかしい。わたしたちは、大手というだけで、信用する、そういうことを言っていては、被害者になるしかない。事実、都立残念組、受検失敗組は、被害の態様は違っても被害者です。受検失敗組は、思考力の欠如、基本の欠如という、状態で中学に進むしかないし、都立残念組は、これほど日の当たらない人生はないという、惨めな道を歩むことを強いられる。

 すべては小4、小5から始まっている。このときに、訓練しておかなければならないことがある。それから竹の会指導というものをなめてもらっては困る。甘く見てもらっては困る。そのへんの塾といっしょにしてほしくない。竹の会にとっては、大手も信用ならない塾である。世のお父さん、お母さんたちは、東京で本物の塾を探すしかない。巷の塾をいろいろ体験して、塾とは「そんな程度だ」などとゆめゆめ決めつけないことだ。そんな思い込み、尊大な自信などは、竹の会に来て見ればすぐにたちまち崩壊してしまう。すぐにわかることだ。竹の会にきた子たちが、親たちが、必ず言うことがある。「なんでもっと早く来なかったのか」、「早く来ていれば・・」とみなおなじことを言う。東京の渋谷の駅そばにポツんとある小塾を軽く見るのはけっこうです、ほとんど注目もしないのもけっこうです、そしてあたりまえのように大手に行くのもけっこうです。都立残念組の実像とはそんなバカ親たちのステレオタイプ的行動なのですから。

◎竹の会英語指導の系譜

 竹の会というのはもともと数学で名を馳せた塾である。昭和62年にいきなり青山学院高等部に合格させたのも、数学の力であった。都立駒場や新宿に普通に合格させたのも数学の力であった。平成元年当時、周辺には評判の英語塾が犇(ひし)めいていた。そういう中にあって、竹の会の受験英語体系の確立は焦眉の急であった。わたしは片っ端から市販の英語参考書を読み、塾専用の英語教材を分析した。高校用の英語教材を十数冊買い込んで読み込んだりもした。高校受験には、過去問を使うのが本道であったが、わたしは当時周辺の英語塾を凌ぐ竹の会英語の確立に没頭した。そういう中で、とにかくも「英語指導案」というテキストをたたき台として作った。実際に使用しながら、さらに、研究を進め、英語指導案3部作を完成させた。さまざまな英語プリントも制作した。

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 その後、都立新宿高校などの生徒を対象にした授業の講義録を1冊にまとめた。

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 早稲田実業受験生のための英語テキストを制作した。幻の名著と言われた「英語ポイント集」

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 慶應女子受験生のために執筆したテキスト

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 これまでの竹の会英語の集大成「新英語指導案」の完成

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 偏差値70の英語受験の切り札 「英語ポイント集」の実質的復刻版

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 竹の会英語は、今は、中学生の泣き所を徹底分析し、訓練用としてさまざまな英語レジュメを完成させ、一気に受験レベルにもっていく、竹の会英語体系を完成させている。

 英文解釈指導は、わたしの大学受験指導の源泉、5文型思考に徹底してこだわったものとなる。常に5文型をまず問う。竹の会の英文読解訓練には、プログレス英語テキスト、高校用読解テキスト、大学入試用テキストを必要に応じて使い分ける。効率よく合格レベルに仕上げる、竹の会独自の、いやわたしの好みの英語指導体系の完成です。

 

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