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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立新宿・駒場・青山・戸山・西・日比谷/小石川・両国・桜修館/結局速い子が受かる

2017.03.22

 おはようございます。昨日のしょぼつく雨から一転して見事な快晴です。春何番でしょうか、強風が吹き荒れています。雨の日の着陸というのが、要するに低気圧の中に突っ込むということで大変なことだということを実感しました。強行日程で朝5時起きを2日連続、そのあおりか今日も5時に目が覚めて困りました。しかたなくたまっていた仕事を片づけることにしましたが、大量のレジュメの添削準備もさることながらなかなか指導の進捗のはかばかしくない子のためにいろいろとレジュメを創作しなければならずこれもかなりの負担になっております。入会試験でA合格をとるほどの子ならこういう仕事はまずないのですけれど、いずれにしましても、入会試験の合格者をA合格にしぼるということは焦眉の急のようです。またすべての小学生の指導が軌道に乗ることには懐疑的であり、場合によっては指導を打ち切らざるをえないことも当然想定しております。また新中1につきましても、指導は暫定的なものとしてご理解していただければと思います。と言いますのは前年度に引き受けた中1につきましては小石川残念組ということで伸びる見通しに確信があった子たちであり、事実成績はこの1年間ずっと伸び続けて学年トップクラスを維持してきました。しかし、今年の新中1につきましては、その点に懸念をもっての指導スタートであり、事情がかなり異なっております。今後の見通しに不安を持っているというのがわたしの正直な感想です。能力的な点もさることながら、中学では勉強熱心度が核となることもあり、この点で失格ということも大いにありうることであり、推移を見守るしかありません。

 これはひとつの真理なのかと思うのですが、「速い子は受かる」というのがあります。戸山に受かった子たちや小石川に落ちて現在中学で活躍している子たちの知能というのは相当に高いと思います。このようなもともと知能優秀な子たちもこと都立中受検に関しては、実は「落ちる」ということが懸念されていたということはわたしの中では実は確信に近い不安だったわけです。それはどういう根拠あってのことか、ということですが、要するに、「速くなかった」のです。25年に小石川に受かった女子がいましたが、とにかく速かった。適性レジュメですが、あれは1問を1枚のレジュメで扱うのが普通なのですが、そうすると本番では、せいぜい10分で解かなければならない。ところが、これを1時間も2時間もかける子たちがいるわけです。結局「わからない」というパターンがもっとも多く、ようやく持ってきてもたいてい間違っている、これがお決まりでした。要するに、時間のかかる子はだめなわけです。28年に戸山に受かった子なんかも25年に桜修館を受けていますが。歯が立たなかった。かれはかなり知能の高い子です。しかし、適性レジュメにとにかく時間がかかりすぎました。今でもなかなか出せなくて「家でやってきます」などいう子がそれなりにいますが、これは正直よくない兆候なんです。10分か15分で出せないというのは落ちる前兆です。これには早稲田進学会の模試に全く成績を残せなかった子たちは当然として、何度か名前を載せた子たちについても、程度の差はあったけど、やはり速く出せなかったという事実が見事に不合格を予想していました。

 剣の道では、腕の立つ剣客の剣は速くてほとんど見えないと申します。しかし、研鑽をつむうちに「それまで全く見えなかった竹刀の動きがよく見える」、急によく見える、そういうときがくるのだそうです。久しぶりに以前は歯が立たなかった相手と向きあって相手の動きが緩慢に見える、動きがゆっくり見えるということがあるのだそうです。そういえば、王選手が現役の頃、ピッチャーの投げた球が一瞬止まって見えたというようなことを言っておりましたが、自分が「速い」ということは相手の動きが静止に近いという相対性原理みたいなものでしょうか。「力がつく」とは、速くなる、もちろん正確さは前提ですが、そういうことなのではないかと思うのです。問題が簡単に見える、そういう段階に達するというのは、これは自分が速い、速くなったということです。時間がかかるというのは遅い、遅いというのは、相手の動きが見えない、ということです。速さを身につけるために日夜勉強するということです。勉強をしたりしなかったりというのが、自分をのろまにするための所為だということは当の本人たちにはわかっていないようです。子どもが勉強したいというのは速さを身につけたいからです。親がそこで勉強の邪魔をする、あるいは勉強以外のことに力を入れさせるというのではいつまで経っても速さは身につかないでしょ。速さというのはどうしたら身につくか。それはもうひたすら勉強に専念するしかない。どこまで集中しきるか、没頭できるか、これです。

 適性の問題の意味が「わからない」でトンチンカンな答えを書いてくる子がいますけど、常識もはたらかせられないわけです。ペットボトルの破片を水の中に入れて浮かぶかどうか調べる、これは沈むわけです。しかし、ある濃度の食塩水だと浮かぶことがわかっています。このとき20%の食塩水の作り方を問いつつ、浮かぶかどうかの判断を求める問題がありましたが、濃度の作り方も間違っていましたけど、それよりも1gの食塩水をつくって調べる、と答えた子がいましたが、1gの水にどうやって破片を浮かべるのか。これはそもそもの問題の意味がわかっていないわけです。よくわたしに問題の意味を質問してくる子がいますけど、適性問題というのは質問はもちろんできないし、当人が持つような疑問はそもそも成立していないのです。要するに、問題の意味がわからない、そういうことなのです。遅いというのは、わからないと同値であり、適性は時間内に解けなければならない問題なのです。というか試験というのは制限時間内に解くことが当然できるほどの子が受かるようにできているのです。時間がかかるというのは「わからない」からでしょうが、それが速さがないということの実質的な意味です。わかるから速いのです。試験というのはつまり速さが求められているということです。高校受験だって同じです。英語なんか時間内に長文を読解できなくて問いに答えるまでいかないという生徒が続出しますけど、長文を読むのが遅い、訳を読み下すのが遅い、というのが、努力の絶対量が不足していたことを証明しています。英解に集中してきたか、没頭してきたか、です。かけた時間が少なければ遅いのはあたりまえです。速くなるためには想像を絶する勉強量が必要なのです。受検生ないし受験生のみなさんが「遅い」という状態から脱皮できないとしたら、それは受験の不首尾を暗示している、そう思って間違いありません。時間を余らせる必要ない、集中しきって問題を解く、その速さこそ問題なのです。普段から「速く」なるために努力するのです。問題を読むときは、一心に問題に集中して、その意味をとることです。くれぐれも常識とかけ離れた脳天気な結論を出してもそれにさえも気づかないということのないように祈るばかりです。

 そうすると勉強の、試験勉強の仕上がりというのはこの速さがメルクマールになる。よく定期試験で「数学で時間が足りなかった」とか、「英語で時間ぎりぎりだった」などという生徒がいますけど、それは速さ不足イコール勉強量不足なんです。選科が苦手という生徒なんか、選科に時間をかけてない、それでいい点をとろうとしている。いいですか。試験で速さを発揮するためには、その何倍もの時間をかけて走り込まなければならない。つまりそれに時間をかけて集中して勉強しなければならないということです。時間がかかる子というのは、普段の勉強において、継続と集中ということを蔑ろにしているからです。継続とは、やたら勉強のリズムを、いや生活リズムを壊してはいけないということです。今日は習い事、明日は稽古事、こんなことをやっている子にはこの継続がないわけです。ですからこういう子というのは絶対に速さはない。速さというのは、深い理解、正確さというのが前提でなければ出てこないのです。遅い子というのは、時間がかかるということですが、それは、理解が浅い、不正確、それでわからない、ということです。

 それから集中です。もう一心に意味をとることに注意を傾けなければ、つまり傾注しなければ速さは生まれないということです。時間のかかる子、遅い子というのは、無駄なことに時間を費やしすぎるのです。これなんか本番直前にわかります。集中が足りないというのは、緊張感がないということです。集中というのは緊張というのと表裏なんです。ですからも試験直前によくしゃべる、大笑いする、やたらはしゃぐ子というのは、この緊張感に欠ける、つまり集中できる態勢にないのです。集中と緊張というのは無口になる、それは思い詰めるほどに無口になる。

 

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