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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立日比谷、西、それから戸山という選択

2016.01.23

 おはようございます。いよいよ冬将軍の来襲です。なぜか関東は今回の大雪からは外れたようです。受験の時期と大雪はわたしの記憶にも焼きついております。大学受験のときは大雪でした。3月の3日、4日、5日の3日間、深夜降り続いた雪が朝方止んで道路一面雪に覆われた光景が広がります。大学まで路面電車に揺られて行ったこと、ぞろぞろと受験生が正門に続く光景はなんとも言えぬ心持ちであったことなど、ともすれば頽れそうになる心ををなんとか支えていた自分とはいった何であったのか。一度だけ受けた模試では「圏外」の烙印を押され、自分で設定した合格する想定をただ信じるしかなかった。想定とは何か。英語なら、赤尾の豆単を完全丸暗記すること、熟語と合わせて1万語を覚えること、豆単を読んだ回数は50回を超えた。語呂合わせを作って覚えた。とにかく覚えた。原仙作の英文標準問題精講を20回以上読み込んだこと、文体から著者がわかるまでになったこと、そういうことがわたしの想定の内容だった。数学なら、Z会の通販で手に入れた数学Ⅰ・ⅡB200問をひたすら読み解くこと、これも何十回読み込んだかわからないくらい読み込んだ、日本史、世界史なら、山川用語集を丸暗記すること、である。ボールペンで完全に覚えたら、黒く塗りつぶしていく、毎日、ただただ読み込んだ。わたしを支える想定とはそのようなものだった。他の多くの受験生が偏差値で格付けされて、合否を客観的に把握しているのとは本質的に明らかに異なっていた。ともすれば押しつぶされそうな心を奮い立たせた。昼休みには葉巻を燻らせて無意味な行動をとっていた。当時夢中だったマカロニ・ウエスタンのガンマンがやたら葉巻を燻らせる、そういう姿に憧れた。なにかに支えられていなければたちまち崩れ去る、そういう危うさを持ち合わせていた。偏差値は「圏外」、そのことは考えないようにした。しかし、それは実はある意味死刑判決に等しい。そういう制度との対決をしていたのかもしれない。

 初日の数学が、90%できた、とにかく1問ごとにA4の真っ白な解答用紙、5問だから5枚、すべてに100分ぎりぎりいっぱい使ってびっしりと数式を書いてきた。原始的な、おそらく数学センスのない解き方をした、そういう思いはある。ただとにかくありえないような式を代入してとにかくも0という結論が導けたとき、終わりを告げる鐘が鳴ったことを覚えている。第1日目試験を終えて正門を出るともう予備校が解答を配付していた。もらって読みながら歩く、ほぼ正解、足取りも軽く、旅館に向かって歩いた、あの日、あの時の光景が目に浮かぶ。鬼門だった数学ができて気が楽になった、英語、国語、日本史、世界史、生物ととにかく自分のできる解答をしてきた。偏差値もない、なにもない一匹狼の受験であった。

 勉強するとは、覚悟である。そういうことをいちばんわかっているのが自分だと思った。もし難関という試験を志すのであれば、そして合格したいと思うのであれば、まず覚悟することである。多くのその他大勢になるか、合格者になるか、その違いは、覚悟、勉強の覚悟のちがいにある。

 平成13年都立西高校合格Y君のこと。小6の4月入会。「東京工大に行きたい」、そう言っていた。代々木中学の3年間、驚異的な勉強実行力の人であった。慶應大理工進学。

 平成10年早稲田実業高校普通、商業W合格S君のこと。小6入会。「慶應志望」と言っていた。上原中の3年間、生徒会長、柔道部長をこなしながら、勉強実行力の人であった。早大商学部進学。

 勉強実行力の人は、盆だ正月だで勉強を休むことなど決してない。そういうことはありえないという常識、前提の人である。いや親がそういう認識ではブレがなかった、高学歴、高い見識の人であった。

 平成20年都立西高校合格Iさんのこと。小6の4月入会。松濤中入学の時から、「都立西に行きたい」と夢を抱いてきた。この人も勉強実行力の人であった。お茶の水女子大進学。

 平成27年都立桜修館中等教育学校合格Tさん。小4の2月入会。わたしが小学生で文句なしにあげる勉強実行力の人である。

 勉強実行力の人は、わたしの課す課題を100%果たしてきた、盆だ正月だが勉強をしない口実には決してならない人たちということにおいて共通している。そして不思議なことに、親御さんが勉強に口だしすることは決してなくいつも温かく一定の距離をおいて見守っている、そういう点において共通していた。

 過保護が普通の社会である。親たちの過干渉が、いつまで経っても子を自立させない、大人にしない、幼いまま、そういう子たちが、さしたる覚悟もなく受験に踏み込む。親の覚悟もさしたるものではないから、なにかと勉強は中断される。盆だ正月だはあたりまえで、そのほかにも様々な大義名分が勉強を遮る。子どもたちももともとが自立心などないから親の意のままに勉強を中断させる。いや子どもから「これだけは」と勉強の中断を言い募る。この人たちに、勉強のリアルを説得することは意味がない。

 小石川受検、九段受検、両国受検、白鷗受検、桜修館受検、富士受検。8859人が都内11校を受検し、1410人が合格する。落ちた7449人はほとんどが区立中に進む。次は、都立高校受験。そしてその次は、大学受験。早稲田大学、慶應大学、東京大学、一橋大学、東京工業大学。旧帝大なら、東京大学、京都大学、九州大学、東北大学、大阪大学、名古屋大学、北海道大学(七帝大)。国立大医学部。さらには、難関国家試験。国家公務員Ⅰ試験、公認会計士試験がある。司法試験は、今では法科大学院制度となり難関とは言い難い。

 勉強実行力のある人だけが難関試験を突破できる。勉強実行力は勉強の覚悟のある人にのみ可能である。勉強の覚悟が曖昧ながらも勉強に価値を認める人は残念ながら勉強の実行に難がある。

 都立日比谷、西、戸山をめざすということは、そういうことである。勉強の覚悟のいることである。日比谷、西の英語はただに読解力を鍛えるだけではなく、自分の考えを英語で表現することまで求められている。この英語力をつけるには、どういう勉強力を発揮しなければならないか。小6の2月にアルファベットから勉強を始めて、中3の夏にはそれなりの完成域に達しなければならない、それだけで求められる勉強実行力、勉強の覚悟が問われる。わたしは日比谷なり西なりへの案内人です。ですから、タイミングを見て「こうしたほうがいい」と案内します。しかし、わたしの指示のしかたが悪いのか、わたしの指示が緊急性をもってとられないのか、いつも軽く受け止めてか、流される。理科、社会もタイミングを見て、適切なテキストをわたし、やるように指示をする、それでもなんやかやと学校が忙しいことを口実にまともにやってもらえないわけです。英語にしても、適切な時期に英文解釈のテキストなりを渡しますけどたいていはほとんどやらないままになってしまう。そういう結果どうなるかというのは、受験直前に自分が一番わかることなんですよ。いざ日比谷の英語をやってみると歯が立たない、そういうことです。

 わたしは小石川にしても、桜修館にしても、九段にしても、そして日比谷にしても、西にしても、案内人としては、プロの案内人だと思っています。その道案内をするわたしが言うことにしたがわない、それはどういうことなのでしょうか。中には、親御さんの見識というものがありまして、したがわないこともある。わたしから言わせれば、いろいろ口出しする親御さんというのは、とにかく迷わせる、引きずり落とすことしかやってないと思うのです。子どもが「こうしたい」からと言いますけど、そういう子どもの意思などというものはまずただの夢と意思を混同させただけのもです。子どもの言うとおりにやっていたら、失敗するのはあたりまえです。現実をシビアに見れない、とかく夢と現実をないまぜにするのが子どもなのですから。

 都立日比谷、西、そして戸山という選択は、いい人生の選択です。そして世の中はいい選択をして、それを実現するには、まず覚悟する、そして実行する、そういう手順が前提ということです。そういう道を歩むかどうか、それはその人の資質、親の資質にかかわることです。

 

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