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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立日比谷、西、戸山をめざす/高校受験は時間勝負

2016.05.14

 ◎中学3年間は短い

  新中1になった4月、これから長~い中学3年間をこの学校で過ごすんだな~と思ったことでしょう。それで早速部活になんか入って長い中学生活を楽しみながら過ごそうと考えたのかもしれませんね。

  でもあなたたちは大きな勘違いをしています。いやなにそのことはすぐにわかることです。

  まず中学3年生になってからの4月から都立入試のある翌年の2月24日頃までにどれほどの受験勉強ができるのか、ということです。中3の定期試験の結果は高校入試では、内申点というかたちで反映されます。4月6日始まった新学期、5月には中間テスト、7月には期末テスト、そして夏休みの8月を過ごし、9月になるといよいよ模試が月1のペースで始まります。9月ないし10月、11月の定期テストを終えると、12月には高校入試の最終内申も確定します。12月にはどこの中学も三者面談の時期です。おおよその受験する都立高校が決められます。定期テストの前2週間とか、3週間にはテスト勉強に追われる。つまり、中3になって、定期テストの対策を重視すれば、受験勉強に使えるのは、8月と12月、1月だけですよ。これで都立日比谷とか、西、戸山に合格できると思いますか。

  中3になって受験勉強を始めようなどという人たちはすでに終わっています。いくら成績がよくても塾なしでこれまできた生徒もさすがに中3になったら塾探しをするのが一般ですよね。しかし、それではもう遅いのですよ。中3になって中3の数学なり英語なりをやってさらに高校受験レベルにもっていくなどということができると思いますか。もし、これが部活三昧できた生徒なら完全に終わっていますよ。

  高校受験というのは、中3は勘定に入れてはならないのです。中3になったらひたすら過去の入試問題を解く、そういう段階に達していなければならない、ということです。

  ことは急を要します。まず数学なら中2までに履修する内容については、中2の夏休みに入るまでに終わらせておく。夏休みには中3の数学を手際よく進めて行かなければならない。できれば中2が終わるまでに標準的な入試数学の問題は一通り終わらせてしまうのが理想です。英語だと夏休みに入るまでに関係代名詞を核とする中3の英文法事項は終わらせて、中2の夏には英文解釈にじっくりと取り組む、これが理想である。国語なんかは、もう中1のときから高校入試を意識してひたすら問題を解くことをしてこなければならない。漢検は2級まで早めにとっておく。そして高校入試の理科と社会は遅くも中2の夏から対策を取り始める。そして中3になる前に一通りを終わらせておく。中3の8月末あたりのVもぎとか受けて理社各8割以上理想は9割とるのが目標です。具体的なやりかたは何か基本となるテキストを7回繰り返すことです。基本となるテキストは問題集型の中学3年間を満遍なくまとめた、かつ薄いのが理想です。竹の会では、そういうのを渡しています。

 さて以上のようなスケジュールを描くと、数学にしても英語にしてもとにかく前へ前へと進めていくのがいいことになります。竹の会では、小6の2月ないし3月から開始した新中1生の指導状況は、数学については、すでに中1の数学を終わらせている生徒も出ています。英語については今はひたすら単語を覚えてもらっています。指導日には必ず英単語テスト(1回50語)を実施しています。さらに、毎回計算テストも実施しています。現在は、正負の数、文字式を中心に中央大附属や早実の高校入試問題などから製作したものを課しています。新中1についての数学の進度がバラバラのため、今後は進んだ生徒にはさらなる難度の高い問題を課すことを考えています。さらに、これは中1を中心に実施していることですが、学校の授業ノートを見せにきた場合、それをカメラに撮り、該当する定期テスト過去問レジュメを配付するサービスを実施しております。英語リスニング対策は、NHK基礎英語を継続することです。

 ◎高校受験は時間勝負

 将来都立日比谷、西そして戸山を志望する生徒には、中学3年間というのは、およそ短い。世間の親にありがちな時間の過小評価をすることはそのまま命取りになる。時間は貴重である。勉強以外のことにのんびりと時間を費やすことなどありない話しである。そのことはもう都立中受検を通して十分に学習してきたことではないか。

 わたしは平日1日5時間の勉強を推奨している。いいですか。本気で都立日比谷、西へ行きたいと思っているなら、これを実行しなければなりません。小学のとき学んだはずです。勉強しないこと、しなかったことをいくら弁解してみても意味のないことを。受験の冷酷さ、非情さを受験直前になってしかわからないなんてそんなことはわかっていたことでしょう。都立日比谷、都立西とも小石川の比ではありません。首都圏、都下の超秀才たちが一堂に会します。熾烈な戦いです。いいですか。あなたたちはそういう中に身を投じる決意をしたのですよ。覚悟がなければ受験なんて成功するはずもない。

 朝起きる、小学生なら学校へ行く前に1時間勉強するという子もいるでしょうね。中学生だと明け方までがんばってぎりぎり目が覚めるという生徒もいるかもしれない。小学生の中には、毎朝バスケの朝練で汗を流していたという小6もいたようですけど、平成23年小石川に受かった小6は毎朝1時間必ず勉強してましたね。朝バスケは、何かちがう、勘違いしている。学校へ行く。帰ってくる。帰ると塾のない日ならすぐ机に向かう。それが当然の日課のように勉強を始める。夕食を食べる。こなれたらまた机に向かう。集中できれば何時間でも勉強する。わたしが描いているのはそういう生活です。これが勉強が生活の一部となった生活リズムということです。そういう生活を365日続ける。だから部活なんか考えられない。習い事、稽古事なんかもありえない。そう普通の子、生徒にはありえない。

 時間を大切にするということはそういうことです。

 27年桜修館に合格した女子のこと。小4の2月指導開始。彼女は竹の会のある日が楽しくてしかたなかった。学校が終わると走って家に帰る。お母さんはその足音をいつも聞いてきた。家に帰るとすぐに家を飛び出て竹の会に向かう。彼女は毎回毎回渡されるレジュメが楽しみでしかたなかった。もらった課題はどんなことがあってもやりあげた。次の指導日にはどっさりと出してきた。たとえ間に鎌倉遠足があってもだからといってそれを口実に課題をやれなかったなどということは一度もなかった。お母さんは彼女の足音で今日は元気だ、今日は元気がない、とわかったそうだ。いつも竹の会に行くのが楽しみ、楽しみでしかたなかった。わたしの課した、それはかなりのノルマであったと思われる課題を一度も休むことなく出し続けた。時間を大切にするということはそういうことです。

 もし夏休みに3時間そこそこの、4時間足らずの勉強しかしないのなら、それは時間というものをあまりにも過小評価したものです。要領よくこなし仕事のように片づけて、余った時間にくつろぐなどという、そういう省力化人間になってはならない。毎日毎日目一杯勉強しなくてどうするのですか。シャツを着るように、歩くように、歯を磨くように、勉強も意識しなくてもやっている、生活の一部として当然のようにやっている、それが大切なんです。それが時間を大切にするということです。

 いいですか。高校受験は時間勝負です。時間がないのです。だからあなたたちはもう竹の会にいる以上は、ひたすら勉強するしかないのです。勉強することは当然のことなのです。

 親たちは勉強しなかった自分の子どものことをいろいろ言い訳しますけど、問題なのは勉強とは生活であるという教育をしてこなかったことです。

 いいですか。親のやるべきことは、子どもたちが勉強こそ生活の一部だということを当然のように生活させてきたことです。親の恣意で子どもから勉強という生活を奪うことは勉強が生活だという認識を破壊することです。小学低学年には丁寧な字、きれいな字を書く喜びを教えてあげてください。いっしょにいつまでも字を書いてください。字を書く、書き上げるのをじっと見てやっていてください。親がじっと見ている、見ていてくれている、これこそ最高の教育です。親は子どもがどうしたら勉強というものを生活の重要な一部、決して外すことのできない大切な一部なのだということを教育すべきである。習い事、稽古事に毎日慌ただしく落ち着いて思考もできない、生活を高速回転させて、勉強を生活から追放したような生活を強制しておいて、勉強なんかするはずはないでしょ。

 親の都合で旅行に引っ張り回す、それも結構ですけど、普段の生活そのものから勉強をなくていいものとする無責任な行動だけはしてはならないと思うのですけど。

 勉強することは、空気を吸うのと同じくらい特別のことではない。中学、高校、そして大学と空気を吸うのと同じようにあたりまえのように勉強する子になってほしい。なってください。

 そして大学生になったらときにはそういう生活をゆっとくり見てください。そうだ。どこか静かな田舎を旅行してみるといい、そして自分の歩んできた中学、高校、大学という勉強一筋の生活について、遠くからまるで物語の主人公を見るように見てやるといい。そういう自分を見てやるといい。

 わたしもいつか故郷の、少年時代によく歩いた山道を、もう一度その少年と歩いてみたい、よくそう思う。急な山道を登る、30分ほどで一度平地に出る。集落がある。また小さな坂道に入る。途中滝がある。坂道は遠回りにいつしか滝の真上につながる。それから一気に下りまたなだらかな坂道が続く。静かな杉林に入る。清水の音がする。岩の裂け目から清水が湧き出る。手ですくいながら喉を潤す。杉の森が突然開けて草山が聳え立つ。最後にこの急坂を一気に登り切ると、山の頂上に立つ。眼下には広がる火山湖の美しかったこと。いつかもう一度同じ道を少年と歩いてみたい。腕白な少年はいつのころからそんなにも勉強に興味をもち勉強することに悩み親に反抗し悩んで苦しんでそれでも勉強だけは忘れずに憧れの旧帝大に奇跡的に入り大好きな勉強の道を歩むようになったのか。そんなことを考えながら何十年も前の自分の幻影を今度は温かい目で慈しむような思いで見てやっていたい。母さんが生きていたらきっと同じ思いなのかな。

 

 

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