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都立日比谷、西に受かる/富士、九段人気上昇中/子どもを結局不幸にする母親の論理

2016.08.07

 おはようございます。夏日です。大型台風が近海を通過のようです。今年は9月も酷暑との予想ですが、外れることを祈ります。気象庁が結局「結果論庁」だということに期待します。

 このところ小6の問い合わせが相次いでいます。これまでも小5の問い合わせばかりで少々辟易としておりましたが、今度は小6です。小6だと2通りあるようです。ひとつはこれまで受検など頭になかった親子が突然受検を言い出すパターンです。たいていは勉強よりもスポーツや習い事で終わっていたという家庭です。もうひとつが、大手に小4や小5から通っていたが、小6になって大手のやりかたに疑問を持ち始めたという、例のパターンです。正直わたしはこういう人たちをあまり相手にしたくないのです。小学生でもっとも訓練というものを習慣化しておくべき時期を無為無策に過ごしてきたがために、取り返しのつかないことになっている子たちに今更何ができるというのですか。効果的な訓練など期待できないでしょ。1時間も机についてひとつのことに集中しきれるか、勉強する度にため息ばかりつく子がいましたけど訓練に適さないのです。勉強というものを生活の一部としてしてこなかったことの結果でしょ。

 それから竹の会は、例年2月を指導開始の月として、小4を募集してきました。しかし、小4がなかなかきてくれず、結局小5の1学期ぐらいまで募集を続けることもあります。遅れれば遅れるほど合格の可能性が小さくなる、そういうことを懸念しながらの募集です。小4でスタートできなかった年というのは、正直合格はないのを覚悟しています。去年のようにほとんど新規小4なしという年もありまして、そのため小6でも不本意ながら入会許可するほかなかったのですが、訓練は後手後手で、いや訓練そのものの不十分さを認識しても、絶対時間が不足していては仕方ない、不完全なままに前へ進めるという、これまた不本意な進め方をすることになる。いや小6に来てもそれまでの蓄積というものがある子ならいいのですが、そんな子はまずいないでしょ。結局小6に来ても、竹の会の小5前半の子たちよりも思考力がないということになる。大手に1年、2年いても、竹の会の年下の子たちよりできないというのは竹の会ではもはやあたりまえのことである。特に、いけないのが、塾に行かないで自宅で勉強してきたという子たちです。大手に無駄なカネは使いたくないというのは結構なことですけど、訓練されてないのは同じです。というか勉強習慣というものがかなり恣意的です。中には通信を受けていたなどという親子もいますが、田舎剣法の域を出ない。大手に行っていたという子たちにしても、訓練とはほど遠い、生ぬるい湯に浸かりすぎて、ふやけきっていますから、どうにもならない。訓練されてないという点では同じです。一貫性のない、知識を意味もなく覚えさせられて、頭はふつうの思考さえもできないほどに偏見に満ちているのが大手の子たちです。

 竹の会がこれから募集対象とするのは、集中力のあるという条件つきですが、小4及び小3に限ります。来年2月から指導スタートをめざしますから、少なくとも来年の1月までには入会試験に合格すること、入会試験に合格すると3日以内に入会手続きが必要ですから、1月までは「渋谷B」に通うことになります。早めの入会をぜひお勧めいたします。

 ご注意申し上げておきたいのは、仮に、入会試験に合格しても、入会手続きをとらなければ、~通常は当日を含めて3日以内の申し込みが必要~後で手続きをとることが認められていても、後から入会試験に合格した生徒が手続きをとれば、入会できないこともある、ということです。

◎母親がボンクラ小学生をつくる~結局子どもを不幸にする母親の無知無定見

 小学生の過ごし方を誤るのは、その後の人生も決めてしまうことになる、そういう認識はないのが、目先の利益でしか動かない母親の論理の本質である。かつて中3の母親であったが、都立高専志望の子に、塾に行って3か月で効果が出なければ塾に行っても意味がないと言って、止めさせた例があったけど、塾というのは、何か特別のことをしてくれるところと信じていたようで、即物的なアホぶりであったが、我が子の能力は無関係とする御都合論理、中3の受験直前だけ塾を利用するというコストパフォーマンス論などアホの極致であった。その母親の息子が、私立高専?に単願推薦で高校へ行ったということを風の便りに聞いたけど、この母親のコストパフォーマンス論理の結果がこれであったわけで、この母親の中では論理は完結していたのであろうか。わたしから言わせれば都立高専にも入れなかったわけで、この母親の塾のような知的サービスをもコストパフォーマンスで割り切る単細胞は完全に破綻しているとしか思えないのであるが。

 訓練しない小学生はボンクラになる。訓練しない犬が、駄犬になるように。親というのは、やはりバカなのか、体だけは鍛えることに疑念はないようで、子どもにサッカー、バスケ、野球、テニスと夢中でやらせる。体は鍛える、つまり訓練することに全く躊躇はないのに、なぜか頭を鍛える、訓練するという観念はない。勘違いしてもらっては困るのだが、大手塾、巷塾に行くことが必ずしも訓練することにはならないということである。大手塾は訓練などやらないでしょ。テキストの目次を授業で消化していくだけでしょ。子どもたちは何も訓練なんかされていないでしょ。割合がわからないままにテキストの単元が終われば終わったことにされる。子どもたちは割合などやらないに等しい。大手というのはほとんどの小学生にとっては「やったことになされる」だけで1年を終わるところである。そんなところに自分の子を迷わず託せるなんて、わたしには信じられない。ありえない。

 筋肉は鍛えても頭は鍛えないアホ中学生の増殖、学校がまた部活を率先して勧めるからいまやアホの天下である。世の中には部活は大事、勉強と同じくらい、いやそれ以上に大事と考える親もたくさんいる。こういう親の子が、アホ高校に行くことは当然の成り行きとして親もそれでいいと思っているのだから全然問題ない。バカはバカの人生で満足していれば問題ない。

 頭を鍛えない、脳を訓練しないということのもたらすものは何か、筋肉なら鍛えれば締まった体になる。頭だって同じでしょ。頭を鍛えなければどうなるか。考えることがめんどうくさくなる。要するに、頭を使わない、体で考えるようになる。つまり、やって試して見なければ何もわからない頭になる。頭を使わないから怠けるように見える。アホ中学生のなれの果てというのは、怠け者の面倒くさがるバカに仕上げて、名ばかりの高校に行き、社会に出たら、ガテン系で一生こき使われる、あるいはブラック企業で奴隷のように働かされる、そういうことでしょ。自分の子どもがそういう人生を歩むことになる、それでいいのか、という話しである。

 すべては来し方の、つまり小4のときに遡る。小4のときのバカ親の選択にある。頭を訓練しなければ将来は奴隷的労働者になるしかない。体を、筋肉を鍛えて、そのための準備をしていることには一向に気づかない。自分で考えない、周りがどう動くかで自分の行動を決める母親の増殖が、特に、目先の損得でしか行動しない判断の基準が、命取りになる。

 体は鍛えても頭を鍛えない、どんなに頭がよくても頭は鍛えなければ確実にバカになる。社会では使えない、使いものにならないバカ量産である。

 体はなぜ鍛えるのか、訓練するのか。勉強は何のためにするのか。同じことでしょ。美しいしまった体になりたいから?だったら頭だって深い皺に刻まれた脳になりたいから、これでしょ。

 

 

 

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