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都立日比谷、西に合格を出す決意/プロとは目標達成のためのありとあらゆる手を講じるもの/現小4,小5から小石川中等合格が確実に出る/小6これからの指導について

2017.10.05

 おはようございます。10月5日木曜日、渋谷Bの指導日です。本日は晴れとのこと、ただし、明日は夕方には雨の予想です。明日は傘を忘れないようしてください。今日は最高気温は20℃の予想ですから、かなり肌寒いと思います。子どもたちは体を冷やさないように用心したほうがいいでしょう。これからは発熱でお休みするという子が今まで以上に出そうです。

 小6のみなさんは今月が時間制限なしに考える訓練の最後になります。今やっているレジュメシリーズは今月の指導までで打ち切りとなります。11月からはこれまでやってきたレジュメの解き直し(7回以上目標)を中心として、毎回2通ほどの直前指導レジュメ(制限時間有)に移行します。桜修館志望者については、どうしてもクリアーしてもらわなければならないレジュメシリーズがありますが、富士、白鷗については、「推論算数」までは終わらせておいたほうがいいでしょう。もっとも28年富士、白鷗合格者は、「推論算数」は、能力的に無理でしたので、やってません。白鷗も適性Ⅲ実施となりましたから、「推論算数」はやっておくにこしたことはないでしょう。九段についても同様です。

  ◎小6、これからの指導概要

 10月 今取り組んでいるレジュメシリーズは10月で打ち切りになります。作文は毎指導日に45分で実施の予定。これには小5も参加します。

 11月 時間制限で実物過去問集を使った訓練に入ります。普段の学習はこれまでにやってきたレジュメの解き直し中心になります。

 12月 直前指導  

 冬期 12月26日~30日、1月3日~8日 冬期直前対策指導 最高度水準のレジュメ使用

 1月 9日~直前対策指導 最強のオリジナル予想問題レジュメ使用 1月をもって小6の指導を終わります。

  注意 受検番号を竹の会に必ず申告してください。白鷗の場合はパスワードも必要です。

 2月3日 適性検査試験

 2月9日 合格発表

 ※模試について

 1月まで早稲田進学会の模試はすべて受けてください。富士、桜修館、九段志望者は、11月から大原の模試も併用してください。

 注 模試の結果を報告してこない人がいますが、必ず報告してください。

 ◎日比谷、西合格者を出す

 現中2は、小6指導開始の時から、日比谷、西志望者がいまして、ここにいたっております。日比谷、西を受験できるのは、オール5があたりまえ、学年1番もあたりまえというのは周知のことと思いますが、推薦の倍率も半端ではなく、集団討論形式の試験、小論文試験を勝ち抜かなければ、合格できない。一般入試となると早慶、開成などの難関校受験者と鎬を削ることになる。なにしろ都内のトップ校ですから、あたりまえです。定員は320ですから、日比谷と西合わせて640人。男女別では、都内300番内に入ることが必要です。そういう難関校に入るにはそれだけの勉強をしなければならないのは当然としても、普段は相手が見えないためについのんびりと過ごしてしまうことになる。

 もし日比谷と西に合格したいのなら、決して自分の才覚を持ち込むな。自分の才覚を持ち込む人間は必ず失敗することになっている。通信でZ会を始めるの愚、市販の人気のある参考書や問題集を買ってやるなどの愚は決してやらないことだ。それからわたしに一切の情報を隠すのはありえない。定期テストの結果や通知表を見せないなどということはありえない。隠すというのは、最悪の結果をもたらすことになる。とにかくわたしがリアルタイムで成績を把握していないということが最大の問題です。隠して隠密に処理する親子の末路は悲惨です。かつてすべてを隠す親子がいましたが、わたしがどこの都立を受けたのかさえもわからないで、都立に落ち、私立もすべて落ちて、最後に初めて「どうしたらいいですか」と電話があった、ということがありました。隠すにもほどがあります。

 中学生が竹の会で成功するには、絶対にやってはならないことがある。わたしが常に力を正確に把握していない状況はありえない。「与えられた」課題は全力でやる、方法は自分で考えれば時間がかかるだけ、また自ら考えた方法などクズです。決して自分の才覚で進めてはならない。

 レジュメの遅れは命とりになる。

 レジュメをこなしてこそ次の一手がある。次の一手が打てないままに何か月もやり過ごすな。

 ◎本番は未知の問題に現場で自ら考えて判断するもの

 「先生、家で何時間もかけて考えたんですけど、わかりませんでした。教えてください」、よくあるタイプです。大手にいた子に多いタイプです。最初から竹の会で育った子にはない、本質的にないタイプです。問題なのは思考の跡がまったくないことです。白紙なんです。これは大手にいたら自然と身についてしまう、わたしの言うところの解説依存症なんです。大手のやりかたというのは、テキストを軸に、講師が授業をするというスタイルをとる。すべてがテキスト、そして授業を軸に回るわけです。だから補習という言葉、予習とか復習という言葉、「わかるまで教える」というキャッチフレーズが出てくるわけです。このスタイルが作り出すのは、徹底した「説明を聞く型」の人間です。さらにもっと悪いことがある。もし使われているテキストが易しければそれは確実にバカをつくる道具になる。進学塾のテキストは逆に難解かつ網羅的なため「落ちこぼれ」が続出するという弊があるけれど、都立中対策の大手のテキストは易しすぎて脳の訓練にはならない。それにそもそも適性試験対策として適性類似問題を練習するというのが大きな誤りである。適性対策というけれど、昨今の難関私立中学の算数の問題は適性問題と変わらない。これは何を意味するかというと、要は、算数を極めることがもっとも有効な適性対策ということである。適性対策のために適性問題を何題やっても底力はつくはずもない。

 要は、未知との遭遇にどう対処するか、その場の判断力が問われているのである。だから普段の学習、勉強では、未知の問題に対してどう対応するか、あれこれ思索する、苦悩する、苦しむのが、大切なのである。大手で解説依存症になった子というのは、とにかく正解、答えを求めることしか頭にない。わからないときにどう対応するか、どうとっかかりを見つけるか、糸口を探すかなどのことは一切考えないで、ひたすら答えを探す。だから「わかりません」というのは、「答が見つかりません」と言っているにすぎない。

 大手の恐いところは、このような解説依存型の人間をいとも簡単に作り上げてしまうことである。それは大手という大看板、立派な教室、威厳のありそうなテキスト、ネクタイをした学生講師、そうしたすべての見せかけの織りなすペテンにひっかかる親の心理構造がもたらした結果でもある。

 学ぶのは、未知の問題に出会ったという状況において、自分がどう処するか、そのことが問われているのである。問いに答えるために、問題をどこまで分析したか、そういうことをやらないで、答えを出す方法ばかりを追い求めるから、模試に対応できないのだ。決して、「答を探してはならない」。まずやることは、問題の分析でしょ。「考える」というのは、答を探すことではない。問題を分析することである。「わからない」と言う子は、必ず問題をまともに読みもしないで、ただ答を書こうとばかり考えている。誠に、大手で感染した解説依存症とは厄介な病であることか。

 ◎現小4、小5から小石川合格者が確実に出ることになる

 竹の会で小4から始めるということの意味が今わかることになる。わたしが平成23年の2月に小石川に合格者を出したとき、確信していたことがある。このときの合格者は小4の8月から訓練してきた。この子は入会したときから「ぼくは小石川に入りたいです」と断言して憚らなかった。通分のやりかたから始めてまったくのゼロからのスタートであった。小4から育てた子が小5以降にきた子を凌ぐ力をつけるのはこの当時からわたしにはあたりまえのなりゆきであった。小石川に合格させること、絶対確実に合格させること、それはわたしには可能であった。ただし、逸材が小4にわたしのもとにきたときという条件がある。しかし、小4から竹の会にくるというのは余程の偶然である。多くの親御さんは小5からそろそろと考える。そしてまず行くのは必ず大手である。竹の会に小4がくることはほとんどない。小5だってほとんどこないのにである。小5では遅い。これがわたしの正直な思いであった。しかし、その遅いと思われる小5さえも竹の会にはこなかった。だから小6になってくる子も受け入れるしかなかった。図々しいもので小6遅くにくる子ほど平気で「小石川に行きたい」などという。試してみると割合もろくすっぽわかっていないのにである。

 こうして竹の会にわたしの心からほしいと思っている小4はこないのである。みな大手に集まる。 

 ところが、今年、竹の会には、小4からきた小5、しかも逸材がいるのである。いや現小4にも逸材がいた。わたしは久々に小石川がとれる指導ができることに、遠くの区から1時間かけても竹の会までかよってくださる親御さんに感謝したい思いです。竹の会としては久々に小石川をとれる逸材を指導できることになりました。

 プロというのは、条件がそろえばその手腕を発揮できるにすぎないものである。小石川中等合格をとるには、まず逸材であること、そして小4早期に指導できること、である。この条件がそろって初めてわたしの指導は命を吹き込まれる。

 これは中学生も変わらない。逸材であることは必須の条件である。この逸材をわたしの指導技術で成功に導く。ただし、高校受験にも時期というものがある。小学6年の4月をもって指導開始の標準時期と考える。早いのはもちろんいいけれど、それより遅くなれば、その成功は逸材性に左右されることになる。

 プロというのは、自分に可能な前提となる条件を満たしていることが成功には重要であるということはよく承知している。しかし、現実の世の中には、このプロの想定した条件をいくらでも覆す親がいるわけです。そもそも大手に行って竹の会にはまずこないということがあたりまえでしたから、小5や小6にやってきた子を合格させるというのは、かなり変則を承知でやるほかないのである、しかし、プロのセオリーからすれば本来成功の確率は低いものです。

 わたしは23区にお住まいの小3や小4をもつ親御さんが、大手ではなく是非竹の会にきてほしいと願ってきました。とても大手の誘惑を引き留める力はわたしにはないのですが、それでも竹の会にきてくれる人がいるかもしれないと一縷の望みをかけています。

 竹の会の真価は実際に竹の会にきてみればわかることです。竹の会が他塾とはちがう本物の塾だと言うことを悟るのはわかっています。これまでに例外なく竹の会に実際に子どもさんを通わせた親御さんたちが一様に驚嘆と感嘆と感謝をもって竹の会を理解してきたからです。

 竹の会にわたしの条件にそう逸材がきたときこそ、わたしは言うと思います。

 「プロとは目標達成のためのありとあらゆる手を講じるものである」と。

 

 

 

 

   

 

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