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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立日比谷、西一直線/都立小石川、桜修館をめざす/竹の会という塾のレベルと質について

2016.08.06

 遅くなりました。こう忙しいともう更新できるのか自信がなくなりました。今日も朝からレジュメ準備に追われております。特に、中2もそうなのですが、中1の速い子たちがもう「合同の証明」に入る予想なので、これまで昔書いたままに使ってきた図形関係のレジュメを再編集、手直しすることとしました。手始めに「三角形の合同」から手を付け始めたのですが、思いのほか時間がかかってしまいました。現中1でも速い子たちは、おそらく今年の冬期までには中3数学に入る勢いです。加えて現在指導中の中2が図形で手間取っているということもありましたので、図形のレジュメを再編集することにしたわけです。

 ところでわたしが退塾を視野に入れたということをよく言いますので、中1の親御さんが過敏に反応されて申し訳ないことをしました。以前にもそういうことがありましてどうも難しい。中1の皆さんはまだこれからでしょ。もう数か月も経てばそろそろものになるかどうかがわかってくるでしょうけど。それからですよね。今はまだ問題はない、それははっきりしています。いやわたしは中2の生徒なんですが、竹の会を続けることに逡巡していたのではないかと直感しただけです。ただ直感だけで断をとることはできない。それであのような文面になってしまった。

 それにしても竹の会の中1は正直すごいと思います。小石川受検組のリベンジ組です。いずれも日比谷、西に照準を合わせています。わたしが、日比谷を取りたいなら、中2の夏に入るまでに中3を終わらせることだ、と言ったのはいつのことだったか。その後、夢中にやってきたことは認めます。しかし、彼らの理解力はわたしの想定をはるかに超えていたようだ。このまま行けば、どうも中1で中3までを終わらせてしまうかもしれない。実は、これには先例が1つあった。現中3の女子だ。彼女は中1でなんと竹の会の定番の「高校入試問題撰」を終わらせてしまったのだ。終わらせるというのは、実は簡単なことではない。自分で解いて「合格はんこ」を取る、これができなければ終わらせたとは言わない。彼女は中2の9月にVもぎを受けて中3に伍して数学90点など高得点を取ってみせた。中2にしてすでにして中3の中で上位に位置したのである。これである。わたしが現中1の諸君、特に、「日比谷・西組」のみなさんに、言いたいのは、できるだけ最速で中3まで終わらせて、一気に入試問題の世界へと突入すること、ここでじっくりと時間をかけて完璧な受験脳を完成させること、これである。だから夏に暇だなどと思って手を抜いたらもう終わりだ。暇な時などあるはずがない。今後は、わたしは、旧小石川組を日比谷・西組と称して、今度は必ず合格を勝ち獲りにいく。勝算をもって掲示板の前に立ちたい。中1のみなさんがこのわたしの思いに応えられるのか、いざ勝負である。

 今日はふと竹の会の子たちのことを、その質の高さ、いや基本訓練に明け暮れる日々の子どもたちのことを思った。今年の小6が不本意なことはもう言うまい。結局わたしがもっとも欲しかった小4の逸材が竹の会には来ることはなかった。考えてみれば平成19年には区立中受験が1人だけ、小6が1人だけしかいなかった。都立中受験は、22年は4人、23年は3人、24年は3人、25年が5人だったか、26年3人、27年5人といつもこんなものだった。だから竹の会はいつもそんなには小学生などきてくれなかったのだ。小4から訓練していく、これができたらわたしには理想の指導がふめる。小6前後にやってきた子たちというのは、大手塾にいたはずなのに、全然できていない、基本が訓練されてない。自宅で通信でやっているという子たちはもっとひどい。何例かその力を知る機会があったけど、こちらはとにかく粗かった、お話しにならない。

 わたしは世の中の小学生というものに正直絶望している。いったい家庭で何を教育してきたのだろうか。学校で何を学んできたのだろうか。まずまともな「字」が書けない子に遇うと、わたしはまず落胆する。失望する。これは小1の前後に親が何をしたか、しなかったか、である。この時期に公文にやるのは反対である。あそこに行ったという子はみなたいてい字がひどい。まず家庭ではこれだけでもまともに訓練してあげてほしいものである。小4、小5ではもはや手遅れで決して修正などできないのが経験則である。

 読むことと書くこと、これだけはきちんと訓練してこなければならない。その上で、小4がまず勝負なのだと思う。都立中をめざすならこの時期のスタートしかない。この時期に小数の概念、分数の概念について徹底して馴染み訓練を重ねることである。竹の会というのは、小数から分数、割合へと訓練の質もレベルも高いと思う。だからどうしても入会試験に合格していないと続かないと思う。

 世の中の親というのはわかっていない。小5や小6にもなって大手に1年も2年も通ったというのに、計算ひとつまともに正解が出せない、割合の問題なんか、たいしたレベルでもないのに、やらせてみると、もううんうん唸っている。バカでしょ。いままでなにしに塾に行ったの、と言いたくなる。要するに、訓練していないのである。できるつもりになっているだけ、これが大半の小学生である。

 竹の会の訓練というのは、2つの意味があるのだと思う。ひとつは、初心者から次第にステージを上げていくという訓練方式である。これについては、竹の会ではすでにシステムというか、指導手順はほぼ定型化している。この手順どおりに進められるかは、また入会試験に合格しているかどうかが影響するけれど、子どもたちは一気に割合の理解を深めることになる。速い子なら小4の2月入会で半年もすればもう私立難関中堅校の問題が解けるまでに力をつけている。竹の会というのは、一問一問が「試す」機会であり、その都度思考が問われる。その都度理解が突き詰められる。

 もう一つの意味は、ピンポイントの訓練ということであろうか。「単位あたり量」を極めるためにレジュメを組む、「逆算」を極めるためにレジュメを組む、そういうことはよくやる。ここが弱点かなと思ったらわたしはよくピンポイントでレジュメを作ることが多い。いやステージを上げる訓練も実は、一問一問とにかく徹底して理解を確かめるから、ピンポイントではあるのだけれど。

 竹の会で訓練を受けてきた子たちというのは、計算で鍛えられ、割合で鍛えられて、次第にタフな思考、タフな精神を宿していく。竹の会の子たちというのは、鍛えられた、よく訓練された子たちといえる。世間に溢れる、訓練ということとは無縁の、大手や巷塾の生ぬるい、ボンクラ小学生とは、鍛えられ方においてからすでに質が異なる。

 竹の会で訓練された子たちというのは、その質においても、レベルにおいても、世間の塾というところで楽しくやっているバカ生徒群とは、次元が異なるところにいる。それは、中学生においてもいや中学生ならなおさらのことその差が明瞭であろう。竹の会の1人しかいない中学生が、27年、28年と連続して、上位の成績で、都立戸山高校に合格したということを決して偶然のことと捉えてほしくはない。竹の会は合格するべくして合格させてきたのである。その指導の質を甘く見てほしくない。大手なんかわたしには赤子の手を捻るに等しい。

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