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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立日比谷への道/信頼と質/大手崇拝の落とし穴/竹の会という塾は超一流の塾

2016.04.28

 おはようございます。今日は雨です。明日はおそらくは最後のAB合同の指導日になろうかと思います。29日の指導は、16時~20時の実施ですが、例によって、15時には入室可能の予定です。

 まず今日は新規募集状況からです。

 ◎新規募集状況

  ●渋谷A 募集は、新小4のみです。

      ※新中1については、欠員が生じない限り、募集なしです。

  ●渋谷B 新中1、基礎学力をつけたい小学生、高校受験が最終目標の小学生

      ※2月入れ替え時期に渋谷Aへの変更が可能です

 ◎信頼と質

 偶然見たNHKの朝ドラで、商売の琴線みたいなものとして、信頼と味、と言っていた。塾なら「信頼と質」ということか。三菱自動車ほどの大企業がこの「信頼と質」ということを随分と蔑ろにしたものだ。どんな大企業も質を偽って信頼を落とせば、生命さえも絶たれる。しかし、長きにわたってよくも騙り続けたものだ。いつから日本の企業というものは本来日本人の美徳とされてきた気骨、気概というものを失い、忘れてしまったのか。あれだけの企業の社長、経営陣のバカさ加減はあきれてものも言えない。世の中はオレオレ詐欺などとにかく人を騙す手合いで溢れています。わたしたちは国でさえもわたしたちを巧妙に騙そうとしていることを警戒しなければならないのです。

 わたしは常々このブログで巷の塾の質の悪さを言い立ててきた。ほとんどの塾が、子どもを「遊ばせる」塾であると。大手にしてもそれは変わらない。大手と言っても、進学塾型とどちらかというと補習型では、事情は変わるけれど、いずれにしても、こういう塾で、成功するのは、一部の天才に限られるであろう。それは変わらないとして、集められた層の質の違いというのは自ずとある。補習型大手などにそれほど頭のよくない子どもたちが集まるであろうことは想像に難くない。なにしろだれでもとにかく入れればいいという態度であるからバカが取りこまれる蓋然性は相当に高いはずである。こういうバカが塾に入ってどうするか、どうなるか、ということである。昨今は大手もよく考えていて、だれでも「わかる」平易なテキスト、テストで引っ張るということをやる。これがまた「遊ばせる」商売の手練手管のひとつである。それからやたらに、これをやらないと大変なことになると不安を煽って、「○○特別講座」などを組み、バカ親たちからカネを引き出すのもそのひとつ。

 悲惨なのは、こういう遊ばせる塾に入ると、学校では「よくできる」が8割前後ある優等生でも伸び止まりになることである。わたしは大手に行ったという、こういう優等生たちの悲惨な現実というものを耳にしてきたけれど、それでも大手を崇拝するアホ親たちは後を絶たない。

 そもそも大手の信頼の根拠は何であろうか。喧しく毒々しい色彩で示される合格者数であろうか。ここから「大手に行けば合格できる」と信じ込むのであろうか。わたしは大手のあげる数をまず信じていない。根拠が示されていないからである。一方的に数字だけ示されても信じようがない。具体的な教室ごとの在籍数と合格の有無を示すデータでも示してくれなければ信じられない。だいたい三菱自動車が燃費を示した数もデタラメだったわけで、大手だからというそれだけのことで信用するアホ親たちの知能を疑う。

 質はどうか。手前味噌で恐縮であるが、わたしは、高校入試で、特に、トップ都立高入試で竹の会の質の高さに並ぶ塾などそんなにはないであろうと思っている。27年竹の会の子が都立戸山高校に合格したとき、戸山志望の級友たちが、ほとんどが大手塾所属、結局、志望校を下げたり、受けてもみな落ちたといことを知らされて、竹の会を「なめるな」と思った。竹の会のその生徒は、1割枠でも合格点をとっていた。内申は38しかなかったけれど、竹の会で培った力は大手のアホどもを蹴散らすのに十分であった。

 続く28年、今年のことですが、竹の会では、またまた戸山受験へと打って出た。こちらも合格を果たす。

 竹の会ではなぜ受かるのか。大手や巷塾のアホ生徒がごっそり落ちても、竹の会だけは決して落ちない。竹の会はどのような指導をしているのか。

 一度でも竹の会の指導を受けてみればわかる、その質の高さと効率性のよさが。竹の会は無駄なことは一切やらない。新中1の諸君は、竹の会しか知らない子が多いから竹の会のスゴさがわからない。だから竹の会を止めて他塾へ行けばすぐ「わかる」。竹の会がどんなにすごかったかが。そういう事例はあった。幡ヶ谷で評判の英語塾に転塾した女子生徒がいた。竹の会の同級生たちが、メキメキ力をつけて代々木中学の数学「5」をほぼ独占した時代の話しである。中3になって、親が再び「竹の会に戻りたい」と打診してきたことがあった。その母親は、「塾を移って初めて竹の会のやることすべてがすばらしいことだったのだ、とわかったけれどもう手遅れでした」と言ったものだ。その塾は英語で有名でしたが、数学は自習式でわからないときは学生が待機していて教えてくれる式なのだそうです。そんなの塾じゃないでしょ。

 都立高校をめざして、大手に子どもさんを通わせている親のみなさん、忌憚なく言わせてもらえば、あなたたちははっきり言ってアホです。もし開成とか、早慶高校とかを受けたい、そういう天才ならいいのです。しかし、あなたたちが自分の子を天才と思うのは勝手ですが、天才なんてそんなにいるものではありません。

 仮にです。日比谷や西に行きたいというのであれば、サピや早稲アカでは過度、無駄です。日比谷へ入るのに開成に入るほどの勉強をしてどうなるのですか、ということです。私立難関とトップ都立では「質」が違います。一方が他方をふくむという関係にはなっていないのです。日比谷や西には、日比谷や西に最適の攻め方というものがあるのです。数学ひとつとってもそうでしょ。難問といっても難問の質が違うのです。日比谷は都立ですから、指導要領の枠はかかるのです。英語なんかも結局指導要領の枠がかかるから、難問を作るにも限界がある。だから自由作文とか、要約とか、難しくするしかたを工夫するしかない。つまり、都立の攻め方に特化したほうが、絶対にいい。わたしが、2年連続戸山を獲ったのも都立の攻め方を知り抜いているからだ。都立には都立の攻め方がある。

 大手のやりかたなどわたしには何の価値もない。理科攻めでも、社会攻めでも、都立の理科、社会は、共通問題であり、とにかく難しくできない。中学3年間の知識を問うとしたら、問えることも絞られてくる。私立中学受験のための無制限に小学生に知識の暗記を強いるのとは、全然違う。攻めようがあるのである。だから、直前まで理科社会が5、6割しか取れなかった生徒を、都立駒場や都立文京、都立小山台などに合格させることができた。わたしは、理科、社会を当日90点前後とれるまでに仕上げる名人です。そのことは実際にわたしの指導を受けて合格した生徒たちが、その親たちがいちばん実感していることでしょう。

 わたしはウソなんかつかない。自分のやった結果で失敗したときも正直に言っている。たまたまやってきた子たちをなんとか育て上げて合格させてきた。

 竹の会ではどんな指導をしているのか。

 使っているのは、基本、わたしの制作したレジュメだけです。それを使って考えさせる。いちいち理解を検証しながらステップを上げていく。わからなければその日にわからないということがわたしにわかる。できなければその日にできないということがわたしにわかる。だからごまかす、できたふりをする子がいるといろいろ教育的に自分の愚かさをバカさ加減を知らしめる指導をする。これが気に入らないといってヒステリーを起こした母親も複数はいたけれど、自分の子ども可愛さに冷静な判断ができない母親など相手にしたくもない。レジュメ指導は、考えさせる以外に、訓練目的でやることも多い。計算もそうだが、英語の文法をたたきこむには訓練するしかない。体が覚えるまで訓練するしかない。「わからない」というときの対応も決まったものはない。それなりに思考を積み重ねてきた子には、「もっと考えろ」と言うけれど、能力的な枠を抱えた子なら、まず「枠」を取り払う、広げる指導をする。巷の塾が「わからない」という問題を懇切丁寧にわかりやすく教えるのがいい塾だと思っているのは、浅はかな考えだ。問題そのものを教えてなんになる。それよりもそれを自分で考えて解けるようにする、そのために思考のステージを下げて訓練していき、ある時期がきたら、自分で解かせてみる、こういう地道な指導を重ねる、だからわたしは最低でも小5の1年間はほしいと言っている。竹の会にくるのなら、小4がいちばんいいと言っているのには理由がある。

 中学だと、市販の問題集なんかも使う。これというのを1冊見つけてやらせる。指導歴30年超のわたしが選んだ問題集だ。高校入試の理科社会だと、塾専用教材専門の会社から仕入れたりもする。わたしのところにはそういう教材会社十数社のカタログがある。必要なものはFAXですぐ注文できる。実は、旺文社とか、日能研の関連会社であるみくに出版も取引先である。そういう中から、わたしの目が選んだテキストを使うことがある。まるで医師が薬を処方するように、処方する。決して厚くない、10日、20日程度で終わるほどの問題集を弱点その他の補強に手当てすることがある。なんでもかんでもわたしのレジュメで凌ぐわけではない。テキスト代なんかとらない。いちいち「いくらです」なんてのが面倒くさいからとらない。

 子どもが「わからない」という反応から、新作のレジュメを書く、というのはいつものことである。理解できないのは、なぜか、考える、そしてこういう教材がいい、と考えると、創作する。

 何度も言いますけど、竹の会の質はいい、レベルも高い。大手で「遊ばされて」きた生徒には、自分の無理解を悟ることにもなる。断っておきますが、竹の会の中学生というのは、学年1番がふつうです。学年1番といっても中学によっては、生徒数が、70人もいればいいほうで、ひどいところだと、30人以下ということもある。26年都立駒場合格の女子は、学年1番でしたけど、生徒数は30人程度でした。27年戸山合格の生徒は、生徒数160人中の学年4番前後です。1度だけ学年1番でした。しかし、彼の学校で最高の都立は、戸山、しかも1人だけでした。28年戸山合格者は生徒数は100人以上いたと思いますが、彼は4番前後ではなかったか。彼の学校からは今年日比谷推薦合格が2名も出たそうです。いずれも女子でした。

 竹の会がその辺の巷塾と違うということだけはわたしはみなさんに知ってほしいのです。めったやたらとあるような塾ではない。わたしの指導を受けたなら、その効果が目に見える、だから親御さんはたいてい驚きます。塾によってこんなにも違うのかと驚きます。しかし、他所のどの塾もいいわけではない。竹の会だからいいのです。小学生が、計算を一気にマスターし、割合を理解していく過程、これはまるで絵に描いたグラフが急カーブを描いて上昇していく感じです。こういうことがあるのかと、多くの親御さんが驚き、感動します。わたしは、竹の会に出会ってわたしの指導を受けることができる子たちはほんとうに幸運だと思うのです。だってこんなにすごいところはわたしには絶対ないということがわかるからです。

 わたしは自分の子たちを巷の塾に預けることなどとてもできませんでした。信用ならなかったのです。子どもたちひとりひとりを確実に伸ばしていく、決して遊ばせてはならない、そのためにわたしは子どもたちの思考にいい、いろいろな思考言語というものを創作してきたのです。

 わたしの説明は実はかつて竹の会で授業形式でやっていたとき、「こんなにわかりやすい先生はいない」と親や生徒からすごい評判でした。わたしが授業をするという日は前日に親からよく確認の電話がありました。授業をしない日もあったからです。それほど当時の親子には評判だったのです。でも、教えれば教えるほど子どもたちは、できない、のです。私が、考えるということを子どもたちの中に芽吹かせなければダメだと悟った瞬間でした。

 それからわたしは理想の教育法、指導法を求めて、追究して、苦しんできたのです。今のような、竹の会だけの指導方法が体系化されて完成するには、長い長い時節を要したのでした。

 

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