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都立日比谷を狙える逸材/小石川、桜修館を狙える逸材/小4、小5という時期が人生そのものを規定する

2016.10.16

 おはようございます。天気は秋、冷え込み行く秋の到来です。スーパーには見事な柿が大量に並べられて心も弾みます。奈良産の種なし柿が主流です。梨なら幸水という感じです。最近は和歌山産なんかも出てますね。毎年秋も深まる季節、九州から弟が送ってくる山芋(自然薯)は地元の朝市に出るのだとか、田舎でも二千円とか、三千円とかするらしいけど、若い時代に弟と二人で出かけた山芋掘りが思い出されて懐かしい。さて今年は手に入るのかどうか。

 わたしがこのブログで訴えてきたのはとにかく早く早く竹の会に来てほしいということでした。以前はいくら訴えても人は集まらなかった。どうしてもまず竹の会のような、怪しいところに行くよりは、まず大手ということなのだと思います。それに多くの親たちが動き出すのは、都立受検を考えても、小5の2学期から小6あたりのようで、なかなかわたしの思いとはかけ離れているわです。

 正直大手に1年、2年いたという子でまともな子を見たことがほとんどない。わたしには大手に行くという選択がまず大きな誤りとしか考えられないのに、世の親子はなんの迷いもなく、よくあれだけ大手に集まるものだと大手の集客力にはもう脱帽です。物量作戦で身も心も大手に取りこまれる人たちばかりです。

 この大手に通う子たちについて、余りのある小数の計算をやらせたら面白いことになると思う。まともにできる子はほとんどいないのではないか。まず計算をまともにやってないですね。それから割合というのも全く理解していない子ばかりでしょ。こういう基本をしっかりとやらないで、いったい大手というのは何をやっているのでしょうか。そのテキストというのは一体何を教えているのでしょうか。あまりにもバカが多すぎます。親は自分の子のバカさ加減をほとんど自覚していないと思います。小5から適性類似の問題をやっていることになんの疑問も持たないバカ親ばかりです。それが「慣れ」で有利だと単純に考えるところが大手大手と迷うこともなくカネを注ぎ込む親らしい。

 小4がいちばんいい、いや竹の会にくる時期です。少なくとも小4の8月前後です。それで入会試験でA合格でもする子なら竹の会ならまず成功する蓋然性が高いでしょ。小5の1年間を基本の訓練に使える、これが大切なんです。小4というのは、おまけです。車のハンドルに遊びというのがあるのを知っていますか。少し緩い、つまりハンドルがぶれてもタイヤには連動しないのです。だから安全が保てるのです。遊びというのはとても大切なはたらきをするものなんです。小4の8月に来れば、小5の1年間を訓練に使うとして、その予備として、自由に使えるわけです。小5になってきた子たちというのは、1年間をフルに訓練には使えない。遅くなればなるほど訓練そのものに使える時間は少なくなる。分数とか、割合の導入とかを小5になってやるのはいかにも余裕がない。遊びがないのです。小6になって伸びる子というのは、この遊びの期間を有意義に過ごした子たちです。だから小6間際になってくれば、もう遊びどころか、訓練期間もないのです。失速するのはあたりまえでしょ。

 そういうわけでわたしはこの「草枕」で小4の逸材を募集し続けたわけです。小4の逸材だったらわたしはもう優先的にとります。事実そうしてきましけど、正直小5はもういい、そう思っています。

 大手にいた子たちというのはすべてにおいてダメである。九段の合同説明会に集まった母親や父親たちというのは、たいていが子を大手に入れていたのだと思います。竹の会もあの日はわたし自ら陣頭指揮を取りまして、竹の会の卒業生の子らに手伝ってもらってチラシを配りましたけど、虚しい徒労でした。1000枚以上は配りましたが、反応は限りなくゼロでした。いや大手を信奉する親たちの存在を見せつけられた思いでした。世間の親たちというのは、こうした大手に2年とか、3年とか、通わせるわけですね。その結果、実は何もできないバカが見事に増殖することに成功するわけです。無知なる親の集団が無知なる子をの集団を拡大再生産する構造は、別に産業革命に擬えるわけではないけれど、社会に不良品を大量に排出していくことにほかならない。無知なる者たちが愚行の報いを受けることに何の同情も湧き起こらない。

 世の親というのはわかったような顔をして、実は何もわかっていないのだと言うことをわたしも勉強させてもらいました。大手にいた子たちが、そのほとんどが当然の結果として、受検に失敗して、地元の区立中学に吸い込まれていくわけですが、この懲りないバカ親たちは、中1、中2と部活に明け暮れて陸に勉強もしてこなかったバカ息子、バカ娘たちを遅ればせながら、またぞろ大手塾に放り込むわけです。いやいや中には、賢明な教育熱心な親もいまして、部活よりも勉強だと、早くから大手塾や地元塾に通わせる親もいますけど、いずれにしても、小学の大手育ちの子たちがいずれ失速することは予定の行動なのです。

 わたしは特に大手だからどうのこうの言っているわけではない。既存の塾もその本質は変わらないからです。テキストを軸にやっている限り同じことです。テキストを軸に、講師も、生徒も、動くシステムです。授業もテキストに絶対支配されるのは、当然として、予習、復習、補習という概念も、つまるところは、テキストを前提にしたものです。特別講座とか、特別対策ゼミ? ん? 普通の授業じゃー、足りない? と言っているのですよね。こうなってくると、通常の授業も怪しくなってくる。

 進学塾なんか、テキストわかんなくて、落ちこぼれていく、わけです。講師もテキスト理解させようと、授業やるわけですね。この根本のスタイルは、テキスト授業型の地元塾だって変わらないということです。

 いいですか。テキストで子どもを導こうとすることに固執すれば、テキストから見放される子が必ず出ます。テキストと授業基準でふるいにかけられる子たちです。学校の優等生も例外なく振り落とされます。天才だけがふるいに残るシステムなんです。だから都立対策大手塾はこのテキストの水準を下げるわけです。できるだけ多くふるいの上に残そうとするわけです。その結果、バカが混交してくるわけです。テキストがふるいの役目を果たさないのです。自滅行為ですよね。

 だったら進学塾ならいいのか、ということですけど、進学塾の難しいテキストというのは、実は、金儲けが本質でしょ。まず授業する講師というのも予習してないと教えられないはずです。もう何年もやってるベテラン講師ならそれはないでしょうけど、いずれにしても、講師というのは、たいていが学生で、後知恵でしか勉強してない連中です。つまり予め答え、解き方を知っていて教えている。だから授業受けてもわからないのです。ほんとうに自分で解いた人間にしかわかるようには教えられない、これが真理です。わたしなんかは、みくにの銀本をつかってまず自分で解きます、それから解説を考える。そうしなければ子どもたちに説明なんかできるはずがないでしょ。大手の学生講師はたいてい大手の用意した虎の巻で予め後知恵の解き方を覚えて、それから授業しているはずです。そんな授業聞いたってわかるはずなんかないでしょ。

 家庭教師なんかとにかく何かテキストがないと何もできないでしょ。テキスト従属型の最たるものです。「教える商売」というのは、このテキストの福音によって営業ベースにのることができたのです。講師は授業という説話をやるテキストの伝道師みたなものです。

 わたしは剣道をやったことはないけれど、時代小説でいろいろ知っているのですが、テキストで何かが学べるということではない。奥義書みたなものを剣豪は歳を取ると書くわけですけど、そんなの読んだからといって強くなるわけではない。宮本武蔵の五輪の書なんかを読んだからといって達人になれるわけではない。

 足腰鍛えて、素振りを毎日何千回もやって、地道に基本を積み重ねていく、これでしょ。

 小4とか、小5、この時期が、いやこの時期しかないのです。小6になって、いや中学生になっても、失速しないというためには、この時期しかないと思うのです。

 いや大手にしか目がいかない連中などわたしにはどうでもいいのです。そんな連中の子がどうなっても知ったことではない。大人ですから自分のしでかした不始末の責任は自分で受けるしかない、これだけは天は容赦なく配剤することになっている。

 戸山の発表の日でした。地下鉄のホームにいた父と母と娘。娘は泣きはらした顔をして、母はなにか寂しげに娘を見やる、父は苦虫を噛みつぶしたような顔をしてじっと一点を見つめていた。わたしにはこの父親の考えていることがわかりました。都立なら入学金だって8千円か、学費は月に1万円もいかないでしょ。戸山を落ちた子ならどこやらの併願校に行くことになるのでしょ。入学金とか年間の学費とか百万単位で親は用意しなければならない。いくら考えてもあきらめきれないでしょ、都立ならどんなによかったことか、しかし、現実はリアルである。 

 地元塾だったのか、大手に行っていたのか、知らないけれど、選んだのは親であり、子どもだって満足して通ったはずである。その結果であるのならもはやあきらめるほかない。茨の道しかないならいたしかたない。何かを信用するということ、それは自分の人生を決めてしまうこと。高校入試は大手は危険、こりゃー常識でしょ。

 塾選びから子どもの将来は決められる。それほど重大なことなんです。大手を信用する、その信用するということで売り渡すものは、子どもの取り返しのつかない未来です。

 大手は、いや地元塾も同じですが、見込みのない子を不作為のままに飼い殺しにするものです。わたしは退塾ということをしますけど、大手などはまずやらないでしょ。わたしは退塾で恨まれますけど、大手はそんなこともない。騙し続けて恨まれることもない。なにしろバカ親のみなさんは大手にはかけがえのない金づるなんですから、なにがあっても離すわけがない。次から次に「特別」という名のオプションを売り込んでくる。子どもは子どもで仲間と楽しくやれて喜んでいるわけです。講師の先生も子どもに気を遣って阿ってくれる先生ばかりですから、なんとも居心地のいいことでしょうね。

 まあ、最後は、バカ高校に行って、たいていは先が見えてるけど、ごくありきたりの人生を過ごすことになる。小学生や中学生の頃、あれほど大手、大手と夢中になった親たちも、自分のバカ息子、バカ娘の現実を見て、熱も冷めるわけでしょう。

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