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都立日比谷・西への道、都立小石川・桜修館への道~偏差値、合格最低点、難問対策不要論など

2016.03.26

 遅くなりました。午前中は、他出してまして、とにかく今更新できるときにしておこうと思い立ちました。

 曇りの予報でしたが、少し晴れ間が出てきました。我が家ではもう二十数歳になろうかという亀がいますが、今日は今たっぷりと太陽光を浴びているところです。亀は紫外線を浴びてビタミンD3を生成しカルシウムを吸収するらしい。それでその吸収したカルシウムが甲羅などを形成するのに使われるということらしいです。冬の間は、紫外線電球を照らしたりしています。冬眠はさせてません。名前は最初いろいろつけていたのですが、今はどうでもよくなりまして、とにかく最後までめんどうをみなければならない、ということしか考えてません。

 都立日比谷とか、西、戸山などに合格する生徒というのは、やはりもともと頭がそれなりによくなくてはならないということはありますが、それでもエナや早稲アカに3年間通って「落ちた」という人の話を聞くと、いろいろ考えさせられます。Z会などでも結局落ちている人の方が圧倒的に多いわけです。これだけ受かりました、と広告するけれど、そしてその数字そのものもかなり疑わしいのですけれども、もし落ちた人の数を問題にすればこれはもう膨大な数になるのでしょう。Z会は事実上落ちた生徒の数がわかるだけ正直ですね。

 それなりに頭がよくて、さらに中学の3年間を勉強に打ち込むだけのモチベーションというものがなければならない。いや実行力そのものが問われる。そういう意味では、日比谷、西へ行ける人というのは、選ばれた人なのだと思う。弱い子はどんどん脱落していく。知能がかなり高い子でも斑(むら)のある子は落ちていく。成功する子というのは斑がない。ブレのない子というのが成功するというのは真理と思う。

 この視点から見ると、今年の小石川受検組を見てみると、コンスタントに名前をのせた子というのが結局は受かっている。斑、ブレというのは、結局ふだんのなんでもない日常の生活というものをそのまま反映しているように思う。成績に斑がある子というのは、日常でも、勉強に斑があるとみて間違いない。夏休みにどれだけ勉強したか、「4時間弱」という答えは失望を越えて、これでいいのか、時間がたっぷりあるのになんでそれだけなのか、と憤りさえ禁じ得ないものであった。ましてや勉強もしないで趣味に費やしているなど聞きたくもない話しである。

 偏差値というのは、自分が受験生の平均、つまり真ん中あたりからどの位置にあるかを示すだけです。公立中学の先生がVもぎなどの偏差値で志望校を単純に決めているのは頭がおかしい、いやバカなのかと思う。例えば、英語の長文ができたけれど文法がとれなくて偏差値60という生徒と長文はできなかったけど偏差値62だったという生徒のどちらが受かるか、という話しである。私立だと出題傾向があるから、ますますわからなくなる。偏差値70とったから学習院は合格するだろうなどとは言えないのである。Vもぎと駿台模試では受験層も問題の難易度も違う。つまり、難関ねらいと都立ねらいでは模試を選ばなければならない。つまり、偏差値で志望校の合否はわからない。公立中の先生が信用ならないのは、偏差値で判断するからである。

 合否の判定は、志望校の過去問の得点率で決める。これがいちばん正確である。都立共通問題の場合は、Vもぎがかなり正確にこの得点率というものを示してくれる。W合格もぎの合格基準は常にVもぎより高い。どちらでいくか、これには多くの受験生のみなさんが迷われたことであろう。Wもぎを採用している早稲アカなどでは当然Wもぎで指導するであろうから、かなり志望校を下げることになるはずである。

 受験というのは、戦略である。得点率を見ていろいろと戦略を立てる。このとき、「捨てる」ということは有効な戦略となる。たとえば、今年の文京では、わたしは数学をある意味捨てさせている。理科、社会にその分力を入れたということであるが、それでも数学を完全に捨てたわけではない。60~70点はとれるとふんでの戦略である。数学はこのとき難問は捨てる作戦である。

 受験では、難問対策というのがある。小石川では当然難問の出題が予想される。このときどの程度この難問のための準備をするべきかである。結論から言えば、思考力をつけるという訓練は怠らないという前提で、特に難問対策は不要ということである。解けるかどうかわからない難問は最初から捨てて、標準的な問題を確実に解くことのほうが大切である。合否は難問の成否でよりもむしろ標準、基本問題の成否で決まっている、とわたしは思っている。小石川クラスになるとなんともいえないが、富士や白鷗は確実に基本問題を確実に解いた子が受かるようになっている。

 新中1のみなさんは、自分が3年後どのような立ち位置にあるのか、しっかりとイメージしてみるといい。日比谷に合格している、西に合格している、戸山に合格している、そういう姿をしっかりとイメージしてみるといい。そういう立ち位置に自分が立つことができるのか、並大抵の意思力ではとても実現できまい。実行力である、考えるよりもまず実行することである。並の大人ができない大変なことである。実行した者のみがそういう立ち位置に自分を実現することができる。

 都立中に落ちた人というのは、勉強に、つまりは生活に斑があった人である。勉強するということに決してブレがない、これこそが成功の秘訣である。突然勉強しなくなる、わたしはそういう人を、小学生にも中学生にもいくらでも見てきた。本人にもわからない理由、原因があったのかもしれない。しかし、このブレの結果の代償は計り知れないほどに大きい。都立中受検で小石川、桜修館に行けないということ、高校入試で日比谷、西、戸山に行けない、ということ、その意味を知るのはずっと後かもしれない。しかし、すぐなのかもしれない。いずれにしても身をもって知ることになる。その代償の大きさを。勉強できるのにしなかったという代償はあまりにも大きい。

 中学ではその轍を踏んではならない。勉強を思い切りやって後で考えればいい。今は勉強してなんになるのかなどということは考えなくていい。今は実行することである。そういうことを考えれば考えるほど後で後悔することになる。

 

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