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都立日比谷・西・戸山に合格者を出す日/竹の会が小石川に複数合格者を出す日/勉強難民を創り出す母親の群像

2017.12.05

 おはようございます。今日は久しぶりにブログを更新してみようかという気持ちになりました。このところ鬱(うつ)とまでは言わないまでもかなりブルーな気分が続きましてとてもブログを更新する精神的余裕はありませんでした。このまま「草枕」を閉じたい気持ちに駆られました。その分、いろいろと教材開発研究に時間をかけました。問題は渋谷Bにあります。渋谷Bは仮合格者が多いこともありまして、どうしても手がかかります。さらには今年指導を受け入れた中1の中にはすでに竹の会のレジュメをこなしきれないままに時を徒過してしまう状況が続いている子も出てきました。部活ということで6時前後になる、というのもひっかかります。それでレジュメをこなし、成績も維持できればいいのですが、普通の凡人にはまずないことです。特に今年の中1については受検失敗組については入会基準をかなり緩くして入会を認めた経緯があります。竹の会はもともと中学については、受検組なら早稲田進学会の模試で上位に名をのせたならとりました。ただ27年、28年の戸山合格者は名前をのせたことはない、しかし、わたしが能力を認めた子たちではありました。かれらは中学入学後学年の少なくとも5番以内にはいたのです。中学からとるという場合、9科目中「5」が5個以上を求めています。そうでなければわたしのレジュメをこなしながら進められないからです。ただわたしが「この子は静かでまじめな性格だ」ということで気に入るということはあります。こういう子なら指導してみようか、という気持ちにさせる子です。中学というのはまじめに努力する子が伸びていくところです。最近小学生から中学生が指導時間中にマンガをかいているという報告をたびたび受けております。レジュメをこなせないことの裏返しでしょうか。いやそれ以上に勉強というものに専念できないのかもしれません。中学というのは口実ばかり言って勉強しない生徒ばかりいるところです。部活は最大の大義名分となる口実です。多くの親が部活で勉強できないのはしかたない、とする態度をとってきたことをわたしは30年余にわたって見てきました。部活前提で曜日と時間が合う塾を探す母親もいました。部活にはまっている子というのはたいていは塾に来て眠るだけです。アホらしい。わたしはそんなバカな母親ならいくらでも知っています。たいていは3か月もいたら止めていきます。本末転倒です。いずれ社会の底辺に吐きだれていく、そんなことも意に介しない母親なのか、とあきれてしまいます。こういう口実生徒というのは、実は小学生のときからすでに芽があったのです。勉強を先送りするという教育を実践してきた家庭はみなそうです。この先送りの口実がやたら多いのが小学の頃です。盆、正月は家庭公認の先送り行事ですが、連休、夏休みと家庭の先送りの口実は尽きません。よく言う家庭の事情というやつです。家庭の事情の最たるもののひとつが習い事と稽古事にまつわる先送り行事です。こういう家庭の事情一家が受検するとすれば当然のように勉強は先送りされる機会がかなりにありますから、早晩失速することが運命づけられていることになります。ある小6が現在竹の会の小6で早稲田進学会に名前を載せている子を見て「すごい、頭がいい」と言いましたが、そうではないのです。そう言った子たちの方がずっとできていたと思います。そうではなくて先送りしないで勉強を常に優先してきたことの結果なのです。もう自分が「先に入っていた子たちより遅れている」という意識から人の何倍もそれこそ泣きながら努力してきた結果なのです。先送りなどというもったいないことができなかっただけなのです。先送りばかりしていると、勉強と距離を置きたがる心的傾向が身についてきます。こういう子が、家庭が、中学になったとき、ほぼ先は見えています。都立の芽は自ずと早々に消えてしまう。たいていは低偏差値の私立に単願推薦という名の無試験入試で進むことになります。問題はその先にあります。こういう子が高校生になるとどうなるか、です。低偏差値高校では中途退学が多いのもよく知られているところですが、少子化でだれでも大学に行けることにはなっていますから、そういう大学「風」のところに行く子もいますが、ほとんどはそのまま社会に吐き出されることになる。社会の底辺に吐き出される。学校出た途端に社会の底辺を生きることになる。もちろんいろいろな家庭環境がありますから、裕福な子は裕福な人生を歩むことにるのが普通ですからすべて底辺というわけではない。水呑百姓の子が水呑百姓になる、というのが江戸時代のあたりまえの現実でしたが、その実質は今も変わらない。

 竹の会のような塾はもう二つとない、今の竹の会が唯一、そういう塾だと思っています。一度竹の会で竹の会の指導を受けたなら、塾というものはこういうものだ、とよくよくわかるのだ、と思います。入会前の不安、懐疑心がどこかに吹き飛び、ただただ竹の会のすごさが「わかる」ということなのかな、と思います。実は、わたしはずっと昔から「竹の会はこんなにもすごい塾なんですよ」と訴えてきました。自分で作ったチラシにもそう書きました。しかし、当然なのですが、かなり胡散臭いやつだと思われたのだと思います。竹の会は長く地元塾としてやってきましたが、ようやく23区のみなさんが通える塾として立地しました。だからとてもわたしは竹の会を大切にしてきました。しかし、子どもたちがみなわたしの思うように静かに勉強だけをしてくれるというのはやはり無理のようでした。小学生の中にはわたしがいくら言っても通路で大声出し、走り、おしゃべりをし、とうとう最近は住民から目をつけられることになりました。それでわたしは次の1月をひとつの区切りとして、問題のある子には退塾をお願いする決意をしたのです。中学生なのに指導時間中にまんがをかくというのもわたしにはストレス以外のなにものでもありません。勉強しない子には来て欲しくないのです。また周りに気も配れないがさつな子も指導には適しないと思います。わたしは実は来年以降の新小4の募集もなしとさえ思い詰めました。

 わたしには今の小5を送り出す夢があります。というより今の小5のほとんどは小4の早くからわたしの元にきてくた、大切な子たちです。どんなにかわたしが早くから来てくれたことに感謝し、わたしがわたしの持てる指導技術の粋を尽くして導いてきたことか、わたしにしかわかりません。みなわたしが精魂込めて育ててきた子たちばかりです。この子たちが小5になって思考力を深めていくのを見るにつけ、この子たちのほとんどが合格するに違いない、とわたしは確信するようになりました。いつもこのブログで書きますが、竹の会に小4から来てくれる家庭などほとんどいなかったのです。いくら募集してもきてくれません。去年、一昨年はそれどころか、譲歩して小5を募集してみたのですが、さっぱり来てくれませんでした。今いる小5の子たちがどうして小4から来てくれたのか、わたしには不思議な思いです。もしかしたら神さまが竹の会の最後に、10人合格という贈り物をするために差し向けてくれたのかもしれない。これがわたしの最後の仕事になるかもしれない。いつもそう思ってやっています。正直もう年齢的な限界にきています。いつ体調を崩して倒れてもおかしくない。だから日々とても体調に気をつけています。ただ指導以外のストレスで苦しむのはもういいという気持ちです。だからわたしが退塾をお願いするときはそういうことなのだとわかってくださればと思います。

 ◎勉強難民はなぜ大量に溢れることになるのか

 わたしはこれほど世の中に勉強という機会から疎外されている子たちの存在の氾濫に覚醒したことはありません。東京には確かに日本一塾が集中しているのだとは思います。サピックス、早稲アカ、四谷大塚、日能研、栄光、Z会、エナ等々なんでもあります。また個人がやる地元塾、講師数人規模の中小塾などもうキリがない。中には数学専門塾とか、国語専門塾などというのもある。英語単科塾というのは昔からあったが、「うちの子は数学が弱い」とか、「うちの子は国語ができない」という母親の気持ちを見透かしての立塾なのでしょう。わたしから言わせればいかにも胡散臭いのですけれど、親たちはどうも「専門」という言葉をつけると弱いようです。「専門と言うほどの専門家はいない」のが世の中の真実なのにです。素人が「専門」と冠していくらでも商売やる世の中です。数学塾に行ってできるようになか、国語塾に行ってできるようになるか、です。いや塾に行ってできるようになったのか、です。大手と言われるところにいた子たちの学力の低さは何度も見てきました。2年も3年も大手に通って、中学になるときに竹の会の入会試験を受けたら0点という子もいましたが、大手でもどこでもただ塾に通わせていれば安心している親がアホというほかなく、塾というものがまるでわかっていない、というほかない。わたしは自分の子を塾にやる自信がなかった。だから自分で指導しました。塾が信用できなかったのです。しかし、だからといって塾に行っていない子たちの学力の悲惨な現実も看過できないことです。頭の質は悪くないのに結局勉強難民として生きる道を余儀なくされ、もともとがバカな子たちと同類の道を歩むことなどあっていいのでしょうか。塾に行かないから、通信受けたり、大手の夏期などの講習をつまみ食いしたりとできるだけカネのかからない選択をするのですが、勉強難民として生きることになるのは変わらない。

 竹の会にきて実際に指導を受けて見て初めて「本物の塾とはどういうものか」を悟ることにる。それは実際に竹の会にお子さんを通わせて受験に成功して竹の会を卒業していった親御さんたちからいつも最後に言われたことでした。わたしは世の中の塾というところに何年も通っていたのになんでこんなにできないのか、いつも不思議というより、怒りを持っていました。塾なのになんで計算ひとつまともにできない子を冷凍保存してしまっているのか。割合のなんたるかを説明できない子にしたまま1年も2年もよく親も子も通うものだと思うし、塾にそういうことの責任意識の欠片もないことに憤りを通り越して世の中のしくみにただあきれるばかりである。親が大手に通わせて満足しているのだからわたしからとやかく言うことはなにもない。

 多数の勉強難民が多数の塾を潤しているだけである。今年もなんとか師走を迎えられた。今の私には毎年毎年師走を無事に迎えられるのかが勝負である。今は今いる小6たちを無事送り出すこと、高校入試を乗り切ること、これに専念いたします。竹の会に出会うのはほんとうに偶然のことです。そして竹の会はわずかな期間、出会った子どもたちに幸運と言われるように真実を尽くしたいと思っています。しかし、それも一瞬です。竹の会との出会いが幸運なことと言われることはよくありました。東京にはもう二度と竹の会はない、そう思います、どうか今の一瞬、今ある竹の会を大切にしてくださればと心より願っております。

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