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都立日比谷・西・戸山への道/1日5時間とは/英語に時間をかけろ/ありもしない専門知識

2016.04.16

 おはようございます。九州熊本・大分に群発中の地震が気がかりなことです。熊本から近いところには川内原発が稼働中です。日本は世界有数の活火山の活動する島国であり、地震多発地帯です。この狭い国土に54基もの原発を作り続けたバカが今も脈々と原発利権の旨い汁を吸っています。よく思うのですが、江戸時代の農民観というのは、「愚民観」です、これは教科書には出てきません。今は、民主主義というマジックワードに、国民が騙され、気がつけば支配層に都合のいいように社会が誘導されている、そんな気がします。福島の原発事故のとき、時の政府は、最悪の場合、東日本の全滅、つまりは人々の死を覚悟したそうです。パニックを懼れるという大義で決して「逃げろ」とは言わなかった。真っ先に逃げたのは、真相を知る支配層に近い人たちでした。国会議員、官僚、中には、朝日などの大手新聞社の家族もいたらしい。朝日などの大手新聞社は、正規の記者を第一原発から半径90kmに入れないという措置をとりました。現場に行って取材したのは、フリーランスの記者たちでした。朝日などはそういう記者から記事を買って報道したのです。現場で取材もしない記者が、何がジャーナリストなのでしょうか。一流大出のエリート記者たちを守ったと言えば聞こえはいいけれど、この記者たち、記者会見の質問では、主催者側の意に沿って差し障りのない御用質問ばかりをした、御用聞き記者に成り下がっていたのです。わたしたちは、もはや朝日を信用してはならない、読売は元々正力というオーナーが原発の旗振りであったし、今でも自民党・政府の事実上の機関誌です。毎日は、会社を維持するのが大変で、今では、最大の顧客創価学会に記事を売り、学会の機関誌・聖教新聞の記事の大半は毎日の記事で埋められています。これで食いつないでいる始末です。わたしたちは、朝日が報道する「事実」よりも、報道しない「事実」にこそ目を向けなければならない。それには、海外の報道に目を向けた方が余程公正な事実を知ることが可能と思います。日本で起きていること、日本の真実は、海外のほうが正確に把握している、ということです。朝日はなにも知らせてはくれません。こんな新聞などいらないでしょ。

 ある火山学者が数年前に言ったこと、今、日本列島は有史以来の火山活動期に突入しつつある、その言葉が耳から離れません。わたしたちは、地球が核にマグマを抱えた、表面が冷えて陸となった、そこに住み続けているだけだ、という事実は忘れて、まるで不動の陸がもともとあって、火山が自然災害として襲い来るものという発想を疑わない、それほどに人類は陸がもともと危ういということを忘れて、見せかけの陸の動かざる姿に慣れてしまった。地表が動かざるものと仮定していったん暴走を始めると人間には制御不能という原発を作り、稼働させるということがいかに無謀な所為なのか、支配層からは愚民とされるわたしたちも知らないではすまされない。

 さて、本日は、前振りが長くなってしまいました。

 わたしは、竹の会の子どもたちに、一日5時間の勉強を、と言ってきました。しかし、言ってきただけで、過去にこれを実行できた者は数えるほどしかいない。去年の夏休みにさえわたしに申告した時間というのが、いつも4時間弱、中には3時間などということを言う子たちばかりであった。学校のない夏休みでこれである。普段に5時間を継続できる人などそうざらにいるはずもない。

 しかし、これだけは言えます。5時間勉強できない者に日比谷・西、そして小石川、桜修館も無理であると。わたしの知る限り、成功した人たちは、あたりまえのように、そうです、勉強することをあたりまえのことのように勉強してきた、そして5時間どころか、気がつけば7時間、8時間、それほどに勉強してきた人たであった。27年に桜修館に合格した女子は、「将来東大教授になりたい」と作文に書いていましたが、稀に見る実行力を見せた人でした。わたしは、小学生であれほど勉強したという人を見たことがない。いや、22年に桜修館に合格した杉山太一君は、1日17時間やったという記録をもっているけれど、思い返してみれば、やはり成功した人たちの勉強量は半端なものではなかった。

 落ちた人たちの勉強がいかに継続性のない、中途半端なものであったか。したりしなかったりは日常的で、しない日の方が圧倒的に多いのが特徴だ。なにかと習い事、稽古事に嬉々として通う様はこの子たちは実は勉強が好きでないのだと思わせるに十分であった。学校行事はいたしかたないと思うけれど、それでは、わたしの知る、勉強を継続してきた子たちには、どうしてそのようなたびたびの中断というものがなかったのであろうか不思議である。わたしを失望させ、落胆させてきた様々な勉強を中断させる事情、野球、空手、柔道、サッカー、バスケなど、珠算、バレー、ピアノ、・・なんでもありです。挙げ句に、今日は、家族で食事とか、親戚の集まりとか、親戚の家に出かけるとか、実家帰省、ホテルとか、まあ、勉強するというのは「ふり」にしか見えなかった。その度に勉強は中断、そういう子たちが何もない日にどれだけ勉強したのかと言えば、3時間弱などというのが関の山でした。

 親のかかわり方が違う。勉強を継続する子の親というのは、子の勉強するという強い意思を尊重するけれど、勉強を形式的にしか捉えられない子の親というのは、得てして子の勉強するという意思は顧みないし、子もそれでも少しも困らない風が見てとれる。

 さて、5時間という勉強を継続して実行できる人というのは、限られた人、選ばれた人です。ほとんどの人は、今日はまっいいか、で2時間、3時間、いやお休みという日もあるでしょう。それが日比谷、西には行けない人の姿です。

 5時間は、ただ時計の針が5時間回ったということではない。実働5時間です。数学の問題を考えていたら、気がついたら6時間経っていた、です。机に座って、勉強とは関係のないことばかりやっている人がいますけど、「3時間弱」と言う人の心情には、そういうニュアンスが感じられます。3時間「弱」とか、4時間「弱」などという言葉はわたしには落胆しかない。わたしは、7時間を強く望んだ。あっ、夏休みの話しです。

 5時間の中身。新中1のみなさんは、とにかく数学と英語、いや特に、英語には、今このときに5時間すべてをかけるくらいにやってほしい。単語を覚える、暇さえあれば単語を覚える、リーダーを読む、声を出して読む、英語のCDを聞く、文法のレジュメをやる、いくらでもやることはあるでしょ。特に、竹の会の中学生ならいくらでもやるレジュメはあるわけだし、やらないのは、怠けでしょ。

 ここで、これからの英語の展望というものを述べておきます。

 まず、中学の文法はさらりと終わらせる。竹の会ならまず、レジュメで基本的なことは、完全にミスがなくなるまで訓練する。何百枚になるか、とにかく体に覚えさせるまでやる。できたら、指導案を使って、繰り返し練習させる。関係代名詞とか、重要なやつは終わらせて、最後に、文型の概念をたたきこむ。英文は常に文型を問う、このスタンスである。まず文型を確かめる、それから訳す。訳は「一語」の訳にも手を抜かない。「一語」の訳が、文全体の訳を左右する、その境地を悟るまでに、英文の訳にこだわり、没頭する。文型思考が、君たちの到達点、目標である。そのためにとにかく英文と格闘する。竹の会では、数百枚にも及ぶ、基本レジュメの訓練を経て、わたしの傑作品「新英語指導案」をやる。このテキストは80ページほどしかないが、英語のすべてが盛り込まれている。これだけで都立富士高校に合格した生徒もいた。早実レベルには、わたしの「入試英語指導案」がある。竹の会の幻の名著と言われた「英語ポイント集」の復刻版である。最近では27年戸山合格者がこれだけで久我山の英語90点超をとった、折り紙付きである。もともとは早実対策として作ったものだが、竹の会では、難関合格の必須本とされている。これも80ページしかない。

 竹の会の英文解釈

 まずプログレスの副読本・上級を使います。いや正確には、わたしが解説したレジュメを使います。徹底的に、一文一文を文型で分析解説しました。これを終わったら、某出版社の高校用初級英文解釈を使います。小冊子程度の厚さです。このテキストからは過去何度も実際の入試に出ております。実は、数度、この中の英文が出たおかけで受かった生徒がいました。早実、日大櫻丘と日本学園など複数の高校がこの中の英文と同一の英文を出しています。このテキストを終えたらどうするか。実は、ここでわたしは英文の原書を投入してきたのですけれど、定期試験などに阻まれて結局やれなかった。そこでわたしは、厳選した英文をレジュメにしてやることにしています。独自問題の受験者には、独自問題レジュメをやりました。

 さて、中学生のみなさんは、竹の会の英語構想にしたがって、文型思考に到達することをまず目標として日夜英語の習得に取り組んでほしいと思います。英語は毎日やることです。レジュメは体で覚え込むまで何百枚でも練習してください。

◎ありもしない専門知識

 ガイド程度の知識しかなくても、○○電気の修理センターからくれば専門家です。説明が首尾一貫しないのでおかしいと思っても、矛盾ある説明をする専門家です。腸閉塞に気づかないで1年も腸の癒着で説明してきたバカ医師がいます。福島の原発の爆発を「同時説明」できなかった、東大大学院の原子力が専門の教授が、事後に、当然ありうる爆発だなどとほざいていたのは、笑止でした。あのとき瞬時に「水素爆発でしょ」と言ったのは、京大の小出助教だけでした。医師、弁護士、エンジニアといった人たちが、根拠のない自信をもっていること、これは明らかに危険な話しではないか。医師が過剰な自信をもつと、患者はたまったものではない。この種の過信とは、「ありもしない専門知識」を根拠にすることにほかならない。自信過剰な投資アドバイザーによって、大損をした著名人なら枚挙に暇がないでしょ。この種の専門家の特徴は、「自分は違う」と本気で思い込んでいることだ。自分だけは違うと主張する専門家には注意をしたほうがいい。

 大手塾では、まあ、大量の生徒を集めているので、いろいろとバカ集団を根拠にした情報はあるのでしょう。大手でもZ会はいい塾だと思います。ただ最近は教室を増やし過ぎて、またぞろバカ大手の仲間入りの危惧がなきにしもあらずのきらいはある。Z会のように天才たちを集めた中でのデーターは有益である。ただ使えるのはそれだけです。塾で専門家という場合、塾の情報をよく知っている、動向を知っている、特に、最低点、最高点まで知っているなど、そういうことであろう。

 が、塾という仕事で専門と言えるのは、そういうことではないでしょ。ひとりの子をどう伸ばすか、どう指導すればもっともいいかたちで導けるか、何をどう使うか、どういう教材が効果的か、子どもが今どういう知的段階にあるか、理解できない子どもにどう導くかの具体的プログラムなど、あるいは合否を見通す技術、何をやれば何が伸びるか、などこういうのを専門知識という。これは長い経験と努力の結果得られる、他には真似のできない、自分の中に醸成されてきた専門経験である。世の大手好きの親たちにはとうてい想像もできない話しであろう。本物の塾、そんなものがあるのか、あるとしたらどこにあるのか、そうやたらにあるものではない。ただ竹の会は心あるお母様方からいつも「本物の塾でした」ということを言われてきた。だから竹の会が本物の塾だなどと言っているのではない。ただそう言われてきた、そう言っているだけである。

 

 

 

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