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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立日比谷・都立西・都立戸山時代/高校附属型都立中高一貫校の限界/小石川・武蔵が伸びる予感/雑感など

2017.12.15

おはようございます。午前中はたいてい朝7時前には仕事にかかりますが、時には、所用で外に出ることもあり、ブログの更新まで手が回らないことが多くなりました。師走も今日はもう中日でやはり12月は速いですね。竹の会の冬期指導は26日からですが、若干の注意点に触れておきます。

 ◎冬期の注意点

  ・通常の課題は冬期中はお休みです。12月18日までに提出の課題については、12月中に返却します。以後は通常指導日に提出したものは、1月15日以降の返却になります。

   なお、小6については、課題提出は終わりです。

  ・年末年始に帰省等でお休みするのは自由です。

  ・受検生は、年末年始はテレビを観るのは止めたほうがいいでしょう。というか、お正月を楽しむということを避けることです。よく、なぜ?と聞かれますが、そういうタイプの子は受からないことになっています。おそらく受検直前には適度の緊張感の継続というものが大切で、こういうタイプの子、家庭というのは、平気でこの緊張感を打ち壊すのだと思います。受検は先に落ち着いたほうが勝ちです。普段からふらふらと軸のない生活をしているから、ここというときに、慌てるのです。

 ◎1月会費についてのお願い

  12月30日までにお支払いください。例年1月8日などの冬期が明けるまで支払わない親御さんがいますが、前月払いとなっておりますので、それはりません。

 ◎小6は1月で終わりです。

 ◎高校受験の小学生の募集について

  こちらについては、前向きに検討しています。ただし、現小6会員につきましては、ご相談がありました時点で検討しますが、模試でい成績をとったことが、条件になります。

 ◎中学は全員通知表の原本か、写しを提出してください。原本はコピーして即お返しします。2学期制のところでも、まだ一度も提出してない人は必ず1学期の通知表を提出してください。これは、2月以降の指導を継続するかどうか、の判断資料とするためです。

 ◎最近急増の仮合格者について

  指導にかかる勉強の進捗状況については、当の親御さんが一番把握しているのではないか、と思います。あるいはお子さんの勉強への意欲とか、取り組み姿勢など不十分と認識されている親御さんがいましたら、そういう状況が続くのは、わたしの主意でもなく、好ましくもありません。退塾の方向で調整するのが適切と思います。勉強というのは、飽くまでも当の子どもの勉強に対する思いがなければ意味がありません。ただなにぶんにも未熟な子どもの考えることですから、そこは親の強制というのが教育的な意味をもってくるのは確かです。ですから、強制してもきちんとやらないほどに勉強嫌いならもはやこれは教育は無理ということです。少なくともそういう子の指導は竹の会ではできないと思います。

 ◎退塾の頃合い、その見切り時

  よく遅刻する、何かと休むなどは速やかに退塾するのが頃合いです。指導時間中にマンガをかくとか、本を読むとか、指導とは関係のない勉強をするとか、こういう場合は、退塾も頃合いです。勉強破綻の兆候と思います。竹の会では特に中学生に多いのですが、持ち込んだ参考書や問題集を勝手にやる、つまりレジュメをやらないという生徒がいまして、そういう子というのは、必ずといって成績を落ちるところまで落として退塾しています。最近でもZ会の通信教育を受けていた中学生がどうにもならないほどに成績を落として退塾した例が出ています。そもそも竹の会に来ていて、レジュメをやらない、軽視する、先送りするということがありえないことでした。先輩たちがレジュメだけで受かっているのに、飽き足らず、何かやるというのがそもそもの失敗だったのです。入会時に必ずレジュメをしっかりとやるようにとは言っているのですが、それが守れないわけです。レジュメをきちんとやっている子たちが学年トップクラスにいるのと対照的です。

 ◎竹の会に入会のタイミングは、小4早期においてしかないということ

 おそらく私立中学受験の親御さんならここまでのんびりとした対応はしないでしょう。都立中受検の親御さんというのはどこか甘い、とにかく楽観しているところがあります。かつて竹の会ではそういう事情も斟酌して小4の2月に募集をしましたが、竹の会の知名度がないということもあってか、だれも来ない。多くの都立中受検の親は、小5でも早いと思っている、だから、小5になっても、なにやかやと家庭の事情でいくらでも勉強を先送りし、それでも間に合うと本気で信じている。実際はそんなことはないことはもうずっと子どもたちを指導してきたわたしがいちばんわかっているのですが、親は平気で何かと子どもを休ませる。合格した子というのが、そういう家庭の事情のない子たちなのだということがわかっていないわけです。そういうのんびりとした姿勢だから早晩失速するであろうことは目に見えているわけです。だからわたしはいつもそういう状況の中であれこれとまた対応に頭を悩ませるということをしてきたわけです。できるならば、小4の早い時期に来てくれて、きちんと指導にしたがってくれる、やたら家庭の事情がない、そういう子、家庭が理想です。あと入会試験にA合格以上すれば申し分ない。小4早期にA合格する子というのは、伸びます。もちろん竹の会の指導で伸びると言えるのです。昔、竹の会の入会試験を腕試しに受けて大手に行くという親が何人か来まして、合格をとって意気揚々と大手に行ったようですが、これは完全に誤解しているわけです。竹の会の入会試験というのは、少しも偏差値的な知識を試しているわけではない。これから指導する竹の会の指導方法の適性を診ているわけですから、仮に合格した子が大手に行ったら成功するか、といえば、微妙です。もしもともとの天才なら成功するでしょう。しかし、たいていは潰される。あと小5にやってきてA合格どころか、合格もできない、というのはかなり厳しい状況にある、と思います。小5の仮合格というのは、厳しい環境にある。これは小5期にA合格をとっても失速する子が多い、ということからもわかることです。

 ◎競争から逃げる子たちと子の訴えをそのまま信じる、困った親の増殖

 受験期によくいるのが、模試をできるだけ受けないように行動する子です。なぜ逃げるのか。理由は簡単です。実力がないからです。できると思われている自分のほんとうのところがバレるからです。何年か前、わたしが「受けろ」と言った模試を一人だけ受けなかった子がいました。小6になっても週のうち5日は習い事やら稽古事をやっている家庭でしたが、模試を受けた回数が2回しかない。そもそも競争するから人間というのは進化してきたのです。競争というのは、そもそも人間というものが、生存する、そのことが競争であり、人間が生きるということに内在する必然的な要件なのです。人間は価値観から競争を否定しても人生というものが生存競争であるという真理を否定することはできないのです。こういう競争に耐えられないという子ももちろん出てきます。生存というのは敗者は死滅するという厳しい掟で成り立っています。親が逃げる子を庇うのはあたりまえですが、とにかくも生存することから逃げている子については、親は死ぬまで面倒みるしかないし、親が死ねば子は終わりです。親は人生というものが競争、生き残る競争の中にあるということを子どもに教えていかなければならい。それから子どもというのは、回避する、逃げるというときに決して本当のことは言わない。必ずだれか悪者を擬製して自分を正当化するものです。ところが子が子なら親も親でいとも簡単に子の正当化を認めてしまうのです。これが教育というものができない親の特徴です。平等という理想を訴えて、受験競争を悪だとして、制度を改悪してきたのが、教育委員会でしたが、結局、自分たちの試みが大失敗だったことを認めるしかなかったわけです。都立は今では都内のどこでも受けられますが、一時期は区割りして制限した。学区外受験について、かつて教育委員会に問い合わせたことがあったが、学区外受験を悪とする認識だった。ところが都立高の凋落がいきつくところまで行き着くと、平気で学区を撤廃した。平等というのは飽くまで建前(価値観)の問題に過ぎなかったのです。

 勉強しない子は、それだけで競争からすでに逃げている。中学生になって「勉強しない」のは、競争を回避して、殻に閉じこもる、見ないようにする、背中を向ける、ということです。この意味するところは、こういう子たちが、本人の意思に関わりなく、成績不振児の行き着く先、お決まりの人生コースを歩む、そういう道の選択をするということです。低偏差値の私立高校に単願という名の無試験入試をして進む、その高校というのは、中途退学率の異常に高い高校であり、まともに卒業したとしても、多かれ少なかれ、質の悪い高校生の中で、程度の低い文化に染まり、刹那的な人生を送るしかない、職につくことになる。社会の底辺を奴隷扱いに等しい労働環境で、食いつなぐしかない人生、を選んでいたことに遅ればせながら気づく。これが生存競争の意味です。そのときになって初めて親も子も実は生存競争のなかにあったのだということを悟ることになる。

 生存は競争である。中学生になって、恵まれた環境で塾に通わせてもらっているのに、そういう自覚のない子は平気で勉強を蔑ろにする。建前上は、敗者に優しい社会を装うのが今の社会です。しかし、現実には、敗者復活戦などというのは戯れ言です。過保護の親が、極端に比べられることを嫌がる子を作った。競争することは、自尊心を傷つけることと悟り、できるだけ競争から逃げようとする子が、この先の生存競争を生き抜けれるはずもない。いつも比べられることから逃げる習性が身についてしまった子こそ哀れである。

 親は子どもに生存競争を戦っているのだということを教育する義務がある。かわいい子には旅をさせよ、という先人の知恵も生存の厳しさを教えているではないか。獅子の子落としは、獅子は子を生むとその子を深い谷に投げ落とし、よじ登って来た強い子だけを育てるという言い伝えである。動物こそ生きるとはどういうことなのか、知っている。人間というのは、豊かになって、生存というものがそもそも何なのかさえ曖昧になり、子に生存という教育をしなくなった。生存から逃げる子を可愛がるバカ親の増殖、自分の子を不幸にすることがわからないからバカ親である。

◎結局子を潰してしまう親の増殖

 大手塾と学校説明会マニアの、たいていは母親、このコラボが結局は受験に失敗して、社会的不適合、つまりは社会的弱者を創り上げる構造というのがあります。こういう母親や父親はこの能力に「即して」育てるということを嫌います。なんでも一流と言われるものならすぐ飛びつく。子の事情などお構いなして、自分たちの能力が高ければ当然に子も高いと信じて疑わない。「うちの子は小石川でなければならない」という前提で。子に努力を強制する親もいます。子がそれでにこにこしているのならまだ救われますが、無邪気な子がにこにこしているのは最初のうちだけです。こういう親は伸びようとする芽を育てるのではなく、矯正しようとするから、無理が出てくる。報いは親が受けるべきであるが、子の被る被害は甚大である。親の計算通りには絶対にならないことになっている。よくいる受験情報にやたら詳しい親の子というのは、本命の受験には失敗することになっている。天才の親はのんびりしたものです。距離を保って見守っているものです。中途半端に頭のいい子の親がやたら情報に振り回されて、ぶれまくり、子を振り回し、結局軸足を固定して勉強することのできない、飽きっぽい、誰かに頼ってばかりの、目新しいとすぐ飛びつく、子にしてしまい、受験に失敗して、不適合人格を創り上げてしまうのです。このバカ親にしてこの子ありです。

 ◎指導家ということ

 指導家とは、この子に今何が一番必要なのかを的確に見抜き、その手当てをすること、そのことに長けた人のことである。指導というのは、現実に即するのでなければ意味がない。子どもの苦悶の表情を読む、その上で手当てする。指導というのは、何かマスターさせるとして、それに向けた一連の体系化された手当てをいう。もし割合をマスターさせようと思えば、割合マスターのための手順を組み、その手順にしたがって、手当てしていくことになる。割合なら前提として分数というものがわかっていないと手当てはできない。分数なら小数が前提となる。だから子どもを指導するというのは、まず、その子のこれまで理解してきたというものの現状をリアルに把握するのが先決である。いろいろ検査する。検査問題というのを作って調べる。対応というか、指導のプログラムを組むのはそれからである。だれでも指導が可能なわけではない。竹の会ではだから入会試験をやる。6問ある。4問で合格、5問でA合格、全問正解でS合格という。3問正解は準合格。3問未満2問以上を仮合格とする。仮合格はどこまで指導が進められるか、グレーである。だめかもしれない。ちなみに、28年に富士と白鷗に合格した子たちは準合格だった。

 指導が成功するには、大前提というものもある。子の勉強姿勢である。勉強をなによりも大切と考える子ほど伸びていくからである。勉強嫌いな子は、生存競争から脱落するかもしれない。生存に必要なものはもちろん勉強だけではない、正確には勉強することそのものではない。職人の道もある。生存する方法は問わないからなんでもいい。いずれにしても逃げる子にしてはならない。怠惰な子にしてはならない。

 

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