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都立日比谷高校/都立小石川中等/都立桜修館/7月これからの日程にご注意を!

2018.07.14

 おはようございます。今年は不思議な気候展開となりました。まさに予測不能です。梅雨明けは最速で、水不足の心配はなんと未曾有の集中豪雨でなし、しかし、その自然災害の最悪なこと、これに対する政府の脳天気な対応に批判も出ているようです。7月は一気に超炎天の日が続く異常な気候展開となりました。どうかみなさまこの暑い季節を熱中症にはくれぐれも注意されて体調を崩すことなく勉学に専念くださればと思います。

 ◎7月これからの日程

  渋谷Aの指導日

  7月15日、16日とAの連続指導日です。いずれも13時開始となっております。18日(水)のAはありませんので、注意してください。Aはこの後、22日(日)を最後の指導日として、7月の指導を終わります。

  渋谷Bの指導日

  次の指導日は、19日(木)、20(金)です。Bは20日が最終指導日です。16日(月)はAの指導日です。注意してください。

  ※7月23日~31日 竹の会お休み

   小6について。お休み期間中の夏期課題については、指導日に相当枚数を配布する予定ですが、現在進行中のレジュメがまだかなりあるという場合は、それを優先してください。また、「撰」シリーズを終わっていない場合は、「撰」シリーズをやってください。「撰」シリーズを終わっている場合は、過去問シリーズを受け取ってください。

  ※「撰」シリーズについて

   「撰」シリーズは、全6巻あります。巻を終わるごとに、詳細解説集をお渡しします。

  ※指導レジュメについて

   指導レジュメには、次のシリーズがあります。

   「単位あたり量を鍛える」「推論を鍛える」「推論を鍛える・標準編」「新推論を鍛える」「初見問題の研究」「推論算数」

   まず以上のレジュメを終わらせてください。

   さらに余裕のある場合、次のものに進めてください。

   「新推論算数」「算数をクリアーにする」

   小石川、桜修館受検者については、9月以降さらに難度の高いレジュメ集に取り組んでもらいます。

  ※作文について

   作文シリーズは、「作文の基礎」「新作文問題」を終えた後は、「新作文」シリーズに入ります。現在、作文シリーズについては、課題として進めております。また、桜修館志望者は、「桜修館の作文」を実施いたしております。「課題passport」資格者は、夏期中も作文課題を請求すれば対応します。「課題passport」資格者でなくても、夏期指導時間中に作文レジュメをやりたい場合は申し出れば対応します。「桜修館」志望者は、「桜修館の作文」を毎指導日に最低でも2通はやるようにしてください。添削とわたしの書いた答案例を添付します。

  ※九段志望者について

   特に、理科と社会のシリーズについて、しっかりと進めてください。「教養のための理科」を早期に終わらせて、「必要十分条件の研究 理科」を是非勉強して知識、理解を深めてください。

  ※過去問合格法のこと

  小石川志望者は必須です。桜修館についても、実施します。

 ◎渋谷Bの小6のみなさん、ありがとうございます。

  昨日は、トイレから指導室に戻ると、小6の子たちが指導室に集まっていまして、「先生、おめでうございます」と寄せ書きをいただきました。。去年の7月に旧Aの子たちから、寄せ書きをいただきましたが、Bのお母さまがそのときにわたしの誕生日を記録していたということで、Bの小6がこっそりと話し合ってわたしを驚かせようとしたようです。どうもありがとうございます。普段は結構厳しいことを言っていますので、びっくりです。

 

🔵奇跡の数学 竹の会数学の記録

 そうでした。竹の会は数学で名を馳せた。竹の会の数学の評判を聞いて、秀才たちが集まってきた。河合塾、代ゼミなどに通う、難関校狙いの秀才たちが、どこから聞きつけたのか、竹の会の数学の噂を聞いて集まってきた。だから大手に通いながらとか、英語塾に通いながらというのは、当時の竹の会では、よくあることだった。ただ主流はやはり竹の会だけといのが多かった。たまにかけもちで通う子もいたけれど、1、2か月もすれは、竹の会の虜になって、かけもちを止めるのが、定型行動であった。竹の会の数学に魅了されていった秀才たちには、竹の会の数学が、他とどこかが違う、とにかく、わかる、そして解けるようになる、考えるスタイルができてくる、一口では言えない、何かが違う、そういうものを彼らは本能的に感じ取っていたのではなかろうか。当時から、わたしのやっていたことには、本質的な違いはない。過去問を使うこと、そして、まず「解かせる」、解けるまで、時間はいくらかかってもいいから、考えさせる。もういいかなというところで、指導する。解説は、藁半紙にわたしが解いたものを見せる。図もかいた、色もつけた。とにかく、わかりやすさを至上とした。簡潔な論理をこころがけた。複数の解法があるときは、できるだけ教科書の知識だけで解くようにした。難問なんかは、声の教育社とか、学参なんかの解説は、網羅的に拾いあげたり、高校数学の理論をつかったりと、受験生には、無理、理解困難というものが、多いという実感があった。そういう問題には、オリジナルの簡単解答を創作することに燃えたものである。子どもたちは、わたしの解答を、手書きの解答をほしがった。一枚手書きで、あとはコピー、だから手書きを欲しがった。 高校入試の過去問は、難関校を中心に過去問20年は遡って解き尽くした。首都圏の高校の問題はほぼ解き尽くした。ある時から、中学入試の過去問にも手を広げ、こちらも解き尽くした。ただ当時のわたしには、算数軽視の癖があり、今のような、独自の算数体系など構築していなかったこともあり、当時の受験生の皆さんには、本当に申し訳ないことをしました。それにもかかわらず、東洋英和や獨協中、立教中、慶応藤沢、その他の私立中学に合格されていった皆さんには、竹の会に来ていただいて感謝しております。わたしが本格的に算数の独自体系の構築を開始したのは平成20年前後からでした。公立中高一貫校の指導というものをしてみて、小学生、特に学校では優等生と言われる子たちでさえ、割合とかの基本がほとんど理解できていなかったという事実に衝撃を受けた、そこからわたしの、この子らを救いたい、そういう思いに火がつき、メラメラと燃え上がった。それから何年かはそれはもう試行錯誤の繰り返しで、わたしの作った指導法を実践で試す日々が続いた。寝ても覚めても算数指導法について悩み苦しんだ。長いトンネルだった。 数学では、そういう苦しみはなかった。わたしの算数軽視がいかに無思慮なものであったか、本当に思い知らされることになった。

 話しは変わるが、竹の会の数学を高校でもという人がいても不思議ではなかった。そういう子を超例外的に受け入れたこともあった。平成10年早稲田実業合格の鈴木君もその一人であった。合格後も3年間竹の会に通っきた。無事早稲田大に進学した。平成11年に竹の会から青山学院高等部に合格したTさん(女子)も青学の3年間を竹の会で過ごし、現役で、慶応大へと合格していった。平成13年都立西合格の男子は、小6からの子であったが、やはり西高の3年を竹の会で過ごした。慶応理工に合格した。記憶に残るのは、不登校だった中2の男子が、都立鷺宮高校合格後さらに3年間竹の会で指導後、見事千葉大と東京理科大に合格していったことだった。高校入試は、不登校だと内申はオール1で、都立に受けるところは事実上ない。鷺宮でも、460点以上取らなければ入れない。それが合格した。鷺宮高時代は、当たり前の話だが、学年1番、授業のレベルが低すぎてよく嘆いていた。わたしはとにかく大学受験資格を取るために我慢しろと励ましてきた。ようやく晴れて実力の発揮の場にデビューした。

 竹の会で高校でも過ごした子たちに共通していたのは、数学が突出し、英語力が高かったことであったと思う。先の慶応大合格の女子は実は数学で受験した。日本史では浪人に勝てないとわたしが戦略を伝授した。西高生は、3年間学年50番内、三年時は30番くらい、現役のとき、東大受験、早大理工に合格も、一浪して東大受験、結局慶応理工に進む。彼は三大模試で全て全国順位二十番台の天才であった。東大数学のたまたまの難問が解けなかっただけのこと。今は資本金何千万円のIT会社の社長である。

 竹の会数学には、わたしの竹の会の思いが流れている。数学こそ竹の会だった。 今はどう、竹の会のレジュメに、竹の会の数学は、脈々と生きている。秀才ならわかる、その凄さが。竹の会数学の真髄が凝縮された、 わたしの数学の最高傑作「入試数学過去問撰」、これで、これだけで、都立西が取れた。平成20年こと。26年駒場、27年戸山、28年戸山、みんなこれで受かっていった。わたしの最高傑作。あれから、わたしは、さらに進化した作品を書いたんだ。これが、わたしの最後の仕事、竹の会の最後の仕事、だからこれが完成するまでは竹の会を続けなければ。これが竹の会を始めた、わたしの最後にやり終える、やり終えなければならない、仕事なのだから、最後の使命なのだから。ただ悲しいかな、これがプロフェッショナルの業なのか、誰か日比谷でも、慶応でも、受ける生徒がいなければ、なかなか火がつかない。

 竹の会数学の通過点にまとめたテキストがある。平成10年に鈴木君がこれを使って、立教新座突破、早稲田実業商業突破、早稲田実業普通突破、慶應義塾一次突破した、竹の会の幻のテキスト。解説はわたしの手書きのオリジナル。わら半紙に書いたもの。実は、竹の会の名作「入試過去問撰」の原型はこれであった。わたしの書きためたわら半紙原稿をパソコンに多彩に想像を広げたのが、「入試過去問撰」なのです。

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  竹の会思い出の作品

 

 

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