画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立西高校合格を夢に描いた少女の奇跡/勉強とのつきあいかた

2016.05.05

 おはようございます。5月5日。爽やかな初夏の天気です。青い空と太陽が降り注ぐ光の恵み、緑たちがこれほど輝いて見えるのもこの時期だけ、まだ冷たい空気が開け放たれたベランダから流れこみ部屋いっぱいに広がります。一年のもっともいい季節、とにかくこの一瞬の天の恵みに感謝したい。

 これからわたしは平成16年の4月に竹の会にやってきた、小6の少女のことを必死に思いだそうとしています。母親に連れられてやってきたこの少女は何も喋らなかった。すべて母親が代わりに話した。学芸大附属中を受験したい、そう言った。それから竹の会に通うようになった。いつも来ると目で挨拶をした。表情で意思を表した。一言も発することはなかった。わたしがその少女の生の声を聞いたのはわたしが質問したときにほとんど聞き取れない小声しかない。それで聞き返すこともなくわたしは察して対応したものだった。

 当時の竹の会は、月から金まで毎日16時から21時指導するコースがあって、パスポートコースなどと呼ばれていた。夏休みなんかは、一日10時間を25回こなしていた。彼女もパスポートだった。だから毎日のようにやってきた。例によって一言も発せず与えられた課題を黙々とこなして出してきた。集中力は抜群で、何時間でも黙々と勉強していた。彼女がただひとつ受けた学芸大に失敗して、竹の会を続けたい、ということで、小6の2月から指導を始めた。そのときに彼女はすでに「都立西に行きたい」という強い夢を持っていたのだ。このことはほんとうに高校受験が終わってから彼女の母親に聞かされて初めて知った。

 わたしはこれまでもう古くなった竹の会のオリジナルのテキストをレジュメ化するという壮大な計画を立てた。数学だけ考えても膨大な、気の遠くなるような計画だった。英語についても、古くなった「英語指導案」を全面的に書き直す計画だった。いやそれ以外に、英語についても大量のレジュメ化の仕事が予定されていたわけで、あの時期は大変な時期だった。

 彼女の成長に合わせて、中1から指導の度にレジュメを整えて進めた。まず、「正負の数」をレジュメにする、それから「文字式」とそういう感じであった。併行して英語の原稿も書き進めた。数学は完成するまで2年を要した。英語は一気に書き上げ、「新英語指導案」を出すと、すぐに次の「入試英語指導案」の執筆に移った。合間の指導のたびに新作の英語レジュメを書いた。

 数学は、入試問題を解いてはレジュメにするという段階になっていた。毎回の指導で過去問集から目についた問題を取り上げ、解いては、解説を書き、レジュメとした。彼女が中3になると、指導はいつもわたしの新作のレジュメを何時間かかけて解かせて、それから添削し、解説レジュメを渡すという流れになっていった。今のレジュメ指導の原型がこの当時に作られていった。解説レジュメを読むとすぐに理解した。解説はそれほどスグレモノであったと思う。わたしの会心の作品ばかりだった。

 彼女はどんな雨の日も風の日も雪の日もとにかく休むということはなかった。いつも定時にやってきて定時に帰っていった。どんな日も彼女は彼女の席にいていつも勉強していた。夏休みだって彼女のいない日はなかった。夏休み25回、お盆休みなんてない、それでも彼女だけは必ずいた。いつも席に必ずいた。突然のわたしの膨大な量の課題もどんなに遅れてもやりあげてきた。必ず出してきた。漢検2級は中2で取れなかったけど中3の6月には受かった。彼女は竹の会に来たときからずっと無口のままだった。わたしのギャグにも笑わなかった、と思っていたら、だれかが、「先生、○○さん笑ってましたよ」と小声で教えてくれた。それからギャグを言う度に彼女の顔をちらりと見る、すると確かに笑っている、くすりと笑っている。無口な彼女の笑う顔を初めて見た。

 わたしは彼女の勉強する強い意思に敬意を払った。ブレることのない、勉強意思、どんなときにも勉強を優先してきた。

   豊島岡女子学園 合格

 都立西高校 合格

 彼女の母親は、「こんな勉強強豪校にほんとうに合格できるのか」と思ったそうである。しかし、前哨戦の豊島岡女子に合格したとき、竹の会の受験指導の深さを悟った、とも言われた。

 中学に入ったときから、この子は、ずっと都立西に行きたいと思ってきました、とわたしは母親に教えられた。

 強い内に秘めたる強い思いがわたしの心の深奥に響いた。

 「受かる」のは、わたしを真剣にさせた子、と知っているか

  受験の成功、それはわたしをどれだけ真剣にさせるか、させたのか、そういうことなのだ、と思う。

  夏にあれだけ時間があるのに4時間足らずの勉強、手抜き感、省力化、よく早引けする、よく遅くやってくる、よく休む、いつも課題はうやむやに、いつも席にいない、勉強に不正直、そういうもろもろの行動が、そのたびにわたしを失望させ、落胆させてきた。失望はわたしを真剣にさせない。

  受かるのは、わたしを真剣にさせた子。わたしがこの子を、この子だけは受からせなければと思い詰めた子、それはいつもわたしを引っ張ってきた子、ひたむきな勉強姿勢にこの子のためにわたしの全生活をかけてでも応えなければと真剣にさせた子、そういう子が確かに受かってきた。平成25年小石川に合格した女子、泣いて成績の上がらないことをわたしに打ち明けた子、平成26年都立駒場高校に合格した女子、小4からずっとまじめに勉強だけをしてきたこの子のために合格以外は考えられなかった、それほどにわたしを真剣にさせた子、平成27年に桜修館に合格した女子、小4の2月から勉強だけ、勉強だけに生活を捧げてきた子、同年に都立戸山高校に合格した男子、小5の2月から、都立中に失敗して、それでも強い意思、タフな精神で、勉強を大事にしてきた子、・・そういう子たちがわたしを引っ張ってきた。わたしがこの子は、この子だけは受からせなければ、そう思った、思わせたとき、わたしの全精神がその子の合格に向けて集中される。必要なありとあらゆる手を尽くす。危ないと思われた受験を覆す。今年の都立文京高校もそうだった。この子は受からせなければというわたしの強い意思がはたらいた。今年の戸山だって、なんとか受からせなければという強い意思がわたしの頭を研ぎ澄ました。

 

 

ページトップへ