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都立高受験 都立中受検 で求められるもの

2016.02.26

 おはようございます。今が一番の寒の時期なのでしょう。春が突然訪れる、その前の最後の冬のあがきなのか、冬がウィルスの活動しやすい環境というのがどうも気に入らないけれど、極まる冬があるからこそ春のよさが伝わるということはある。

 都立高校の入試も終わり発表までのなんともいえない心、晴れない、どちらかというブルーな心持ちというのはしかたないことか。

 今年は、正直小石川ショックというのがわだかまりとして残っている。思い返しても去年の夏までの勉強の不十分さがわたしの心に悔いを遺す。小学生に毎日7時間の勉強を求めるのは無理なことはわかっている。しかし、27年桜修館合格の女子はこれをやり遂げた。ほかの誰一人としてなしとげられなかったことをただひとり成し遂げた。課題もわたしが予定していた課題のすべてをやり遂げた。これで落ちたらしかたないとまで思わせるほどに成し遂げた。

 しかして、今年はどうであったろうか。難関小石川を受けるというのに、リラックスし過ぎているという違和感はずっとあった。それでも九段受検者と小石川受検者の一部にはなんとか課題を出そうと行動はした。しかし、夏休みまでの緩慢さが響いた。多くの課題が予定の何分の1で終わってしまった。なんといっても、「算数をクリアーにする」、「推論算数第三期」をすべてやり終えて、かつ7回解き直しをする、というわたしの掲げた目標は微塵に打ち砕かれて終わった。

 ひとりでも二人でもいいからわたしの指示する通りについてきてほしいと思い続けてきた。

 彼らには真の敵が見えていなかったのかもしれない。夏休み4時間弱の勉強で、いや親御さんの話しではほとんどやらなかったという子もいたようで、のんびりとした夏を過ごすことの意味がわからないままに9月というもはや基礎固めはありえない月へと突入していったように思う。

 わたしの指示が虚しく空回りしていたのは実感していた。「読解百選」を終わらせたものは皆無、「天声人語」は1人だけ、「新国語読解」は2人いたのか、「四字熟語」を終わらせた者なし、ましてや「新読解演習」などやれるはずもなかった。

 指導レジュメについても、過去問を扱った「第1類」等のシリーズをとうとう半分も終わらなかった小6もいた。こういう子たちは課題も申し訳程度にしか出していない。「合格はんこ」をほとんどとれない子たちでもあった。小5の時からまともに机につくことをしない、できない子たちでもあった。今年はこのレベルの子たちから合格者が出ているのだから驚きである。竹の会のレベルが他の塾、特に、大手に比べてもかなりに高いことがわかっただけでもよしとするか。

 都立高校受験にしても、都立中学受検にしても、根本のところは同じである。

 「これは何を意味するのか」と問い続けているだけである。わたしたちは、意味を考える。意味をつなぐことを理解するという。

 算数を解いていくというのは、思考の使い道を知っているという「質」になる。問題の意味を読み取り自分の勉強した割合なら割合の思考枠組み、究極的には、定義であるが、これに矛盾なく意味をつなぐことができるか、である。算数ができないという子はここで破綻していることがほとんどである。具体的に、同じでないと、中には、日本語の表現、順番まで同じでないと、解けないという子もいるけれど、公文の子が例題を真似て解く、大手の子がテキストの単元の例題を真似て解く、それと同類なわけである。

 国語だって本質は変わらない。文章の意味を読み解くという本質は変わらない。言葉のつながりから意味を読み取るという本質は変わらない。

 さて、いずれにしても、本質的なことは、思考力であるということがおわかりであろうか。試験で問われているのは、個々の具体的な知識のようであるが、その実、思考力そのものなのであるということが分かっているだろうか。

 最上の受験対策、受検対策は、思考力を磨くことである。小学なら算数的思考を身につける、そして国語的な読解法というものを身につけることである。中学生なら、数学言語を理解し、記号言語を使うことに慣れること、英語の五文型を読解の道具として縦横に使いこなせること、受験国語、特に、論説文について読解の手順を早くに会得すること、理科の諸原理の理解を深め問題解決の練習を積むこと、地理の諸視点ごとに地誌を考える(整理する)こと、歴史の時代を政治、経済、文化、生活の視点から意味を考えること、公民の諸用語を制度の目的にしたがって意味をとること、などである。

 何のために思考するのか。

 思考そのものが目的だからです。

 

 

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