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都立高校受験には後がない~ぎりぎりの判断が求められる、判断を誤れば路頭に迷う

2016.03.05

 おはようございます。今朝の気温は8℃でした。暖かくなりました。花粉は最悪で目の不快感は最高潮に達したかのようです。昨日はとうとうブログを更新できませんでした。これまでの疲れがドッと出てきたようです。しかし、相変わらず朝6時には目覚める習性はそのままです。来年は受検の小6も中3もほとんどいません。去年の2月に小4の入会者がなかったからです。受検者が事実上いなかったのは平成21年でしたか。よく考えてみると平成23年なんかは小6は3人だけでした。それから考えるとそんなものかという気もします。

 HPも一新した今年は、これから2年後3年後の受検を視野に入れて、新小3と新小4の逸材を求めることに力を入れたいと思っております。それから高校入試指導を本格的に再開したこともあり、将来の都立高校受験を視野に入れた新小5,新小6の募集にも積極的に取り組んでいきたいと思っております。

 再開した「渋谷B」のほうもこれから次第にB独自の指導システムを完成させていかなければと考えております。

 都立高校を落ちるということは、これは辛いものです。駒場なら駒場を落ちてやむなく行く私立が費用はかかるが偏差値の高い私立という人もなかにはいるでしょう。しかし、大半はそれよりかなり低い私立に行くことになるのが普通です。都立なら自宅から近かった、駒場あたりなら性格も素直で頭のいい子たちばかりでしょう、費用だって年間十万ちょっとか、とにかく私立のように年間100万円前後を用意しなければならないということもないわけです。入学金だって1万ちょっとじゃんなかったか。

 落ちて行くことになる私立という選択はまさに地獄です。意に沿わぬ私立に行くことになる、どうしようもない現実に直面することになるのです。都立をあきらめて最初から私立という人はまだ覚悟があるだけましですし、とにかくも私立に払うカネも覚悟のうちでしょう。昨今は少子化で日大系附属も難しくない。内申さえよければ推薦という名の無試験入学です。昔は駒場などを受ける生徒御用達の専修大附属あたりも都立不合格者、あるいは単願推薦合格者、そして残された一般枠には、内申のよくない、つまり都立受験が不可能な合格者で構成されるのが実態です。専修大附属と同レベルの高校もその内実はどこも五十歩百歩でしょ。これもすべて少子化の影響で生徒集めには高校の浮沈がかかっておりいずれの高校もなりふりを構っていられないのが現実です。

 そういう中にあって、やはりトップ都立高校というのは、手の届かないところにあるというのが多くの中学生の現実でしょう。

 竹の会では、過去30年の歴史の中で、都立高校の失敗というのは、五指で数えるほどしかありません。その中でわたしの判断で失敗した例は唯一でした。他はすべてわたしとは関係のないところで勝手に受験した結果です。失敗した目黒高校についても、同級生たちは、「先生のせいではない」と言ってくれます。それは普段の指導で当時の元代々木教室で、わたしの目の届かない教室があり、そこで普段から自分の実力をよく見せるような糊塗をやっていた、あるいは数学など「わからなかったので、仲良しにやりかたを聞いてわかった」ということを頻繁にやっていた、そうしたことで、わたしが「合格する」という判断をしたもとの前提がそもそも成り立たなかったという事情によるものでした。その女子生徒の母親からはわたしは随分嫌みを言われました。「うちには弟がいて姉が私立に行けば、弟の塾代も出せなくなった」といったようなものでした。「先生は大丈夫といったので目黒にした。だめならもっと下の都立にしたのに・・」と非難されました。わたしには苦い体験です。できたふりを装う、言い子振る子どもにはよく騙されまして、わたしも次第に子どもというのを容易には信用しなくなってしまいました。わたしが実際に検証しなければ生徒の言葉だけで決して信用しないのは長い間にわたしに身についた、職業癖みたいなものです。

 志望の都立に落ちたら、地獄という子が、駒場クラスだと普通にあるわけです。まさに路頭に迷うの図そのものです。失敗した五指の中には、わたしが、「広尾は無理だ」と止めさせようとしたけれど、出願前日に電話して母親に訴えたけど、母親は、「言うことをきかない」で終わり、結局落ちて、ひどい偏差値の私立に行きました。一つ下げていればまだずっと増しな都立に行けたのに。そういう例がもう2つはあった。

 かつてはグループ制というものがあり、都立大附属を落ちて復活合格、新宿落ちて復活合格というのがあった。都立を落ちる子というのは、内申はいいけれど実力がない、という子が普通である。内申がない子は最初から都立をあきらめるというのが当時の傾向であった。内申もない、実力もない、のに、無謀に挑戦して散る、そういうのがたまにあり、それにあたるのがさきほどの例である。 

 かつては各中学校で今のVもぎやW合格もぎにあたるもぎが実施されていた。いわゆる業者テストである。だからそのデータをすべて握っている各中学の教師が進路指導の責任を担っていた。だから竹の会では、業者テストは参考にしかならず、過去問で検証するのが普通であったし、竹の会だけで代々木ゼミナールの模試に団体参加していた。平成10年当時の話しである。

 都立高校受験というのは、学区制が廃止されて自由にどこでも受けられるようになって、かなりシビアなものに変質したと思う。倍率2倍弱が普通の都立高校受験であるが、受けられる高校は内申によって事実上制限されるから、例えば、駒場なら駒場で受験層はそれなりにできる生徒たちであり、実力は拮抗している、さらには、本来なら戸山、青山レベルの生徒が安全策をとり、慎重に構えて、駒場に、あるいは三田あたりまで下げるということも頻繁にあるから、合否判断はかなり微妙であり、過酷な判断を迫られる。特に、最近の親は中学の先生より塾の先生に判断を求めてくることが多い。判断を誤れば当の生徒は路頭に迷うことになる、意図しない私立に行く羽目になる地獄を味合わせることになる。これほどストレスのある判断はない。

 たとえば、戸山の男子は、今年は、実際は248人が受験し、そのうち141人が合格した。107人が落ちたのである。発表前の9時前には、行列ができて今か今かと発表を待つ生徒や親たちでいっぱいである。すわ発表となって一斉に掲示板に駆け寄る。このときの目当ての番号を探す一瞬というのが空白、脳が空白になる、なんともいえない瞬間である。見つけて小さな声がする。「あった」と。しかし、そこかしこに「ねえや」とか、「ない」とかいう弱々しい声も聞こえてくる。戸山というのはみなおとなしい、小声で言う。駒場のときは、大声で「あった」と絶叫する女子生徒がたくさんいた。ただ戸山のときもやはり女子の声がいちばん聞こえてきた。

 文京の女子は、265人受験して、153人の合格だった。112人が落ちた。

 掲示板の番号を見ているとところどころで番号が飛ぶ。抜けている。これほど恐ろしいものはない。「ない」ものはいくら確かめてもない。それが現実の厳しさである。

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