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都立高校受験成功の戦略/都立中受検の準備は将来のためにも必要/子をだめにする親たちのこと

2017.04.14

 おはようございます。4月14日になりました。青空と太陽が気持ちのいい朝です。朝目覚めると「今日も生きている」自分を確認してしまいます。膝の痛みはいつものことで無事立ち上がり歩けるか、不安が一瞬過ぎりますが、立ち上がり、一歩を踏み出して、とにかくほっとします。そうしたら山積みになっている提出された課題の添削前準備のことやこれからの新作執筆のことなどこれからやらなければならないことを思案するとまた重い負荷がのしかかり気が重くなるのですが、できるだけ先のことは考えないようにして、当面のなすべき仕事ををこつこつと片づけることにしております。

 すき間時間があればとにかく本を読んでいます。一日に文庫や新書なら3冊のペースで読み切ります。読書をすることは仕事のうちと考えておりますが、わたしの場合はいろいろと「考える」のも仕事と心得ております。

 さて今日はまずお知らせとご注意です。

 ●漢検実施の件

  6月4日(土)午後から実施します。実施時間の詳細は未定です。申込は4月中の申込に限り受けつけます。

 ●課題を提出する際の注意点

  課題は、「水曜日に出せば次の水曜日に返却する」ことになります。もちろん日曜日に出せば次の日曜日の返却です。課題に名前を書かない子がいますが、名前がないと返却不能です。

  気になるのは、字が乱雑で汚い、そのために読みづらい子が、それも複数、特に男子に多い、いることです。これはかなり深刻な問題と考えてください。ていねいにゆっくりと書くことが習慣づけられていないのです。受検にはもちろん不利にはたらくでしょうが、それよりも将来「ノートに整理して研究を進める」という勉学の基本能力を欠如するということがもたらす悪影響のほうが気になります。中学、高校ではノートをとることが勉強です。これがまともにできないのはすでにして終わっているからです。

 課題が提出されると、添削の上、参考答案その他の解答解説を添付して、返却します。提出課題には「A」などの評価がなされます。「A」のみ合格です。B、C、Dは不合格です。Bは何かが足りない不完全な答案、Cは不完全な答案、Dは答案の体をなしていない、だいたいそういう評価です。再提出の際は、前回の答案、解説等もいっしょに提出してください。ファイルに入れて出す人がいますが、その必要はありません。順序よく重ねてひとまとめにして竹の会使用のビニール袋に入れて出すのがベストです。その際に、必ず名前を書いてください。作文でわたしの参考作文をほぼ真似する人がいますが、飽くまでひとつの参考であり、あなたの作文を書いてください。

 課題はもらったら、間を開けずに、規則正しくこなしてください。部分出しすると次回のレジュメが出せなくなります。不規則な出し方をしているとかなり遅れることになります。課題は家庭で学習することを竹の会がガイドしているという意味あいですから、単なるこなし仕事、宿題と考えないでください。これを全く「やらない」のなら竹の会に「いる」意味はありません。指導日に出て指導を受けることだけが意味あることではありません。

●夏の予定表(仮)をお渡ししましたが、小6のみなさんの中には、日光修学旅行などで出席できない日があるかもしれません。公的行事については、まず竹の会までお知らせください。複数の学校があり、みなバラバラなのですべてに対応できるかわかりませんが、日程を変えられるか、検討してみます。5月の連休明けには確定し、5月末には配布の予定です。

●夏はAからB、BからAへの振り替えは物理的に不可能です。ただし、予め帰省、旅行その他で欠席の届出がある場合、空席がありますので、個別的な申し出があれば申込順に空席を割り当てて実質振り替えとします。日光などについては、小6どうしの互いの振り替えを優先します。

●5月の連休について

 5月は、1日から6日までお休みします。5月7日は、竹の会渋谷教室6回目の開校記念日であり、満5年目にあたります。竹の会では例年この節目を祝って紅白饅頭を子どもたちに配ってまいりましたが、今年もその予定をしています。7日は、午前中B、午後Aの実施を予定しています。

 ゴールデンウィーク中お出かけのご家庭も多いかと思いますが、中には勉強に専念させるというご家庭もあるかもれませんので、小6についてですが、そういうご家庭のために、なにか特別の、そのためのレジュメを執筆編集のうえお渡しできればと考えております。

●入会試験「仮合格」について

 特に小3期の子については、合格基準に足りなくても「仮合格」という形で入会を認めることがあります。ただし3か月ないし6か月間の指導で「見込み」が「なし」と判断されれば、その時点で指導を終わります。

●中学については、極端な成績低下は勉強不調の兆候として、竹の会の指導を打ち切ります。そうではなくても勉強しないという兆候があれば竹の会では指導は打ち切ることになっております。

 

◎勉強時間が足りないから落ちる

 受験というものは、合格するためには、科目ごとに、テーマ毎にその修得に予定された時間というものがあります。受験に失敗する親子というのは、この時間総量が絶対的に足りないから落ちているに過ぎないのです。たとえば、高校受験で都立トップ校に合格するために必要とされる時間について考えてみますと、数学なら竹の会の場合、「三平方の定理」、「二次関数」、「円と立体」というレジュメをやった上で、「入試過去問撰」というレジュメをやる必要があります。これに仮に200時間必要とすると、一日5時間数学ばかりやったとして、40日かかります。実際には、能力の個人差、他科目にかける時間の総量もありますから、いやもしかしたら300時間必要かもしれないから、そう簡単な日数計算はできませんが、とにかくも必要な勉強の総量というものがある。落ちる子は、この時間の総量が足りないだけのことです。わたしが、習い事や稽古事、その他で勉強というものを「しない」日が多くなることを危惧するのは、要するに、合格に必要とされる勉強時間の総量が絶対的に足りなくなるからです。総量の足りない子たちがいくら「絶対に合格してみせる」と精神論で強がってみても現実は勉強の総量で決まっていく、それだけのことです。

 都立中合格のためには、時間の総量云々よりも、まず計算を完璧にする、割合を極めるなどの前提条件を満たすことが必要です。その上で初めて適性対策というものに取り組むことができるのであり、勉強時間の総量というものを予定できることになるのです。小6になっても計算はまともにできない、割合の理解もあやふや、そんな子に適性問題をやらせて、何の意味があるかということです。適性問題はいきなり取り組んでできるほど柔な問題はない。究極の思考力、計算力が求められるのである。脳天気に小6になって、基本もできていないのに、受検するなど何を言っているのか。勉強の基本とは、基本が書かれたテキストを終わらせることではない。計算は神の領域にまで磨き、割合にかかわるありとあらゆる問題を実際に考えることで訓練し、思考というものを作り上げ、勉強というものに対する処し方、スタンスを確立させること、これが勉強の基本を作り上げるということである。テキストを終わらせて、終わりという脳天気なことをやっていれば本物のバカになるだけである。

 独学は効率が悪い。塾が最上の学習カリキュラムと教材を用意し、それにしたがってやっていけばいい、それが理想である。そういうことを前提にして、勉強の総量を確保せよ、ということである。勉強時間は、実際に勉強に集中した時間の総量であるのはもちろんである。

◎「逃げる」子にしたのは母親である

 子は「逃げる」ことを正当化し、母親は、その正当化を鵜呑みにして、さらに母親の論理で正当化する。傷つくことを極端に嫌がる、怖がる子にしたのは母親である。子に「あなたは特別」という意識を植えつけてきた母親の罪である。模試を回避する、同級生たちとは違った学校を選ぶ、つまり常に逃げる。突然に「塾に行きたくない」と言う子に親は慌てるが、子は親に何をどう言えば親が納得するか知っていて、もっともらしい理由をつけるけど、本心は傷つきたくない、それだけのことである。他人に傷つけられるのが恐いのである。「あなたは特別」と洗脳されてきた結果、根拠もないのに、高いプライドだけは持っている。こういう子たちというのは、実質的な勉強というものをしなくなった子である。まともな方法で、きちんと勉強できなくなっている。勉強しないから自信がない。そう、この子たちは自信がないというのが本質的な属性となっている。だから「逃げる」のである。受験に失敗したとか、第二志望に進んだとか、もうプライドはズタズタにされており、頭の中は、今は自分の存在をもうこれ以上傷つけたくはないという意識に先占されている。

 習い事、稽古事が、実は勉強から「逃げる」方便であったりもする。中学生が部活を勉強できないことの口実にするの同じ構造である。子どもが「勉強しなくなったら」もはや勉強人生は終わりである。小学生から勉強を習慣づけてこなかったらそうなる蓋然性は高いとみておかなければならない。中学生になって「勉強しろ」ではもう手遅れである。小学生が親の言うことを聞くのは小5まで。小3期、小4期に徹底して勉強というものを訓練しておかないと、ほんとうに怠け者になる。鉄は熱いうちに打て。固まってしまったらもう遅い。

 子を「逃げる」子にしてはならない。子どもというのはもともと勉強嫌いである。だから習い事や稽古事ばかりやっていると子どもの勉強をしなくていいというお墨付きを親自ら認めていることになる。社会に「入る」ときにどういう資格で入るかが、その後の社会での処遇を決定的に決めてしまうという現実から目をそらしてはなるまい。親が子が社会に「入る」ときの資格にマイナスとなる不作為、無作為の処遇をしてどうなるのか。

 難関大学を出て社会に入るのか、難関国家資格に合格して社会に入るのか、高校を出てすぐ社会に入るのか、専門学校を出て社会に入るのか、高卒ないし中卒で職人の修行をしてから社会に入るのか、家業を継ぐ形で社会に入るのか、とにかく社会の入り方はひとそれぞれであろうが、人は社会に入るときにその処遇が決まる。12才で中学へ、15才で高校へ、18才で大学へ、22才前後で国家試験合格へなどと期限が切られている。小4といえば10才である。この10才の時に勉強というものの大切さをどう訓練していくかであろう。私立中学受験をめざす親子が陥る、恐ろしい破滅への選択がある。それが「逃げる」子を作ることとなる母親の誤った勉強観に原因があるとしたら、自業自得と言えなくもない。子に習い事や稽古事を強いる親はそれなりの覚悟をもって将来自分の子が社会に「入る」形を考えていなければなるまい。

 

◎竹の会渋谷教室A教室空席情報

 2名受け入れ可能。入室には、入会試験A合格以上が必要。また通知表で8割基準を満たす必要があります。

◎竹の会渋谷教室B教室空席情報

 夏期外部生講習参加者募集予定

 

 

 

 

 

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