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配られたカードでしか戦えないということを悟ること

2019.01.30

本番まで 日 初日不算入本番の日まで

 

 おはようございます。1月30日になりました。本日も、低温と乾燥の支配する世界です。唯一の救いは、青い空と雲間から差し込む太陽の光です。しかし、今日は空には何か雲が多いような、そうでした、青い空はわたしの錯覚でした。空全体に薄らと雲が広がっています。

 竹の会では、インフルエンザに罹る子が日増しに増えてまいりまして、おそらく学校が感染の場なのでしょうが、欠席者が増えるばかりです。幸いなことに竹の会が感染の場となることは避けられているのか、と思いますが、感染後発症前に竹の会に出席すればそのリスクもゼロではないと思います。今のところ、受検生が発症したとの報告はありません。今は、解き直ししか指示していませんので、必ずしも竹の会へ無理をして出席することもないと思います。体調の管理を優先させて暖かい家庭で解き直しをすることも自由です。どうか受検生は、最善の方法を選択して行動してくださればと思います。老婆心ながら、この時期に感染の場である学校へ行くことは、かなりのリスクを覚悟しなければならないと思います。

 ●配られたカードでしか戦えないということを悟ること

 本音を言えば、もうこの時期に何かを勉強したからと言って、事態が変わることはない。合否を決めるカードは、すでに12月の段階には確定的にあなたたちの手にある。もちろん解き直しをすることが、いや7回解き直しをすることが、あなたたちの手にしたカードを最大限にはたらかせることになる。配られたカードの少ない人がさらに新しいカードを求めてはならない。これは1月に新しいカードを手にしても結局使えないということです。手にしたカードは、その1枚1枚を縦横無尽にはたらかせるべく検証しなければなりません。また各カードが相互に影響し合い、相乗的な、複合的な、思わぬ効果を発揮する、ことが、つまりカードの扱いに修練して、適宜カードを有効にに使いまわすことがなによりも大切なことです。

 あなたたちが手にしているカードは各人の努力によって配られたものです。ですから、配られたカード、いや手にしたカードの枚数は、各人によって異なるのは当然です。例えば、課題をすべてこなした人と一部しかやらなかった人、ほとんどやらなかった人とでは、手にするカードの枚数が違うのは当然です。

 ここで他人の手にしたカードの多いことを羨んでもしかたない。また習い事、稽古事、家族旅行などで失ったカードを悔やんでもしかたない。それはすべてあなたたちの勉強量に比例して、平等に配られるものだからです。だから少ないカードしか手元になくても、本番では、その少ないカードで戦うしかないのです。恐いのは、カードが少ないことで、心が萎縮して、カードを使えないままに終わることです。問題を見る前から、あるいは見た途端に、あきらめてしまうことです。もともと持っているカードを活かすこともなく、死にカードにしてしまうことです。

 織田信長は、桶狭間の戦いで、3000の軍勢を率いて、4万の軍勢を率いる今川義元を倒しました。だれもが信長の死を予測しました。信長の家来は死を覚悟し、信長の領民はただ祈ったのかもしれません。しかし、信長は、この配られたカードでしか戦えないことを熟知しておりました。だからこの少ないカードで戦う、そして勝つことを必死に考えたのだと思います。様々な勝因が語られています。義元の油断、驕り、4万の軍勢が狭い山道を一列で進んだこと、そのため軍勢が途切れて分散したこと、信長が情報を集めたこと、崖の下に義元が休息したこと、酒も振る舞われて軍勢も弛んでいたこと、突然の豪雨に見舞われたこと、など偶然が重なりました。

 なによりも信長の、決断の歯切れのいいことが特筆です。信長は、自分の持っているカードを、カードの1枚1枚のはたらきを活かして最大限に活用しました。少ないからこそできた迅速な集団移動は、弱点を武器に変えました。少ないなら少ないなりに最大限に活かすことを考える。これが勝利をもたらすのです。

 カードが少ないからとあきらめる、カードをほとんど死にカードにしてしまう、これが敗者の無様です。

 配られたカードでしか戦えないということを悟ること、悟ったらこの配られたカードだけを駆使して生き抜くこと、これが人間の処するありかたです。少なければ少ないだけ智を働かせてカードを使い切る、これに賭ける、それしかないのです。

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