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類い稀なる指導の技術

2016.11.09

 おはようございます。秋は深まりつつあり、確実に冬が近いことを予感させるほどに冷気漂う時節です。

 外気の低下とともに体調を崩す子が増えてきました。先日の指導日でも子どもたちには咳をする子が多く、喉の異常を訴える子もいました。体が完全に環境の変化に適応するのは11月いっぱいはかかるのかもしれません。とにかく人間は熱を出しますから、体の不調はすぐわかるしくみになっています。わたしにはこれからは特にマスクの外せない季節になりました。

 さてわたしはこのところわたしの開発した指導システム、技術について高い完成域への到達を実感しております。ただわたしの指導技術が最も効果的に機能するのはやはりわたしの開発した、珠玉の名作「入会試験Ⅰ」において、小4の8月を標準に、「A合格」した子において顕著である、ということは正直に告白しておかねばならない、と思います。つまり、小5でとる「A合格」は、時期が遅ければ遅いほど信頼性がなくなる、とわたしは考えております。ただし、本年小石川合格者のように、小5の9月にA合格という例もありまのから、小5期のA合格には、小4期でもA合格をとっていたであろうという子もふくまれて「いる」可能性はあるわけです。ただ「はずれ」の子のほうが圧倒的に多い、とは見ています。

 竹の会の理想の指導対象となるのは、小4の8月前後に「A合格」をとった子です。こういう子はまず確実に伸びていくと思います。

 子どもたちの「のび」というか、進捗の速さには、やはり入会試験の得点がそのままに反映しています。小4の2月A合格と小5の2月(小6直前です)のA合格では、真のA合格者がふくまれる率が当然ちがいます。小6直前のA合格には入会試験が機能しない子もふくまれる率が高いということです。小4の2月では見込みのない子がふくまれることはあっても率は低いと見ています。ですから、小4の8月前後に「入会試験Ⅰ」を受けるのがもっとも理想的です。

 指導のプログラムの進捗は、入会試験の得点がそのまま反映します。あの入会試験は、実に精妙に子どもたちの脳の段階をスキャニングするのです。竹の会には、能力の高い子の能力判定に用いる「新入会試験Ⅰ」というのが、完成しておりますが、未だこの試験で合格点をとった子は出ておりません。小3対象には、「入会試験Ⅹ」というものを制作しております。こちらは全3問で、第1問、第2問は、「入会試験Ⅰ」と共通です。第1問は、小5や小6さえもできない子たちがいますけど、実は小3の子でもできる子はできるのです。

 竹の会では、現「入会試験Ⅰ」を超える名作を制作しようと試作を繰り返してきましたが、中々満足のゆく作品ができません。最近完成した「新入会試験Ⅰ」は、小5ないし小6対象の逸材発掘のための作品ですが、未だこの試験に合格した子は出ておりません。塾に行かないで家庭学習のみで小6まできた子というのは、「入会試験Ⅰ」で合格できるかどうか、のレベルです。つまり小4の8月に合格する子と変わらない、わけです。小学というもっとも大切な時期に訓練しないということの損失はその後の人生を決めてしまうほどに深刻です。ただだからといって大手に行けばいいのかというと、そうではありません。竹の会の「入会試験Ⅰ」で大手の子たちが、小5で合格する率は頗る低い、と言わざるを得ないからです。

 そもそも世間に本物の塾があるのか、ということがまず問題です。わたしから見ると、巷の塾がいろいろと謳い文句を並べ立ててやっていることというのが、どうも胡散臭いわけです。子どもを導くというのは、かなりに高度な、そう、精神的操作、学科についての本質的理解、経験的直感、心理学的知見等を要する、それこそ高度な経験と識見に基づく判断が必要とされるわけです。大手は、講師は経験も知識も浅いアルバイト学生講師が大半です。なかには一流大学の学生で頭のいい人、かつ熱心な人もいるかもしれない。けれど頭がいいだけでは子どもというのは導けない、それがわたしの経験からわかったことです。ただ知識を教える、そういう単純なことではない。だいたいまず画一的なテキストを与えて、みな能力も性格もちがう子どもに、「さあ、理解しなさい」というのは、どう考えてもおかしい。親はテキストをありがたがって、一生懸命にやらせるわけですが、こんな画一化された、いやある意味マニュアル化されたやり方でいったい何人の子たちがものにできていけるのか。いやなによりもダメなのは、本来教えるということなどできない子どもでもなんでも取りこんで同じようなマニュアル授業をやるところです。わたしには「指導というものができない」子がいます。だから入会試験をやって、わたしの指導できる人にだけ指導をするのです。ですから、竹の会の指導を評価されて子どもさんを竹の会に預けたいという親御さんがいるとして、もし入会試験において指導に必要な合格点というものがとれない場合、うまくいかないことは当然にありうる。その場合は、正直に、いや早期にそのことを打ち明けて、退塾していただくほかない。少なくとも大手のように飼い殺し、不作為、つまり見て見ぬ振りなどということはできないでしょ。

 これは大手に限ったことではない。地元の弱小塾だって同じことである。地元の塾は、親身になって、熱心に、それこそわかるまで「教えてくれる」、頼りがいのある塾なのかもしれない。しかし、本質はそんなところにあるのではなくて、画一的なテキスト授業という問題性にこそあるのではないか。ここをはき違えてはなるまい。そもそも地元密着の塾というのは、親や子に迎合することしか考えていない。だから真に子どもを伸ばしていくには何をするのがいいのか、どう指導するのがいいのか、という姿勢がまず皆無である。親が算数の文章題が弱いと言ってくれば、テキストのその箇所をやる、中間テスト対策をやってくれと言われれば、過去問なんか集めて、これが売りですみたいなのりで得意になってやるわけです。こういう迎合型の塾というのは無定見な親の言いなりですから、子どもが将来どうなっていくか、そんなことは考えていない。今、親からの苦情というか、クレームを乗り切る、そんなことばかり考えている。わたしならそんな親はお断りです。

 大手でも巷塾でも、親迎合型にしてしまったのは、親の無定見です。親の勝手な思い込みを塾が逆に利用しているのではないのか。そういうことでしょ。塾というのが、本質的に商売であるということを、パンフレットに並べられた、美味しいメニューを見ればいい加減気づくべきではないか。

 医者は手術の効能を説くけれど、実際、ほんとうにそんな手術ができるのか、いやできるのかもしれない、それなら、そんな手術が必要なのか、はどうであろう。必要性もあるのか。いや必要として、手術のもたらす危険性はどうなのか。いやいやできると豪語した手術が稚拙な腕で失敗したなんて、みな隠れてしまうからわからないけれど、相当な数に達するのではないか。昨今の医療トラブルの増加は、医は算術、という本質を患者が意図的に考えようとしない、いや考えたくないことに原因の一端があるのではないか。いやもちろん狡猾な医師が悪いに決まっているけれど、患者の弱みにつけこんで商売しようとしているのが医師でしょ。インフルエンザのワクチンなんか効きもしないのに、国と医師会が音頭をとって国民を騙す。弱みにつけこむのが、現代の儲かるやつらの知能程度です。

 こう考えてみて、塾も同じ構造であると思い到れば幸いである。親の弱みにつけこんで、いろいろと特別講座やら、特別テキストなんかを買わせるわけである。それがほんとうに必要かどうか、なんか関係ない。親もみんなと同じにやらなければという思いに試験の不安も手伝って、もうなんでも言いなりである。大手は親に迎合しながら最後は巧妙に親から搾り取る、やはり狡猾なことは、医師と変わらない。

 わたしが、世間に本物の塾があるのか、という問いの意味がおわかりいただけたであろうか。わたしは、別に竹の会は違うということを言っているわけではない。いやわたしはプロとして、やった仕事に見合ったお金をむしろ請求している。ただし、巧妙に法外なお金をとるなどのことは決してやらない。あたりまえでしょ。子どもが自分の指導では手に負えない、といって、退塾を言い出すのも、指導に見合うお金がとれないからであって、少なくとも大手や巷の塾のように、そんなこともお構いなく、不作為を決め込んで、お金をとるなどということはできない相談である。わたしが退塾してくれ、というと親御さんには3通りあって、ヒステリックに怒って捨て台詞を遺して止める、なんとか退塾を回避しようと懇願する、理解をしてくれて止める、のいずれかであるが、理解してくれる人は少ない。それでわたしはこのブログで理解を仰ぐために啓蒙しているのである。

 少なくとも竹の会は本物の塾でありたい、いやなければならない、とわたしはずっとその信念を貫き通してきた、つもりである。竹の会にも時として、親御さんから相談という名の、わたしには受け入れがたい要求があることもあるけれど、わたしはたいてい突っぱねてきた。気に入らないならどうぞ退塾してください、と言うことです。竹の会は、わたしのやりかたで、確実に効果の出る子を、入会試験で選び、わたしのやりかたで、確実に、伸ばしてきた。その自信にブレはない。方法にブレはない。竹の会をめざす方はどうか竹の会の指導というものを「草枕」を過去に遡って熟読してから、よく理解した上で、お申し込みくださればと思います。

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