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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

駒場、新宿、小山台は都立と言える最低線/両国、桜修館という選択/「草枕」

2016.11.16

 お早うございます。6時半から添削して8時に終了しまして、それから昨日夜遅く書き上げた「新逆算~コナンの冒険推理」を製本して、ようやく一段落です。あと「入会試験Ⅰ」新作の執筆が残っているのですが、教室に向かうまでに、なんとか見通しだけはつけておきたいですね。

 日々の指導で子どもたちのようすを見て、指導レジュメを創作するということはよくあることです。今、試験的に創作している「抽象的思考」のための新レジュメ・シリーズは、客観的な採点が難しいのが、問題かもしれません。というよりか正解というものがないのです。ある文章をどこまで抽象的な表現に変換できるか、ということをテーマにしています。原義をどう抽象的表現として生かすかが、ポイントです。原義の一部だけ抽象化してもダメですし、こつとしては、原義を壊さないで、より大きな包摂的な抽象概念でくくる、ということなのだと思います。この試みが成功すれば、次は、定義化という抽象化訓練を構想しています。竹の会の思考開発のための新しい取り組みですが、今の竹の会の子どもたちの問題性が抽象化訓練にあるとの認識にたっての取り組みです。

 最近実験的に小3の指導に取り組んでいますが、幼さがどうしてもネックになる、小3の指導にどこまで竹の会の指導が通用するのか、実験的な指導になるかと思います。これまで小3については、小4になる直前の2月に指導開始というのがありますが、あのときも7時間はとても無理で3時間で帰っていました。半年はそれが続きましたが、やはり早すぎる感が強くありました。幸いにも、現在指導している小3は、すでに小4や一部の小5をも凌ぐ計算力を身につけつつあります。わたしも次はどう指導するかといろいろ思案しますから、必要なレジュメを新たに執筆することにもなりまして、それなりに大変なのですが、これが小3の指導ということでなのでしょうね。ただ今後は新たに小3を取るかと言えば、消極です。やはり幼い分手がかかり、これを何人もというのは無理と悟りました。

 今年九段に合格した女子は、千代田区枠の受検でしたが、これを全入だというバカがいましたけど、区内枠でも、女子の定員40人のところ95人が受検してますから、単純に計算しても55人は落ちる勘定です。ただ男女平均の実質倍率は、1.76倍です。これを全入などと言うのなら、日比谷の実質倍率は1.62倍ですから、これも全入というしかない。わたしがバカというのは知恵が足りないからです。それから日比谷というのは、もって生まれた天才が行くところです。塾が育てて導くとしても天分に負うところが絶対的に大きい。中学から日比谷が出るというのはほとんどない。そういう天才がZ会などに集まっている、そういうことなのです。だれでも専門家なら日比谷を出せる、などと考えているから、浅いのです。

 高校受験というのは、現にいる生徒の能力、可能性を的確に読み取って、どこまで伸ばすことができるのか、そのために打つ手を間違えないように、先々を常に読んで、指示を出していく、手を打っていく、それでその生徒の能力を最大限伸ばしていく、そこから受験成功の担保をとっていく、早めにとっていく、これがプロの仕事だということです。日比谷に受かるか、西に受かるか、戸山になるか、はたや新宿にするか、すべてこれ生徒の質、努力、情熱で決まることです。質に関しては、プロがどうのこうのできることではないのです。これを日比谷も合格してないじゃないか、というバカがいますけど、あまりにも浅いでしょ。

 竹の会に入会の問い合わせをする方には、できるだけ過去に遡って「草枕」をお読みになり、まず竹の会というものをよく理解した上で、お申し込みくださいということをお願いしたいと思います。

 ◎指導とは、本質的に戦略的なものである。戦略的というのが、一番如実に表れるのは、やはり子ども本来の資質、天分でしょ。指導が成功裏に進められるかは、当然戦略的に考えても、資質のいい、天分のある子を指導するのがベストでしょ。竹の会の入会試験はそういう意味あいです。戦略の一環として人を選んでいる、そういうことです。ただもともとの天才を指導するのなら戦略などいらない。Z会で日比谷合格者が多いのも戦略不要の天才ばかりだからである。戦略というからには、そういう天才を想定はしていない。努力、情熱、知能では、天才には明らかに劣るとしても、戦略的には合格へ導ける可能性がある秀才を想定している。天才にはもともと塾など必要ないのである。

 これとは別に子どもを指導するというときは、いかにしてその子どもの知能を生かして、引き出していくか、という戦略的な指導の手順というものは当然考えなければならない。現在の指導が実際うまく機能しているのか、常に問われなければならない。ただ現小6のように遅くに竹の会に来たとか、通常の理解手順が機能しないままに来たという場合、戦略的には打てる手は限られてくる。先ほども述べたように、指導というのは、先を見越して、予め合格のための担保をとる、それが戦略的な指導の中身である。漢検なども将来の入試における国語科目の担保としては、有効な戦略である。中には、漢検に無関心な親子もいるけれど、特に、高校受験では、それがために、基本的な漢字も書けないで、20点をどぶに捨てたに等しい結果になる生徒もいる。

 戦略的指導というのは、早期の担保をとるための指導のことである。遅くとも小4の8月こそ理想的な入会時期なのではないか。小5では遅い。ましてや小5の2学期以降となると、本来とっておくべき担保的戦略的指導が欠落しているということが後々大きく負荷となってくる。小5の4月にきた子たちでも遅いという実感はある。それは小4の8月にきた子たちの伸長のようすを見ていればわかることである。竹の会というのは、早く来れば早くきただけの違いが、如実に明らかになるところである。伸びが如実に見える、だれにも見える、ほどに確実な「できる」姿がある、のである。竹の会の遅れた1か月がどれほどに大きな差なのかは、実際に入会して指導を受けるようになってみればすぐにわかることである。

 竹の会を語るに、子どもたちが日々の指導で「できる」を実感しながら、「わかる」を実感しながら、勉強に取り組んでいることがこれほど明瞭な塾はないであろう。子どもたちは入会後「変わる」と言われる。これは多くの親御さんの入会後の報告からもあきらかとなっている。それは実はわたしが日々の指導で、常に一対一の診断的指導で子どもの状況を「読み」、「感じ」て、戦略を練る、というところから、実感していることでもある。

◎冬の別府湾のこと

 かつてもう20年以上前には、九州の別府に帰省するには、新幹線と特急を乗り継いで9時間ほどかけてようやく着いたものだった。いつの頃からか、飛行機を利用するようになった。飛行機嫌いのわたしが飛行機に乗る、いつも死ということを意識するほどに覚悟がいった。

 東京駅から新幹線のぞみに乗って5時間ほどで小倉、それから日豊本線に乗りかえて2時間弱かかる。小倉からはいきなりローカルな空気が漂う。小倉を出ると行橋、中津、宇佐、中山香、杵築と次第に別府が迫る、杵築から30分ほどか。杵築を過ぎると15分ほどでいきなり山間の風景から海が広がる。懐かしい別府湾だ。別府湾を一望できるのは、日出を過ぎてすぐの急旋回したところ。パーっと海が全景が広がる。もう5分も経てば別府駅だ。右に鶴見岳、左に海、遙か前方に高崎山が霞む。鶴見岳の一段と低い斜面に扇山がなだらかな稜線を見せる。確か、近くに聳えるのは立石山であったか。あちこちから湯煙が立ち上る、別府独特の風景が広がる。

 みな懐かしい、ひとつひとつにひとついやふたつも三つも思い出がある。かつて故郷を後にして、東京に旅立った、あのときに見た風景が、いつも変わらずわたしの前に広がっていた。

 海と山に囲まれた丘陵地別府、市内のいたるところに温泉が湧く、火山の丘陵地。ここかしこに温泉がある。毎日温泉につかり体を温めてきたのがあたりまえだった。歩けば山に突き当たる、歩けば海に突き当たる。子どもの頃、ドンコ釣りや水遊びに興じた朝見川、チャンバラごっこをした朝見神社周辺、山の遊園地ラクテンチ、夜になるとラクテンチのネオンが山腹に浮き上がる。ラ、ク、テ、ン、チと点滅する。なぜか読んでしまう。子どもの頃から毎晩夜風呂の帰りに眺めては読まされた。ケーブルカーもあって昭和30年から40年がもっとも賑やかだったと思う。

 いつか、いつか、また、少年の頃、歩いた道を辿ってみたい、歩いてみたい、ずっとそう思ってきた、実現することなどないのかもしれない、最近、膝を痛めて、あの激痛にはさすがに落ち込んだけれど、今は日一日とよくなっている気がする。まさに時間がくすりのようです。一晩寝るごとに膝の痛みが気持ちだけ薄らぎ軽くなったような気がする。薬は何も使ってない。湿布だけ。そうだもしかしたら会員のお母さんにいただいたビワの葉のエキスのせいだろうか。わからないけど、少し希望が湧いてきた。みなさまにご心配をおかけして申し訳なく思っております。

 

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