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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

高校受験なら日比谷、西、戸山/都立中なら小石川、桜修館も視野、人気の九段/怠惰・無知・愚鈍のもたらす最悪

2016.09.16

 おはようございます。秋雨前線というのは梅雨前線と似ています。ただ前者は秋を連れてくるが、後者は夏の前兆ではあります。今日は一日くずついた天気のようです。秋は確実に忍び寄っている、けれどもなにか蒸し暑い、そういう時節です。今日は「渋谷B」の指導日です。竹の会では次の連休は竹の会をお休みとしています。ささやかながら夏の連日の仕事で疲れ切った心身を癒やしたい、ただそういう思いです。

 早9月も月の半分を終わり、一気に後半も駆け抜けそうです。受験本番は確実に近づいております。去年全く小4が集まらず、今年は小4から鍛えて合格へ導くということができなかった年です。特に、入会試験で甘くして入会を認めても後々やはり綻びる、そういうことがあまりにもあからさまで、正直竹の会の能力判断の正確・精妙なことをを認めざるを得ません。わたしの情実的な斟酌がもたらす不幸を考えると、今後は厳正に試験の結果にしたがうほかないと観念しております。入会試験は厳正に、そして入会許可も斟酌なしにです。さらに、入会後に指導困難性を感知したときは、すみやかに親御さんにその旨を伝え、退塾の方向でお話しあいをさせていただきたいと思います。竹の会はいったん入会しても指導困難性という、この一点において、指導継続の可否を常に問い続けている、問い続けたい、と考えております。

 特に、中学生については、突如として勉強しなくなるということが往々にしてある。思春期特有の反抗的態度というものはよく経験してきましたが、竹の会は特にそういうことを我慢してまで指導するという教育塾ではありません。このことは十分にご理解していただかないとなりません。飽くまでも高い目標を胸にひたすら向上心をもって勉強する、努力する、そういう姿勢のある子たちを念頭においております。勉強する意思は竹の会にいるからには当然の前提です。それがなければ、なくなれば竹の会にいる理由は少しもないのです。

 竹の会では、現在来年2月に現小6、中3が卒塾する、そのためにできる空席について、すでにこのブログでは募集をしているということを何度か書きました。正式の募集については、「お知らせ」として近い日に掲載されると思います。また好評の冬期外部生体験指導コースについても、現在計画中です。これも詳細が確定すれば「お知らせ」があるはずです。

 「渋谷A」については、現在空席がありませんので、「渋谷B」にまず入室されて、来年2月にコース変更するというのがいいと考えて現在そういう趣旨の募集をしております。おそらく来年2月の新規募集は事実上「渋谷B」のみになることがかなりの蓋然性で予測されます。なお、現小6についても特例はありませんのでその旨予めご了承ください。

 具体的には、現在将来「渋谷A」への変更を前提として、とりあえず「渋谷B」への入室をめざすみなさんの入会申込を受けつけています。入会までの流れは都合次のようになります。

 ① 竹の会HPからのお問い合わせフォームからのお申し込み

  注 電話申込は個人情報の申告書式がないためでできません。

 ② 入会試験及び面談日を返信、確定

 ③ 入会試験合格後当日をふくめて3日以内の入会申込(申込書及び入会金のお支払い)で入会が確定

 現在募集の対象 受検目的の小3、小4、高校入試目的の小5、小6

 渋谷Bについては、いつでも入室できますが、渋谷A希望の場合、渋谷B待機組を優先します。つまり、渋谷Aに空席ができた場合、渋谷Bで渋谷Aの空席を待っていた人が優先します。

◎なぜ「事実」を普通に読みとれないのか

 竹の会には、朝日新聞の天声人語についてわたしが「問い」を作って、読解の深さを診る、というレジュメがありますが、どうもほとんど読みとれていない。読み取りできていない子というのは、算数の文章についても、やはり問題の意味を読みとれない。日常的な意味さえ算数の問題にするともうわからなくなる。なにか呪文にかけられたように見えない。裸の王様が裸には見えない。そういう子の頭の中というのは、事実を事実として意味を考え事実と事実を意味でつなぐ、区別するなどのことは一切やらないで、自分の怪しげな公式みたいなものにひたすらあてはめることばかり考えている、そういうように見える。

 精神的な年齢というものもこの事実の認識には影響しているかもしれない。比較的女子が世間的な視野が広く事実を常識的に捉えることができるようではあるが、知能的なものももちろん関係している。知能的に考えが及ばないということもあるのは当然である。だから女子と男子というくくりもいちおうということである。男子が幼いがゆえに理解できないのなら中学生になって精神的に熟していけば望みはある。受検にはまだ精神的に早いというのはそういうことである。これが知能の問題なら早いも遅いもない。中学になっても解決できる問題ではない。かつて、受検に失敗した子について、親が中学での指導を頼んできた。落ちた理由は明らかに知能の問題だった。だから引き受けるべきではなかった。確かに、受検が早すぎた、中学で伸びる、そういう子はいる。それは、精神的な幼さのゆえである。もし知能が原因なら中学になっても伸びることはない。

 事実の意味が、日常的な意味さえも理解しない子には、適性は無理である。いや中学になってどうかという話しもかなり悲観的に診るほかない。幼さからなら精神的に成長すれば長じて伸びる可能性はある。かなり機微を要する判断ではある。

 問題が解けない、できない、わからない、という子は、まず、問題の意味、何が問われているか、さえも曖昧というか、理解していない。「わからない」の段階がある。事実はしっかりと整理されて理解している、ただその問いに答える名案が浮かばない、そういう「わからない」ならいい。問題は、問題文に書かれてあることの意味がとれない子である。よく問題の意味を聞きにくる子がいるけれどこういう子は受からない。問題の意味で迷う子はダメなんです。出題者は普通に「わかる」事実を問うているだけなんです。その問われている意味がわからないのならその能力がない、それだけのことなんです。

 こういう子がその殻から抜け出すことができるのか。今年九段に合格した女子がそうであったかもしれない。「できない」、「わからない」という時期が長かった。彼女はもうひたすら考えていた。一枚のレジュメで一日が終わったということは何度もあったのではないか。算数のレジュメなんかもほんとうに何回も解き直ししていた。その彼女がいつのことだったか、かなり難しい算数の問題を解いて、わたしを驚かせた。彼女は殻を破って、脱皮した、変態したのだと思う。だから「わからない」というときにすぐあきらめて「説明してください」とやっている間はずっと殻の中に居続ける、そういうことなのかなと思う。

 ◎怠惰で無知で愚鈍な人々が悪を放置する社会

 TPPが日本の医療、特に国民皆保険制度を破壊することになる、そのことを理解している人は少ない。インフルエンザに罹ればタミフルもらっても日本なら2000円ほどで済む。ところが、アメリカでは、タミフル1錠7万円もする。だから病院でタミフルもらう人なんかひとりもいない。いや金持ちは別である。日本のように救急車をただで呼べるなんてことはない。アメリカだと20万円はとられる。歯の治療なんかもできない。飛行機代を払って日本に治療に来た方が安くつくと言われる。ある日本人がアメリカ旅行中に脳梗塞で1日入院した、薬を投与されただけで回復、帰国後届いた請求書には304万円と書かれてあった。アメリカとはそういう恐ろしいことになっている国である。TPPが適用されれば、日本の皆保険制度は崩壊する、といわれている。さて、あなたたちは選挙で政党を選択し、その政党がTPPを推進している、その結果どういうことになるのか、そういうことも考えないで、選挙なんかいかない、為すがままにさされている、政治家も官僚も怠惰で無知で愚鈍な国民、都民で溢れることを願っている。

 さてである。そういう話しをしたかったわけではない。わたしは、「怠惰」と「無知」と「愚鈍」、この3つを兼ね備えた人たちが結局国民の多数派であり、結局悪を放置する、そういうことになっている社会を横目に見ながら胸を痛めてはいるけれど、無力なわたしがなにができるわけでもない。高学歴のエリートたちが自分たちの利権を守るためにこうした人々の増殖を喜び小市民的幸福で満足してくれることをどれだけ願っているのかを知っているけれどわたしはそのことをとやくかく嘆いているのでもない。

 そういう怠惰で無知で愚鈍な人々が、自分たちの無知で愚鈍なことにはまったく悟らないままに、せっかくの心ある子をバカにしてしまう、そのことが悔しくてならないのである。学校で内申のいい、つまり「よくできる」が8割はあるという子が、大手塾でバカになる、これは理不尽な選択ではないか。いやもともとのバカが大手で確定的なバカになるのならしかたない。わたしだってバカはバカのままにしかできない。が、もし内申がいい子ならこれはなんとももったいない話しではないか。わたしなら将来は東大でも京大でもねらえるほどの子にすることができる。これを怠惰な無知なそして愚鈍な親が「みんな大手にいく」というただそれだけの理由で大手に逸材を放り込む、これはなんという無知のなせる業なのか。

 あなたちは弁護士とか、医師、そういう人ならみな優れている、と誤解している。しかし、現実はそうではない。こういう人たちこそ怠惰で無知で愚鈍な人々である蓋然性が高いのである。何かを依頼すれば高い着手金だけはとるけれど実際は何もしない、動かない弁護士、世間的な常識に欠ける、専門の法律も実は怪しい、無知と言っていいのがいる。群馬大のリピータ医師を例に出さなくても医師なら人格に優れているなどという先入観念はもはや崩れている。議会も官僚も税金をごまかす、懐にどうやって入れるか、そればかりを考えている。

 さてである。子どもたちは怠惰で無知で愚鈍になってはいけない。まず子どもで怠惰、勉強しない、ゲームに熱中する、漫画ばかり読む、テレビばかり観る、これは怠惰を習慣化しているだけである。

 本を読まない。勉強しない。考えない。新聞を読まない。怠惰であり、それが無知を結果する。そして愚鈍になっていく。

 わたしたちは、そういう子に育ててはならない。子どもは勉強するという意思、スタンス、そして知を深める、そういうことでなければならない。大手塾に通ったからと言って勉強のスタンスがあるというわけではない。仲良しの仲間と楽しいおしゃべりをすることが勉強のスタンスとは相容れないということくらいわかりそうなものである。テキストに支配される、講師の説明を当てにする、ノートを写さないと不安、そういうものは勉強のスタンスとは言わない。常に勉強のことを考え、心配し、案じ、努力を怠らない、怠けない、知の追求を続ける、勉強が孤独な営みであることを悟り、決して蔑ろにしない、そういうことすべてをふくめて勉強のスタンスという。

 

 

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