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魔が差すという信じがたい、人間の心の制御不能のことなど/新たなる一歩を踏み出して

2018.03.09

 お久しぶりでございます。ブログが中断しましてむしろ卒業生の親御さんなどからご心配のメールが届くようになりまして、わたしもようやく心の決着をつけたところです。今年の都立は唯一の受験の女子が「魔が差した」としか思えない、信じがたい挙に出まして、試験終了間際に理科の正解していた6問を不正解に書き換えたというのです、これは本人もショックでしょうが、わたしはそういった事情を知るまで、あれこれと受験指導のいたらなかったところをそれこそ嫌になるほど検証し続ける毎日でしたが、だからブログはとても書けませんでした、わたしを心配されたお母さまからのメールでようやく真実の一端を知ることができたのです。もうこのことについては一切書かない、書くことが傷つけることだからです。

 このところさまざまな本を読むことが多く、いろいろと仕入れている感じです。ようやく来年の受験に向けて、考える心の自由空間が形成されつつあるようです。心に遊びの空間があるときほどいいアイデアが浮かぶように実感しております。受検、受験が終わる度に、竹の会を「いつ」止めるのか、考えることが多くなりました。竹の会は、元代々木にあったマンションの一室からスタートしました。昭和60年10月のことでした。塾を始めるとき、塾の名称をどうするか、随分と悩みました。阿部塾とか、山手塾とか、それはもういろいろな名前が候補に挙げられました。しかし、どれひとつとってもしっくりこなかったのです。それで一週間ほどして、朝目が覚めたときに、突然「竹の会」という名前が浮かんだのです。母は信心深い人で「たけちゃんは、塾の申し子、生まれながらの天職」ということをよく言っておりました。さて塾の名前は決まりましたが、次は生徒集めでした。さてどうしたものか、と考えて、たまたま近所の人からもらった上原中と代々木中の名簿を使って手書きのガリ版印刷のDMを書いたのでした。こんな原始的な方法でしたが、なんとたくさんの方から問い合わせがありました。しかし、この名簿DM作戦は、すぐにだめになります。名簿業者の氾濫で個人情報が言われるようになったからです。一時期新聞の折り込みなんかも試した時期がありました。竹の会は小塾で、知名度もなく、竹の会の存在、価値を世の人々に知ってもらうのは至難の技でした。幸い上原中と代々木中を中心に、口コミで地元塾として竹の会は生きながらえてきたのです。10年単位で見ますと、周辺では、幾多の塾が立ち上がり、また昔からあった塾、新興の塾、そういうものが、生まれては消えていく、竹の会はそういう塾の盛衰をずっと傍観してきたのでした。まるで対岸の火事のように、竹の会も塾なのに、他人事のように眺めてきたのです。竹の会で第一期生と呼んでいるのは、昭和60年10月から12月の間に入会した人たちのことです。なぜか中2だけでした。生徒は全員中2だったんです。1回2時間の授業を週2のペースでやりました。テキストは教科書でした。なにしろわたしの手元には資料もなにもない、まったくのゼロからのスタートだったのですから、今考えると、まだ机もイスも黒板もない、そういうところに、3人のお母さまが見えられて、お話しをし、娘3人を託することにしたのですから、今ではありえない、お母さま方には何かに左右されない、今では考えられない、心の余裕を感じます。授業は「わかりやすい」とたちまち評判になって、口コミでたちまち生徒が集まりました。竹の会のような小塾では宣伝というものが功を奏さない、そう思います。わたしは毎日深夜まで勉強しましたね。英語を究める、数学を究める、理科や社会、国語とそれはもう勉強しました。中3になるともう朝から晩まで毎日のように過去問を解きました。首都圏のありとあらゆる学校の過去問を10年分ずつ解きましたね。高校生が一人くる、すると今度は高校英語と高校数学を研究しました。平成10年まではワープロ専用機が活躍していました。わたしは大量のプリントをそれで制作したものです。インターネットが言われ始めたのは十年代でした。わたしもマック買ったり、NECの98買ったりして、真似事をしましたが、まだまだ使いこなせませんでした。平成17年には、もう本格的に高校入試のためのレジュメ制作に入っておりますから、それまでにいろいろと試作品は作っていたのだと思います。毎年のように高校受験を指導してきて、それはもまれました。首都圏の過去問ならたいていは解いています。中学受験の子がくればその指導のためにまた過去問を解きますから、今度は中学受験の過去問も解き尽くすことになる。大学受験の指導をしたときは、さすがに過去問を解き尽くすという方法はとれませんでしたが、わたしの大学受験の方法をさながらに実践指導したものです。教材会社も竹の会を塾と認知してくれるようになり、電話、FAXで注文できるようになりました。さまざまな塾の団体からもお誘いがありましたが、わたしは竹の会はいつ止めてもいい、そういう気持ちでしたから、そういう団体に入ることはありませんでした。わたしの夢は「いつか渋谷駅のそばに出したいな」、そして23区の人たちから「渋谷にいい塾があるんだよ」と言われるようになりたいな、そういうささやかなものでした。3.11のあった翌年の5月に竹の会は渋谷教室を開くことができました。当時は、まだ元代々木教室も存在したままで、わたしは2つの教室をかけもちで指導をしておりました。わたしの夢であった、地元密着型から、23区を対象にした塾へと変わろうとした時期です。ただ待てど暮らせど生徒は集まらず、竹の会などという小塾に目を向ける人はほとんどいなかったのです。大手のような宣伝手段ももたない竹の会のような小塾が生き残るには、23区のみなさんに認知していただけるには、とにかく実績を出すしかない、わたしはそう信じて、指導に全力をかけてきたのです。小4、小5から来てくれることはほとんどなく、たまたま小4とかに来てくれた子たち、たいてい1人とか、2人でしたけど、そういう子たちを育てて、合格させてきたというのが真実なんです。まあ、わたしもいろいろとノウハウは磨いてきましたけどね。

 渋谷教室に移転して、もうこれまでのように、塾特有の心労はしたくない、「勉強しないなら止めてくれ」とはっきり言える塾にしたい、と決意していました。だからよく退塾を告知しましたし、わたしの意を汲んで退塾する人もよくいました。退塾していなくなるとなぜか心が楽になる、そういうことを知りました。指導がうまくいかない子をずっと抱えているのはかなりの心的な負荷になっている、そうだったのですね。竹の会はどんどん止めていただいていい、ほんとうに「勉強したい」、そういう子だけきてくれれば、それでいい、今は心底そう思っています。退塾を申し出てくれたほうが、わたしにはずっと楽です。わたしから退塾を告知するのはけっこうストレスなんです。退塾を申し出てくれば、「あ、そうですか」で終わりですからね。

 塾なんて無理してやるところではない、と思います。それにしてもわたしが出会ってきた親子というので、塾で成功したという人に正直出会ったことがありません。どんなに難しいことを勉強してきたか知らないが、あるいは大手の有名なテキストをやってきたか知らないが、計算も満足にできない、中程度の割合の問題も解けない、そんな子ばかりでした。ベタな割合の問題だとすぐ公式にあてはめようとする、公式がわからないともう思考停止、そういう子を嫌と言うほど見てきました。親がバカなのだと思います。子どもがそういうところに行きたいということもあるのでしょうが、親主導で決まることですから、親が子を見てくれのいい塾に脳天気に預けてしまうという、そのアホな思考にこそ問題があるのだと思います。わたしはよく問い合わせの方から「先生の嫌いな大手塾に通っています」ということを言われますが、大手はもともとの天才にはいいとろですよ。ただし進学塾の話しです。公立中高一貫対策を謳う大手は信用できない。それにわたしは大手をのみ批判しているのではない。中小さまざまな塾に行っている人もたくさんいる。そしてそういう塾であっても、やはり大手と変わらないほどにダメ塾ばかりだと言っているのです。それはそういう塾にいたという親子が竹の会にきて、頭の質はいいのに基本ができていないという事例によく出会ってわかったことです。それと同じ流れで、それまで塾に行ったことがないという親子もひどかった。学問の縄文時代を生きているという感じでした。

 わたしは23区にまともな塾を見つけるのは大変だと言っているわけです。もしわたしが探すとしたら、たちまちあきらめるかもしれない。どこの塾長も、りっぱなこと、もっともらしいことを言うけれど、問題は、子どもと実際に接して指導したときどうするか、でしょ。ここでは、理論的な建前なんか関係ないのです。わかるまで教えるとか、補習をやる、とか言っても、問題は、指導の中身なんです。約分も満足に理解しない子を目の当たりにして、どうするか、そういうことが問われているのです。問われるのは、塾経験に裏打ちされた高い、指導技術なんです。そういう技術の精妙な技は口で説明できることではない。きれいごと言っていて、それに騙される、それは親がアホだからです。わたしは、できないことはできないと言っている、だから退塾していただいて結構、と言っている。ところが、バカ親たちは、これを感情的に受け止めて切れる。わたしは正直に良心的な対応をしているだけなのに、それがわからない。そもそもそういう正直な塾があるかということです。塾の常套句は、「大丈夫です」「なんとかします」でしょ。わたしが「ダメです」と言うと切れて、「大丈夫です」という塾には、いい塾と評価する。それが世間の親です。

 笑えるのは、ネットの塾ナビサイトなんかにいい塾として出てくるのが、みな大手なんですね。笑えます。あんなサイト立ち上げて、ほんとうにいい塾なんか、そういうサイト運営者にわかるはずがない。自らの足で取材してまわったわけではない。カネ出した順でしょ。ところがこういうサイトを親はまともに信じるわけです。それで大手にいく動機を強くすることになる。だから笑えると言っているのです。

 さて、そろそろわたしも塾という稼業を止めどきなのかなとよく考えることが多くなりました。ただ来年は小4から育ててきた子たちが小6になる年で、今年だけはこの疲れた体にむち打って、指導の粋を尽くさなければと、自分を叱咤激励するように、経文を唱えるように、意識に上らせています。

 指導の粋。わたしには、今はそのことしか頭にはありません。

 長い文章を最後までお読み下さりありがとうございました。

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