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2017年「草枕」最終原稿の予感

2017.12.22

 おはようございます。このところ午前6時過ぎに目覚めて仕事に取りかかるのが習いとなりました。朝起きてカーテンを開ける、パソコンの電源を入れる、何とはなしに外の景色を眺める、青空が朝日に映える、凍えるような冷たい空気が部屋の中に居るとわからない、ふと思いだしたようにやるべき仕事のリストをに目を通して後は黙々と取りかかる、いつもこんな感じです。

 さて、今日は渋谷Bの本年最後の通常指導日となります。渋谷Aについては、24日(日)が12月の通常指導の最終日です。思えば一年前の12月はなんとも不毛な師走でした。といいますのも、あの年の受検の子たちはなんとも不本意な仕上がりだったからです。受検したのは竹の会では当然なのですが、3、4人でしたか、いずれもまともにレジュメをこなせないままに、本番突入でした。模試でまともな成績をとった子もなく、確か、こういう不調な年は過去に一度あり、平成20年指導の子が受検した21年がそうでした。いわゆる全滅というやつです。基本的に能力が追いついていなかった子たちが小6前後にきたということで勝負になりませんでした。あの年と同じく、平成27年、28年は、全くと言っていいほど竹の会に人が来なかった、来てくれなかった年でした。竹の会でも学校説明会にはチラシを配るなどしたのですが、99%の親たちに無視されました。大手が絶対的に強かった時期です。親たちは大手塾の「小石川対策コース」のような名を打ったパンフに吸い寄せられるように引き込まれていきました。実は21年の指導では4人いた小6の3人の親たちが大原のパンフにあった志望校別講座にこっそり申込、竹の会の指導を軽視しました。11月のことでした。竹の会の指導に専念したのは1人だけで、それが杉山太一君でした。22年桜修館合格者です。大原の土日講座に通った子のうちの1人は小3から竹の会に通っていた子でかなり期待していたのですが、12月にはどん底の状態になりました。大原組の親たちは、子どもたちがどん底にあることにようやく気がつき、わたしに頭を下げて、もう一度竹の会の指導をと懇願してきました。ぎりぎりに追い詰められての指導再開でしたが、小3から竹の会に通った子が、奇跡的に両国に合格しました。わたしはもう早くから大手なんかに行っても意味がないのにと訴えてきたのですが、竹の会に現に通っていてこの体たらくでした。杉山太一君がわたしの指導に専念し、早々と合格の確信を得たのに、大手の巧妙な宣伝に騙された親は惨憺たるものでした。大手の吸引力にはとても竹の会が太刀打ちできるものではありません。平成19年竹の会から3人の子たちが受検して全員が、それぞれ九段、東大附属へと合格しましたが、あのとき、九段は確か11倍で、ほとんど不可能と思われたプレッシャーの中での合格でした。あの九段合格者は小6の4月に来た子でした。あの当時はそれで間に合ったのです。しかし、わたしには指導開始は早いほど有利だということが自明でした。ところが都立中受検の親たちが動き始めるのは、早くて小5でしたから、竹の会でもしかたなく小4早期からというのは断念しました。小5から始めた親もたいてい指導が進むにしたがって、もっと早くに始めていたほうがよかったと悔やんだものです。

 竹の会に来て、ほかの何かをやるなどいうのは、そもそも前提が間違っているのです。市販の参考書や問題集はまだいいほうで、Z会みたいな通信添削を受けるともうだめです。とにかくいろいろやらないことです。竹の会を信じ切れるかどうかです。成功した人たちは信じて合格した、それだけのことです。

 今年指導の小6はほぼ全員が小5の4月以降からの指導開始の子たちです。1人だけ3月開始の子もいますが、だから「ほぼ」です。それまで大手塾に行っていたという子たちも何人かいます。今では定番の竹の会の指導の流れからすると、小5に基礎訓練を開始してタフな思考力をつけるというのは、いかにも無理があったのです。おまけにたいていの家庭は、なにかと勉強を中断する、いわゆる家庭の事情に事欠かないというのが実情です。まだ「小5だから」とか「小6になる前に」の論理です。しかし、正直に言えば、竹の会でこれまで小5入会で合格してきた子というのは、そういう家庭の事情の一切ない子たちに限られていたのです。とにかく小5に来たとして成功するのは、家庭一丸となっての勉強姿勢そのものにある、ということです。

 話しは変わりますが、竹の会の冬期というのは、わたしには体力が保てるのか、甚だ不安です。朝6時に起きて、7時半には家を出る、8時には教室を開ける、8時30分には指導開始です。一日の指導が終わるのは、夜8時です。終わるとすぐ教室の掃除をする。教室を出るのがたいてい8時30分、家まで自転車で5分か、10分、家に帰ると、すぐお風呂に入って、それから翌日の下準備をする。夜12時になんとか寝れればいいのですが、わからない。都合わたしの一日はこういうものです。それでわたしの体がほんとうに持つのか、今はまったくわかりません。この5年間で2度、12月30日の夕方に38度の熱を出しています。2回とも1月3日の朝に熱が下がったという偶然の一致です。だからとても畏れているのです。子どもたちが静かに指導にしたがってくれればいいのですけれど、特に、渋谷Bはなかなかストレスになる子もいまして、その分疲れが溜まることもあるのかと思います。

 わたしは自分で言うのもなんですが、今のわたしの指導というのは、絶対の自信に満ちていると思います。指導技術に工夫を重ねて、もう33年か、34年です。竹の会の指導というのは、子どもたちが伸びているのかどうかが、はっきりと形で目に見える、ということです。こういう塾というのは、わたし一代限りです。わたしにしかできない、わたしが完成させた指導の体系だからです。だれも真似のできないものです。ひとりひとりの子どもの表情の変化、理解の深度を確かめながら、進めていくのですから、これほど手のかかる指導はありません。子どもたちは確実に「わかる」という経験を積み重ね、その中から、「考える」ということの作法を学んでいくのです。できない自分と対決することを強いられる、「わかる」ということが簡単には得られない、苦しみのともなう精神作用だということを学んでいくのです。それでもわたしが平成18年前後には研究を始めた、小学生指導の方法論が仮説と実践の試練にさらされながら進化し、進歩し、苦悩を重ねて、発見、開発、体系化してきた竹の会指導の数々のノウハウが今では花開き、小4指導、小5指導を見事に、100%成功の夢を実現しつつあります。

 わたしはもともと高校入試の専門家です。専門家といっても多くの親御さんが思っているような専門家ではない。33年にわたって高校入試を指導してきたからといって、どこやらの学校に詳しいとか、いろいろと情報を持っているとか、そういう専門ではない。わたしは高校入試を成功させる専門家ということです。それは小学時代の下ごしらえから始まって、前倒しに手を打っていく手順というものを体系化させているということなのですが、多くの親は、どうでもいい学校情報ばかり知ろうとするけれど、そんなことはわたしにはどうでもいいことです。要は、いかにして当の生徒に真の実力をつけて、合格可能なレベルに達せしめるか、これです。だから英語なら英語で、どの時期までに何をどの程度学んでおかなければならないとか、単語はどの程度必要か、どうやって身につけるかとか、英文解釈には何をやるか、だとか、そういう細かい実力をつけていく過程について、手順を考えて、指導を打っていく、そういう意味で専門家だと言っているのです。

 そのわたしが今では小学生指導の専門家として竹の会で指導している。今竹の会でわたしの指導を受けている子たちはすばらしい幸運に巡り会っている、わたしはそう思っています。なにしろもうあと何年かしたら「ない」、わたしの最高の指導を受けられるのですから。わたしは説明することを悪と言っているわけではない。わたしは子どもの学力の機微をつらえて、実はよく説明をします。説明するのは子どもの思考する力を削ぐかもしれない。そういう危険性を危惧しながら、その思考の芽を摘まないように、説明するのです。子どもたちがわたしの説明をどう思っているのか、知らないけれど、わたしの説明を聞いた後、途端に表情が明るくなるのは、「わかった」からなのでしょう。その証拠に次には難しい問題を解いてきたりなどする。もし次もダメなら、その子には説明は毒です。思考段階のステージをより下げてやる必要があるかもしれません。思考段階が高い子にはかなり突き放す指導をします。ただ思考のヒントを巧みに入れます。たいていはそれで「あっ」と気づくことが多い。これも思考指導の技術なのです。わたしは算数の説明をするときは、とにかく図にかきます。色なんかぬってやるのも、子どもたちの脳の具体的な、つまり現実の、日常のイメージの中の、ということを知ってほしいからです。竹の会の子どもたちというのは、わたしが発明したミクロマクロという思考枠組みを思考の道具として、使いこなしていきますので、その進歩が著しい、まるで上昇曲線のグラフを見る思いです。成績の上がり方も半端ではない。なぜこういうことが現実に可能なのかということですが、それこそが竹の会の神技なのです。竹の会に子どもさんを預けられている親御さんたちの信頼に充ちた安心感というものをわたしが肌で感じるのは時折寄せられる竹の会への感謝の言葉からです。

 竹の会は今では東京23区のみなさんを対象にした塾として成長しました。この竹の会がこの渋谷の片隅にあるのはもうそう長いことではないかもしれません。しかし、わたしはそれでもわたしの築き上げてきたこの指導の方法をわたしが元気な限り、23区のみなさまにお届けしたいと思います。「東京の渋谷にいい塾があるんだよ」と、23区のみなさんにそう噂されるのが夢でした。渋谷教室になって、ほとんど生徒が集まらず、もうそんな夢も終わるのかとあきらめかけたこともありました。竹の会がなくなる、そんな覚悟もしました。でもわたしは最後まであきらめることはなかったのです。2人とか、3人しか、きてくれなかった時代がずっと続いたけれど、わたしはその2人、3人を精魂込めて指導してきました。その子たちが凄い確率で合格していったこと、それだけがわたしの救いでした。もうすぐ竹の会は終わるでしょう。でもわたしはあきらめません。「東京の渋谷にこんなにいい塾があるだよ」と言われるようにわたしは今ある限り全力で生きていきたい、そう観念しております。

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