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2017年12月31日ようやく一息/最強の日比谷・西・戸山対策/渋谷に名塾あり、と言われる日まで/小石川、桜修館最強対策

2017.12.31

 

 おはようございます。冬期に入って連日朝6時起き、7時半には家を飛び出して行き、事実上朝8時から夜8時まで連日12時間の指導を終えて、教室の掃除を済ませて、夜8時半には塾を出て9時前には家に帰り着く、それからお風呂に入り、食事の前に翌日の指導に必要になったレジュメを準備して、それが済むとようやく食事、すぐに夜12時が過ぎて就寝という日が続き、今日はようやく一息つきました。それでも6時過ぎには目覚めましたが、今日はそれから1時間ほど眠り自然に目覚めました。奇跡的に体は持ち堪えているようです。疲れから熱を出すこともなくどうにか乗り切ったようですが、まださらにハードな日程の後半が待っておりますからよほど気を引き締めてかからなければなりません。とにかく今日だけは仕事もなくホッとしております。しかし、前半でたまった模範作文を数通書かなければなりませんから、夜家族が紅白を見ている間に仕上げる予定です。今年の冬は開始早々数名がインフルエンザなどの風邪に罹りお休みを余儀なくしております。わたしもインフルエンザに感染した子たちと接触するのが通常ですから、いつも緊張しております。子どもたちはいつ急変するか予測不可能で今では常にマスクをして指導することとしております。12時間という指導の間、わたしはコーヒー以外は口にしませんが、子どもたちは冷蔵庫に常備してある麦茶や冷たいコーヒーを飲んで、麦茶がなくなれば、自分たちで作り、使ったコップは自分で洗います。長時間指導の合間のブレークタイムには、みんなで好きなものを飲んでくつろぎます。ココア、わかめスープ、コーンスープ、ポタージュ、味噌汁、とにかくなんでもわたしが用意していますから、みんな好みに応じてそれぞれに飲んでいます。冬はよくお餅を焼きます。これらの準備はすべて小5有志がやってくれます。わたしは休むことなく指導していますが、子どもたちが楽しそうにくつろいでいるのをそれとなく見ながら、「みんなよく勉強しますね」などと声をかけるのですが、夢中で話す子たちの耳にはほとんど入らないようです。休憩が終わるとまた勉強開始です。間断なく指導室に入ってくる子どもたちの指導に追われて、ほとんど休む暇もない、激務です。ただ今年の冬は、竹の会で平成24年の指導まで使われた過去問合格法を急遽取り入れることにしたため、テスト実施の間、少し体を横たえていますが、それでもその間に指導室に入ってくる小5や小4の相手をしなければならず、あっという間に激務です。

 とにかくわたしの体に何事も異常が発生しなかったことは奇跡的と言っていいと思います。実は、様々なサプリメントを飲んでおります。腸内に棲む微生物のためにとか、血圧のためにとか、膝痛のためにとか、免疫力強化のためにとか、いろいろです。背中にはいつもピップエレキバンを貼っています。こういう状態ですから、もういつまでこの仕事を続けられるのか、予測不能で、今は、今に全力を尽くすことばかりを考えております。

 これから2月3日の本番に向けて、さらには2月23日の都立本番に向けて全力でわたしのできる最大のノウハウを駆使して指導に専念してまいりたいと思います。竹の会の子どもたち全員に幸福がもたらされればいいのですが、試験というものは、受かる人の何倍も落ちるから、試験なのです。小6を見ていると、やはり小5入会というのが響いている、小5のときに十分な時間がとれていないということがかなり大きい、そう実感しております。この時期に白紙に近い答案は合格に結びつくことはない。それは平成20年の指導のときにわたしが嫌と言うほど実感したことでした。あのときはほぼ全員が小6の6月前後の入会で、まともに分数の計算もできない子たち、簡単な割合で苦しむ子たちと合格の芽は最初からなかった。わたしはあの時の経験で、小学生は早くから指導していかなければだめだと学んだのです。しかし、竹の会のような無名の塾に小4から来てくれる親なんてほとんどいません。平成20年の8月でした。一人の小4が連れられてきたのは。小石川志望でした。品川から一人で通ってきたのです。早速当時使っていたドリルで分数から指導して、その年の12月には割合を指導しました。当時は、まだいろいろな指導レジュメを試作している頃で、竹の会の主流は過去問合格法でした。その子は21年には、小6と対等以上のできでした。全く同じ指導をしました。そして小6よりもできたのです。当時の小6には桜修館に合格することになる杉山太一君、両国に合格することになるT君がいました。ちなみに両国に合格した子は小3入会です。杉山君は小6の6月入会でした。当時は受検の小6はせいぜい3、4人でした。元代々木教室は昭和60年10月から平成24年7月まで続きました。24年の5月から3か月ほど渋谷教室と元代々木教室が併存しました。渋谷教室は竹の会が東京23区にデビューした、念願の夢が実現した、わたしには、わたしたち家族には、深い思いがありました。しかし、無名の竹の会が、もっともほしいと思った小4が、しかも早期に、集まることはなかったのです。都立中受検の親たちは、小5でも早い、と認識しているのが一般で、熱心な親は、まず大手に子どもを入れるのが常でした。竹の会が学校説明会に合わせて、ビラを大手に混じって配っても、その反応はとても冷たいものでした。大手の配る消しゴムや鉛筆、あめ玉つきのチラシにはニコニコしながら受け取っても、竹の会のチラシには冷たいものでした。塾を敵視しているのか、詐欺とでも思っているのか、そういう親子もそれなりにいました。とても物量攻勢の大手に歯の立つものではありません。万事休すでした。

 「渋谷に名塾あり」と人々に言われたい、そういう思いはいつも抱いてきました。竹の会のわたしの指導は巷の塾とはまったく別物です。大手も中小塾や溢れる個人塾、そのいずれとも違います。いずれも「教える」塾、知識を「与える」型の塾です。テキストを軸に、講師が授業をする、というのが基本のスタイルです。多くの親はまずこれを前提、あたりまえのもの、所与のものとして、かかる。そこから竹の会のやり方に懐疑的になる。すっかり洗脳されてしまった親たちには大手しかなかったのです。それから世間の塾のずるいところは、どんな子でもやってくれば教えるという無節操です。「わかるまで教える」とか、「補習無料」とか、とにかく世の中にバカはいない、どんなバカも教えればできるようになる、と嘘をつき、親はなぜかそんな嘘に飛びつく。竹の会は竹の会では無理だという子を正直に告白しています。カネ払っても無駄になると言っているのです。それから無駄なカネを使わないように、通っても意味がないときはそう通告もします。良心的な対応をしているのに、これにはかなりの恨みを買うということもありました。ヒステリックな母親がわたしのブログを見て退塾したものです。特に母親がヒステリックになるのは、自分の子がカンニングをしているという指摘でした。カンニングと言っても狡猾なものではなく、盗み見です。わたしはこういうことをしても自分のためにはなにもならないということを諭していたのですが、親は非難ととるほどに狭量と偏見に支配されているものなのだということを知りました。わたしはそういうことをしても意味がないのだよということを悟るほどに賢くなってほしい、賢くあれと訴えていただけなのです。わたしの真意が伝わらず、ヒステリックな母親には恨みを買うことになりました。良心的で正直に対応しているほうが恨まれるというのが世の中です。大手のように曖昧で、つまり無責任に対応しているほうが親たちにはのど越しがいいのです。

 それでも竹の会は竹の会のやりかたを貫き通してきました。わたしが30余年にわたって創り上げてきた指導の体系が今花咲こうとしています。私の夢は、長い間胸に秘めてきた夢は、東京の渋谷に竹の会という、とてもいい塾があるんだよ、と23区のみなさんに噂されるようになることでした。竹の会を慕って遠くから通ってくる子たちがわたしの夢でした。元代々木教室のスタートは地元密着型の基本は高校受験の専門塾でした。元代々木という交通の便の悪いところにありました。それでも平成20年以降はブログを読んで、狛江市や新宿区、江戸川区、中野区などから入会してくる子たちもいました。しかし、地理的な不便さがネックであったことは間違いなく、断念する人もかなりいました。それでも通うと決断した人たちが、小石川や戸山などに確実に合格していったのは竹の会の真実を実は伝えていたのではないでしょうか。

 子どもたちを指導するというのは、正直体力のいる仕事です。受検、受験のたびに消耗してしまいます。毎年受験が終わる度に、自分の体が危機的なのかなと実感しています。どこまでもつのか、正直自信がない、それほどわたしは真剣にわたしの全体力で戦っている、そう思っています。わたしはおカネをもらって指導する、つまりこれを職業とするプロです。ですから、いい加減な仕事はできない、というのが信条にあります。きちんとおカネはとります。ですから取っただけの、いやそれ以上のことをやっている、そう思っています。それがプロなのだと思っていますから。だからわたしは、今竹の会に来なければ、出会わなければ、もう会う機会はない、そう言っているのです。

 小6は本番まで1か月です。もう何かをやるという時間はない。これでまでにやったことを見直すことが一番の対策です。小5の4月前後から8月前後に竹の会にきてついに受検本番1か月前になりました。遠くからこれまでわたしの竹の会に通ってきてくれてありがとうございました。あと少しですが、わたしはあなたたちのために全力で指導していきたいと思います。竹の会の優秀な小5のみなさんが、先輩たちのことをとても心配していました。どうか残りの竹の会の日々を充実して過ごしてほしいと願っております。

 竹の会のみなさま今年もありがとうございました。お父さま、お母さまがた、毎回の指導日に送り迎え、お疲れさまでした。みなさまがたのご健康をお祈りしています。またお子さんの勉強への意思を育てていくことに価値を認めておられることに心より敬意を表します。

 ありがとうございます。

 竹の会 塾長 阿部雄彦

 

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