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2018年2月8日 晴れ/高校受験で失敗する子たちの人生/傾向とか情報に振り回されるバカになるな

2018.02.08

おはようございます。本日も超低温なれど清々しいほどの晴れです。日本海側では大雪に見舞われているというのに改めて山脈という自然の作りの神技をひしひしと感じています。今年は比較的平静にこの時期を過ごすことができていることにも不思議に思います。これからの波乱に満ちた神の裁断は覚悟していますが、それにしても寒さが体に堪える、早く春を待ち望むのはきっと歳のせいでしょう。竹の会にはバレンタインデーを楽しみにしている女子などもいて昨今の小学生事情の様変わりにこれまた歳を感じてしまいます。小6が去りまして教室はなんとも静かな営みの中にあります。このままもう今いる小5だけで竹の会を終わらせられたらとふと思うことがあります。わたしのブルーな気分のせいか、本年はあえて募集しないこととしております。このままいまいる生徒が卒業してしだいに自然消滅していくのでいいと思っております。一人二人と新規に入会してくる子たちについては、本当に指導がうまくいくのか、この3か月で見極めなければなりません。指導困難ということであれば無責任にこのままお引き受けすることはわたしの良心の問題であり、とても認容できないことです。指導が前へ進んでいないというのは、正直わたしには大変なストレスであるということを正直に告白しておかねばなりません。現会員のみなさまにつきましても、どうか現在のお子様の状況を詳細にご検証くださり、ご判断していただきたい、と思っております。特に、中学生につきましては、定期テスト、通知表という客観的な評価が出ますので、これを基準に成績不振と判断できるはずであり、竹の会に1年前後通ってこの成績か、という判断もあろうかと思います。そうであれば、こんな塾止めてやるでいいのだと思いますが、一般論としても退塾するのが普通の判断なのかと思います。成績が振るわないのにわざわざカネ出して塾にはやらないでしょ、という意味です。

 指導が前へ進められないという事態は小学生についても当然言えることでありますが、可塑性に富み、正直日々の指導で思いもかけぬ成長を見せることもある小学生については、軽々に判断できぬことも承知しておりますが、親御さんの目から見て「芳しくない」という実感はおそらく正しかろうと思っております。そういう実感をお持ちなら竹の会には早々に見切りをつけることです。もしさしたる進歩もないままにぬるま湯に浸かっているという実感がおありなら迷わず竹の会など止めてしまえばいいのです。それはきっとわたしの心労をストレスを解放することになる、だっていつもそうでしたから。

🔴未知の問題を読み解き柔軟に対応する力をつけることを目標にする

 よく学校説明会に行き、あれこれと吹き込まれて、大騒ぎする親がいますけど、笑止です。わたしのように33年も塾をやってきた人間には、受験にほんとうに大切なものは何か、ということがよくわかるのです。説明会で得られる情報で合否が決まるわけがない。よく傾向がどうだなど大騒ぎしますけど、問題はそんなところにはない。試験というのは、どんな問題が出されても柔軟に対応する、いわば考える力で切り抜ける、そういう準備をするものではないのか。予め傾向を知ってその傾向に即した問題を勉強していれば受かり易いなどという安直な考えしか浮かばない親は相手するのは無理だ。傾向を言う人間ほど本番で「できなかった」とき「今年は新傾向だった」と言う。バカか、試験というのは常に未知との遭遇を想定してかかるものであろう。だから未知の問題に直面して、そこでどう解くか考える、普段からそういう訓練をするのが受験勉強ということだ。だからこれが出たらどうしょう、ととにかく問題集やら予備校の教材なんかを見つけてはやる、ここで培われているのは何なのか、一度考えて見ればいい。結局知識を増やす、もし出たとき、知っていたら「得」、こういうことであろう。バカか、人間というのが想定できる事態などは高が知れている。人間というのは知識を万全にしてなどということはもともとできないのだ。だから知恵を使う、それが人間なのだ。知識のないのを知恵で補う、これがやるべきことなのだ。だから受験というのは、当然に本番では見たこともない問題を想定して、そうした場合にどう切り抜けるか、そういうことを普段から鍛えておく、そういうことなのだ。それからよく日比谷を受けるからとか、慶應を受けるから、難しい問題、難しい勉強をしなければならないと信じているバカがいるけれど、難問をまた漁り始めたら、本番では、まず「解けない」ということを悟って終わるのがオチである。難しいという試験ほど基本が大事ということだ。またそういうところほど実はもっとも基本的なことを飛ばしている人が多く、できないのは、失敗するのは、そういう基本的なところを疎かにして、難しいことばかりに力和注いでいるのが大半である場合がほとんどである。

 竹の会というのは、都立中高一貫校対策としても、知識で勝負しているわけではないのは以上でおわかりかと思う。そもそもの基礎的な学力をきちっとつけてやる。大手に2年も3年も通って、計算もまともにできない、思考力から鍛えていないから、割合も公式という知識で対応する方法しかわからない。だからわたしはバカ製造器だと言っているのである。試験というものは、公式や知識で戦うものではない。知恵で戦うのである。わたしが公立中高一貫校の指導に関心を持てたのは、私立中学のように知識の多寡で勝負しないからだ。知恵を磨けばなんとかなる、これが人間らしいと思ったからである。受検対策というと、教材やら授業やらとにかくバカな親が感動するところはそんなところであるが、こういう無知な親は相手にしないのが一番である。

観察する力をつけること

 事実を記録する。 事実と事実の関係を探す 。関係とは、意味でつなぐこと。 まずここから始めようか。 文章の観察。 物の観察。 空の観察。 観察とはありのままの姿をありのままに読みとることである。 規則的なもの 普通と違うもの そういうものを見つけることである。普通とは何か。 普通であることの道理。 普通でないことの道理。 筋道とは何か。 筋は枝分かれしながらも、主たる筋は繋がっていなければわならない。 筋の切れた文は迷い道、行き止まり、 筋を繋げ。

🔴部活に流されて勉強しなくなる、平凡な中学生の行き着く先は、「しか」ない道を進むこと

 勉強しない中学生には、これから多分いいことはない、一生社会の底辺に「いる」ということになっている蓋然性があたりまえなほどに高い。

 都立といえる都立に行け‼️  駒場、新宿、小山台、青山、戸山、西、日比谷。多摩地区なら、国立がある。八王子東もいい。 中学生の1日の勉強時間は最低5時間、もし戸山、西、日比谷をめざすなら、当たり前のこと だ。受検が終わったら、途端に勉強しなくなるバカ、親も受検で大変だったからと大目に見るアホばかり。 中学というのは、受検で頑張った以上の勉強をして、初めてまともな都立に行ける、それがまずわかっていない。だから中学生になると途端に部活に明け暮れて、親も公認である。それで塾に入って、「うちの子は成績が伸びない」などと言う。こういうバカ親を承知で世間の塾はやっているわけで、本来できるようになるはずのない生徒を「ああだこうだ」と言って、親に阿り、決定的な理由には触れないで、当たり障りのない原因を述べ立てて、凌ぐわけである。 塾の先生も大変だ。わたしはどうでもいいと思っているから、思っていることを言うし、嫌ならどうぞ止めて下さい、という。だからある時期には教室はガラガラである。でもわたしには成績のよくなるあてもない子を騙し騙しやることのほうがストレスで、そんなことをやっていたらそのうち死んでしまうとまで思っている。こんなバカな親子のために死ぬのはご免だ。どうせ死ぬなら、ものになる、前に進む子のために、捧げたい、そう思っている。

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