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2018年1月9日 草枕更新しました

2018.01.09

おはようございます。本日は1月9日、ようやくお休みが来ました。3日から8日まで連日朝6時起床7時20分出発45分教室準備8時教室開放~20時終了、教室清掃、20時40分頃教室を出て帰宅、ずっとこの繰り返しでした。実質は12月26日~30日も同じ日程でした。疲れはピークに達していたと思いますが、注意深く生活していたと思います。竹の会の「指導」方式というものが、子どもたちにはよくわかっていて、みな黙々と迷いなく自分のやるべきことを進めております。帰宅するとたいていは翌日の指導に急遽必要となったレジュメを準備しなければなりませんので就寝はたいてい12時過ぎになります。このような過酷な日程を乗り切れるのかどうか、正直かなりの不安がありましたが、粛々と実行してまいりました。そしてうやく9日の朝を迎えることができました。ずっとお休みしていました「草枕」を更新しなければと気にかけていましたので、無事更新できそうでほっとしております。

 ◎合格の極意は謙虚さにあり

 昨日は小6のほとんどは模試を受検したようです。最後の模試になります。大原は1週間後に結果が出るそうですが、早稲田はかつて本番終了後に出たこともあり、遅れることで有名です。まあ、結果は気にするな、ということでしょう。これから本番直前までやることは竹の会の子どもたちには自明のことです。

 本番は緊張するな、というのが無理な話ですが、ただひとつ言えることはあります。敵は自らのうちにあること、そしてその正体は慢心という魔物です。過日わたしは小6のみなさんに「謙虚たれ」ということを言いました。決して「全部解いてやろう、解かなければならない」と思い込んではならない。なあに、試験などというものは、まず半分とればいいと気楽に考えることです。まず半分は「確実に」解く、それからひとつずつ解けそうな問題を解いて、「おまけ」を何個か積み上げるか、こう考えて臨むのが一番です。

 自分は「できない」、だからこそ自分が「できる」問題は確実に解いていく、丁寧に解いていく、これはとてもできないと思ったら、確実に解ける問題に全力を傾ける、これが謙虚さです。問題はその場で「考える」ことを求めています。問題に臨んで、過去の記憶を思い起こそうとしてはなりません。思いだそうする脳の処し方は失敗しか結果しないでしょう。いいですか、必ず現場で問題を読んで、問題の事実を素直に読み解き、その場で考えるのです。答は必ず問題の中にあります。また答え方もちゃんと問題に示されています。そういうことさえも無視するのではとても合格などできないでしょう。

 ○26年卒のお母さまからのお手紙の一部(小4の2月入会、早稲田進学会模試成績優秀なるも桜修館失敗、現在慶應志木高校1年生、ちなみに都立日比谷にも合格)

 現在、竹の会で学ばれている皆様 ぜひ阿部先生を信じ、最後まで あきらめず 指導についていって下さい。大変なこと 辛いこと 多々 あると思います。ただ ただ 目前にある課題をコツコツと考え解答して 提出してください

 今 努力していることは決して無駄なことは何1つありません。いつか 必ず 芽が出て 花がひらくと信じてください。

 先生と自分をサポートしてくださるご家族様を信じてぜひ夢をかなえて下さい。

 未来は 現在の積み重ねです。小さな種やいろいろな種類の種を一杯まいておきましょう。

 未来は自由に変えることができます。

 自分の夢はなんですか? (あなたの夢)

 ◎世の中には真顔で嘘をつく人間がいる

 オレオレ詐欺の被害者は後を絶たない。昨日は成人式で着る晴れ着が(レンタル業者から)届かないという報道が流れておりましたが、これも詐欺の臭いがします。背広着てネクタイした人間が本気で騙そうとすればだれても騙される。誠に詐欺は社会からはぐれた、ある種の人たちには美味しい仕事であるのかもしれない。昨今は大手と言われる企業が組織ぐるみで消費者等を騙すことも多々あり、いやいや国だってこっそりと国民を騙すことはだれでも知っている。まず今や権力の僕(しもべ)と成り下がったテレビなどのマスメディアの言うことを額面通りに信じてはならない、これも百も承知の話しである。いやメディアが沈黙していることに真実が隠されている、これは大切なことと思う。なぜ新聞はすでに濃縮されて海底に溜まっているはずの放射能について一切報道しないのであろうか、新聞、テレビが報道しない、報道しなくなった、そのことが、いつか知らないうちにわたしたち子どもの世代に危機をもたらすのではないか、社会のありとあらゆるところで組織の状況化が進み、個人が組織という実体のない怪物に翻弄されている。状況化とは液状化のことであり、それはとりもなおさず崩壊という名の破滅にほかならない。

 今の世はどうにかして騙されないように日々神経を張っていなければならないくらいに切迫している。

 それにしても嘆かわしいのは、実に多くの小学生が、大切な時期を無駄に過ごしているということである。公立小に通う大半の子はバカになるしかない。わたしは塾に通わないという小学生でまともな子に出会ったことがない。たいていは訓練されていないために、思考が恐ろしく未熟であり、幼い。これには親の過保護、甘やかしというのも関係している。そもそも学校で何を教育しているのか、である。分数のできない小5、小6、割合などとはまで縁のないかのような小学生たち、これはいったいどうしたことなのか。いや私立難関中受験の子にはさすがにそんなバカは少ないけれど、皆無ではない。そして私立難関受験の子にはまた別の問題がある。知識偏重で、思考いうものがない。これはもともとの天才は別にしての話しである。天才とはそもそもの思考が生来備わっている者をいう。落ちこぼれが多く出るのが特色の中学受験であってみれば、無塾の家庭の子とはまた違ったバカの増殖過程があるということになる。

 昨今はまた違ったバカが増えてきた。公立中高一貫校受検のために大手塾を代表とするが、地元の個人塾も質の悪さでは引けを取らない、そういうところに通う凡人小学生が、受検に失敗するのは当然として、その後の人生を区立中でどのように過ごし、どのような高校へ行くのか、多くが社会の底辺に吐きだれる予備軍にしかすぎなかった、ということがいずれ大手大心棒の親たちにもわかるときがくる、現実が親に教えることになる。小学生の4年が転機である。わたしはこの時が一番の教育の要の時期と考えている。小5ではもう遅い。間に合わない。まして小6になってどうにかできることではない。ただし、これにはある前提がある。いつの世にももって生まれた知能を持ち合わせた子というものがいて、そういう子はそういう後れもなんとか取り戻すものである。小1では「字」を教育し、小4では、思考を訓練する、いやその訓練を通して、勉強というものに対する処し方、勉強姿勢というものを作り上げる、これが指導の本質である。ところが世のバカ親たちは大手の宣伝に目がくらみ、知識ばかりを我が子の小さな知恵袋に積み込むことばかりに血道を上げる。以前大手が打ち出した企画であった「小石川対策コース」のような、名前に騙されて、こぞって申し込んだバカ親たちがいたけれど、子どもにとって何が一番必要なのかも思考しない親の心配だけが動機の行動には制御できないものがある。

 世の中は騙そうとする輩ばかりであるけれど、りっぱな設備、外観、スーツ、ネクタイ、組織、会社、国家、いくらでも騙しに転じる装置があり、騙される側がとにかく疑うのでなければ危ういところがある。が、だからといって、竹の会のような、真摯に、訴えている、本物を自負する塾を疑っていては、いったいどこで本物に出会うことができるのか。

 確かに、竹の会は多くの大手に通う親たちから怪訝な目で見られてきた。いや正確には、竹の会の主張にはすこし引かれながらもしかし信じられないという思いが勝って竹の会に入ることはないという人が多数いたのだと思う。いや実際に竹の会にやってきて入会するまで「ほんとうに大丈夫だろうか」と疑っていた親御さんもそれなりにいたはずである。竹の会はそういう目で見られてきた。ずっとそうだった。それが無名の小塾である、竹の会の宿命であった。

 月日が流れて、わたしもそろそろ体力的限界が近づいてきた。わたしの「渋谷に竹の会という名塾あり」と23区のみなさんに知られるようになる、という夢も、夢のままで終わるのかもしれない。竹の会がもうあとどれだけがんばれるのか、わからないけれど、今を今あるときを精一杯生きよう、わたしの持てるすべてを子どもたちに尽くそう、それが名塾への道になると信じている、竹の会がいつか渋谷の名塾として終えることができればわたしはそれを最後の思い出として竹の会にさよならを言うだろう、さよなら、わたしの竹の会と。

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