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3年型都立高校と都立中高一貫校との熾烈な戦い/小石川中等、桜修館が生き残った/指導というものの中身を知らない親、塾講師のなんと多いことか

2017.03.04

 わたしの唯一の楽しみが転た寝にあったというのに今はそういう楽しみもほとんどない。今日はその大好きな転た寝をすることができた。近頃は朝6時頃に目覚める。それでしかたなく仕事を始める。そういう日はたいてい2時とか以降に急に眠気が襲うことになっている。しかし、このところ指導日が増えてそれもままならぬこととなって久しい。昨日辺りからどうも目がすっきりしないのはたぶん花粉のせいなのだろう。朝は続けてクシャミが襲い来ることからも間違いない。

 竹の会の子たちというのは、実に効率よく計算をマスターしていく。小3でも、小4でもこれは変わらない。3か月もすれば難関中学の入試に出た計算問題なんかも平気で解くようになる。どうも、これは竹の会だけの話しらしい。大手などにいたという子たちが竹の会にやってきて計算に四苦八苦しているのを見ると大手を始めどこの塾も子どもたちに何を教えているのかと言いたくなってくる。まずそもそも子どもに訓練するというコンセプトが欠落している。とにかくなにやらのテキストにしたがって進めてゆく、この点に揺らぎはない。講師も生徒もみなテキストに規定されている。予習、復習、週末テストすべてがテキスト基準である。そうです。大手も巷塾もとにかくテキストなしには何もできない。それでテキストが「売り」ということで特化してゆくしかない。いや確かに、例えば、進学塾大手のテキストは、実によくできている。よく難問ばかりをこれでもかというくらいに集めている。かつて河合塾の高校入試用のテキストを見たとき、これはすごいな、と思ったことがある。ただそのテキストをこなしていけるのはよほどの天才だろうとも思った。見事に天才と落ちこぼれを振り分けるテキストであったと思う。

 竹の会では、指導の補助としてレジュメというものを使います。これは竹の会の指導というものをまず理解していないとその意味が、位置づけがなかなかに難しいかもしれません。指導というのは、何かを訓練していく、そのときには、一切の無駄を省く、ある一つの知恵をスキルとして仕込む、訓練していくには、そのスキルの習得にのみ特化した指導をすること、如何に他に重要な知識であっても、当面の習得目標とするスキルに関係なければどんどんカットしていく、ただひとつの知恵、スキルを突き詰めていく、訓練していく、これが竹の会の指導である。よく竹の会に通わせる親御さんが子どもの習得があまりにも速いことに驚嘆することがありますが、他の塾のようにテキストの目次にしたがってやっていく、その意味では形式的な勉強、いや受け身の勉強ではまずできないことです。もともとテキストを講師が授業していくというやりかたは、本質的に「受け身」を前提としたものであり、子どもの主体的な参加は期待できないものです。

 割合の習得にしても竹の会は徹底してこだわります。割合だけで小5の1年間を使います。もっとも使えるのは、小5の1月までですけど。だから小5の4月に来れば、計算とか、割合の導入とかで、最低でも3か月は無駄にする。これに親の「まだ小5だから」という論理、「小6になったら」という論理がさらに遅らせる。こうして小5の4月に来れば、実質6か月しかない。もし仮に小4の8月に来ていれば、小5が6か月かけてやることを小4の間に終わらせることができる。小4なら3月までぎりぎり使えるから8か月はあることになる。この差というのが、あとあと大きく影響してくることになる。

 こうして指導というのは、あるスキルをマスターさせるとして、そのために一気呵成に仕上げる手順を畳みかけていくことである。もちろんその根底には子どもは訓練していくもの、訓練してなんぼという強い信念がある。そうなってくると、あるスキルをマスターさせるために必要となるのは、そのスキル習得の助けとなるレジュメということになる。竹の会のレジュメはもともとそういうところから執筆されたものであった。わたしがこつこつと折に触れ執筆してきたものであるけれど、制作には、微細・繊細・要点・本質といったことを常に意識してきた。解説はオリジナルであり、これだけ読んでも深い思考力を培うことができることを意図した。

 ◎塾に見切りを!

  大手塾でも、巷塾でも、大きな矛盾というものを抱えているということは否定しきれない。大手は生徒集めもつなぎ止めも露骨だけれど、個人塾だってどこも五十歩百歩である。生徒に止められたら、塾の生命線は断たれるから当然に止められないようにいろいろ経営努力をするであろうし、止めそうな子を親を説得することになる。以前ある個人塾の塾長が勉強を怠けがちな生徒が塾に来なくなったとき、家に電話して2時間ほど説得したのだ、という話しを当の母親から聞いたことがあった。あるいは大手塾に退塾を申し出るとすごい勢いで止めないように説得されたという話しはまた当の母親から何度か聞いた。個人塾だと生活に直結しているからであろうし、大手は株式会社なので当然営業利益に響くから、どちらにしても死活問題である。

 しかし、こういうふうに親や子に阿る姿勢は結局まともな指導ができない、できなくなるという矛盾を抱えている。本来あるべき指導がとれないで、子どものわがままに阿るというようなことは塾本来の使命を捨てることになることは間違いない。

 それに親や子に自分の信念を曲げて阿るというのは、指導者としては、あまりにも卑屈であり、そういう中で成果を出す、出していくとなると、一部のまじめな優等生にかけるしかなくなってくる。そうなると優等生が来てくれなければいずれ塾は潰れるしかないことにもなる。

 これは覚悟だと思うのです。やはり自分の信念を貫き通せてこその塾であり、指導だと思うのです。竹の会も2011年がひとつの曲がり角でした。あの年の3月に福島の原発事故が起きました。それで子どもたちはもう勉強どころではなくなった。あの年の10月で竹の会は満27年目になりましたが、あのとき、もう竹の会は止めるしかないかと決断した時期がありました。地元塾ではもう少子化で生徒はこないし、23区から集めるには立地があまりにも悪すぎたのです。それでも港区とか、世田谷区とか、狛江市とか、新宿区とか、もう不便な立地にもかかわらずよくきてくれる人たちもいました。これが悩むところでした。一度はあきらめかけたけれど、また新しい地、憧れの渋谷駅徒歩圏を夢見て、最後のあがきをしたのです。

 奇跡でした。竹の会が今の地にあるのは奇跡としか思えませんでした。あとは23区から竹の会に人がきてくれることだけでした。しかし、竹の会のような小塾で知名度なんてなにもない塾などに遠くからわざわざ来てくれる人などそんなにはいるわけがなかったのです。それでも最初から「竹の会に入りたい」という親子がたまに来てくれることもありまして、そういう子たちの中からわたしは死に物狂いで合格を勝ち得てたきのです。平成27年、28年と確実に合格者は出すのにだれも来てくれなかったのです。最低限の譲歩として小4の2月からという条件で募集したものの、だれも来てくれない、そんなことが渋谷教室がスタートした2012年の5月から続きましたが、27年、28年はさすがに廃業を覚悟しました。2年もだれも来ないのです。わたしはもう止め時かなと覚悟しました。実際、廃業する、と覚悟していました。わたしのほしかった小4の8月、きてくれることなど夢のまた夢でした。

 わたしはもう若くありません。ですからもういつ止めてもいいのです。渋谷教室の時間は天が授けてくれたおまけだったと思っています。欲はもうないのです。ですから、自分の思い通りにやりたい、やると決めたのです。親に阿ることなんか絶対にしません。もちろん子どもにもです。わたしの指導の信念を貫くだけです。ですから、いつでも退塾を言い渡す、そういうつもりです。ところが、わたしの心が吹っ切れたのとは、対照的に子どもたちはなぜか竹の会が大好きになってしまうのです。わたしなんかもう若くありませんから、先生の魅力ではないことだけは確かです。しかし、子どもたちは竹の会が大好きなのだとよく親御さんたちから聞かされます。そうなるとわたしの中にはまた別の苦しみができてしまうのです。こんなにも竹の会が好きな子にどうして退塾など言い渡せるのか、わたしは子どもたちの優しい心を決して傷つけてはならないものだということを知っています。

 ただ「失速しているな」と思ったら、それに気がつくのはたいてい母親なのだとおもいますから、そのときは躊躇しないで、どうか退塾を申し出てほしいのです。わたしの口から退塾を言い渡すのは辛い、とにかくストレスです。「止めます」と言われるのが楽です。ですから失速の兆候があれば包み隠さずこのブログで開陳し、あげて親御さんの判断をお待ちするという姿勢をとっているつもりです。ただ、わたしの琴線に触れぬ限りです。教室で騒げば問答無用です。わたしが気を遣っているのはいい子なのに失速気味という場合なのです。どうしようもない子なら迷うことはありません。

 塾というのは、学びたい子、勉強したい子が喜び勇んでやってきて、もう夢中で勉強して、帰って行く、これだと思うのです。わたしはそういう子たちに指導の粋を尽くして導いてやらなければならない。時には、厳しく、時には優しく、緩急をつけて、子どもたちを叱咤激励し、そもそものめざすところへと送り届けてやらなければならない、そう思っています。

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