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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

竹の会回顧録(平成11年)~クリスマスのワイン~

2015.10.28

★平成11年、青山学院高等部・合格(女子)

★平成14年 慶應義塾大学(総合政策学部)・合格

 

下記に紹介するTさんが、お母さんに連れられて竹の会にやってきたのは、中学入試に失敗し、失意のままに再起をかけて、サピックスに通って慶應女子を目指すと決めた、小6の3月のことでした。竹の会は、サピックスの補充ということでした。

彼女は、確かお茶の水女子大に通う姉がいて、自分はどうしても東大へ行きたいのだという強い意志のもと、小学校時代を有名塾で猛勉強してきました。

しかし、女子の東大への登竜門とされる桜蔭女子中に失敗するのです。

高校入試となると、女子で東大を目指せる私立はほとんどないという現実から、彼女は慶應女子を目指すことにしたのです。中1から中3の10月まで、彼女はサピックスに全力投球で、竹の会ではほとんど勉強もしていなかったと思います。

 

中1の1学期のときでしたか、サピックスの首都圏模試で、なんと3番という成績をとったことが私の唯一の記憶でした。そのときは嬉しそうに私に報告してきましたから、よく覚えています。その彼女が中3の10月になるまで、どのように成績推移していたのか、私は何も知りません。彼女はその間、一度も休むことなく、竹の会にいつも顔を見せていましたから。

中3の10月になって、初めて彼女のお母さんから、相談を受けます。

成績はかなり落ちていて、このままでは慶應どころではないと知らされます。話し合った結果、サピックスを止めさせて、私の指導一本に専念することとなりました。受験の下地を既にできていたので、私の「英語ポイント集」を完璧に覚えるまで繰り返しやらせることと、「高校入試数学100問」という私の編集したテキストを解かせることとしました。

 

数学100問は、解き終わっても最低3回の解き直しが必須です。また、解き終わるといっても、自力では無理で、私のわら半紙解説が活躍しました。理社をやってこなかったので、私立一本勝負でした。なんとか入試に間に合わせたのですが、第一志望の慶應女子は失敗でした。しかし、青山学院に合格。青山学院の女子の偏差値は、慶應女子に次ぐ日本第二位の難関です。

 

彼女は高校入学後、東大を目指すと決めていました。

そして入学後、サピックスの高校部にあたる予備校から再三の誘いを受けたそうです。しかし、このときばかりはお母さんも、もう大手はこりごりと、私に白羽の矢を立てました。竹の会が高校生を見るなどということは、超異例のことです。しかし、1時間近くも電話で熱っぽくお話しされ、私は引き受ける覚悟をしたのです。

 

青学の授業は高度ですが、受験には全く配慮されていませんでした。

私は数学と英語を指導しました。かつて新宿高校や青山学院の生徒たちを授業したことがあり、そのとき大学受験英語のための研究をかなりやったことがありました。その経験と、当時東大教養学部の教科書として使われていた英語テキストの訳を、Tさんとともにやりました。彼女がノートに訳してくる、それで私も予習して訳を作る、その訳を照らし合わせる、というようなことを、1年以上も続けました。数学は青学の授業レベルは非常に高いと思います。それで私は、数研出版が出している分厚い参考書をテキストとして使いました。彼女に勘所を説明した後は、徹底してひとりで考えさせました。

 

あっという間の3年間でしたが、彼女は通年で大学受験予備校に行くということもなく、また3年生になったからといって、予備校の夏期講習や冬期講習に行くということもありませんでした。私と二人三脚で、数学と英語に取り組んできたのです。クラスの子の中には、やはり慶應などをめざして代ゼミや河合塾などに通う子などがいたそうですが、彼女には全くその気はないようでした。

 

高校3年間は、数学も英語もすべて内申10を取り続けました。高校3年の1月、センターの結果を受けて、東大を断念。私立を受ける場合、日本史では浪人に絶対的に有利と私の方からも勧め、私立を数学で受けることを決意します。そして、慶應大(総合政策)と上智大に合格しました。りっぱな現役合格でした。

 

合格したとき、青学の担任や諸先生、そして級友たちがびっくりしたそうです。

「Tは、塾にも予備校に行っていないのに、どうして受かったのだ」ということが、学校で話題になったそうです。受験を目指す友だちは皆、河合塾など大手に行っていたのですから。

 

彼女は大学入学後、クリスマスの頃、「母からです」といってワインを届けに来ました。お母さんは私のことを恩人と仰ってくださり、忘れることなく感謝の印を届けにきたのです。その彼女から、「新聞記者として就職しました(※大手新聞です)」という報告を受けたのが大学4年のことでした。

あれから彼女には会っていません。元気に活躍していると思います。

ちなみに彼女はシャイですが、とても美人です。

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