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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

竹の会回顧録(昭和63年)~偏差値38から偏差値66に挑戦~

2015.10.28

★国学院久我山高等学校・合格(男子)

 

昭和63年の合格記録に、國學院久我山高校がある。

合格したのは男子で、サッカー部に所属し、学校ではかなりの有名人らしかった。だれもが彼を名前で呼び、人気者らしかった。

中1の2学期だったか、成績がガタガタということで母親に連れられ竹の会にやってきた。

そのときの偏差値は38というのが自己申告であったが、中1だったので、何の試験の偏差値なのか定かではない。とにかく、申告偏差値どおりの実力であったことは確かである。

 

塾での勉強態度はまあまあまじめだが、家庭学習というものはおよそなかったと記憶している。とにかく塾を休むこともなく、大過なく中2を過ごした。中3になり、彼の学内業者テスト(当時の模擬テスト)の偏差値は55になったと申告されている。

それなりに力はついたのだとは思う。

 

彼は中3になった時から、「俺は國學院久我山を受ける」と言って憚らなかった。

彼の担任が「不可能だ。止めて受かるところを受けろ。」と言い、がっくりきていたが、それでも「受けます」ときっぱりとしていた。久我山の過去問練習では、数学は常に20点くらいしかとれなかった。英語と国語はいいのかと言えば、それはなかった。せいぜい50~60点だったと思う。担任の先生が言っているのは、真実だと思った。

それでも彼は受けると言って聞かなかった。

 

この当時の久我山の偏差値は、65くらいだったか。

もちろん今のような推薦制度はないが、実は第一志望にするとプラス20点をもらえた。だいたい私立の入試では学校にもよるが、60%以上をとれば合格だろうか。中央大附属だと70%は必要に思う。いずれにしても、60~70%が合格圏ということになろう。久我山の当時の合格最低点が何点であったか覚えていないし、当時の資料はもうないので正確ではないが、 150点台くらいだったろうか。

合格するには、ただでもらえる20点を引いて、つまり150点-20点=130点をとる必要がある。彼の力で国語と英語でとれるのは、計100点そこそこか。すると数学は30点となる。

 

私は、久我山の問題傾向を分析した。

数学5問中、特色のあるのは、大問1問(例年 5番)が必ず確率の問題ということ、そして他の高校と同様に、立体と2次関数で各1問が必ず出るということ、これで60点分ある。私はこの3分野に絞って、徹底して問題練習を繰り返した。久我山の確率問題は、場合をすべて拾い上げていっても、時間はかかるが解けると踏んでいた。そして彼には、「2問は捨てろ。絶対手を出すな。時間をすべてその3問に集中しろ」と言ってきかせた。彼は数学が不得手ということもあって、私の言を忠実に実行した。

 

彼が何点を取ったかは知らないが、発表の日、彼は竹の会にやってきた。

「先生、受かりました。補欠2番で繰り上がり合格しました」と息を弾ませながら言ったものだ。翌日現れたお母さんが、いきなり土下座して「先生、ありがとうございました。先生のおかげで合格できました・・・」と言ったときには、「いえいえ、とんでもありません・・・」と思わず私も座り込み、手をついて一緒に土下座していた。

彼の合格は学校でも評判になった。特に担任が驚いたらしい。

 

 

私は、当時は合格請負人みたいなところがあった。

その子の志望校の合格最低点から、その子の実力で何点とれるのかはじき出し, その上で各科目のその子の必要得点を計算する。その上でその目標点をとるために当該科目の過去問を分析し、点になりそうな分野を集中的に鍛えた。トータルとして合格最低点をとることのみを考えた。私はこの方法で常識では落ちると思われていた子を何人も受からせてきた。

しかし、この方法は邪道である。

その子の思考力ひいては学力を高めるべく指導するという竹の会の本旨から外れる。合格のためだけのその場しのぎといっていい。合格最低点から逆算して必要な施策をとるというのは、プロの合格請負人のやるやり方である。私は家庭教師をしていたときに、国立附属中に合格させたり、編入試験で10倍以上の倍率を突破させたりしたときのやり方を、長くひきずっていたのだ。
 
実は、この手法は能力的に限界のある子を合格させるときによく使ってきた。

かつて都立玉川にある子を合格させたときも、この手法を使った。

その子は数学なら教科書の例題に出ている程度の連立方程式・ 2次方程式などの計算をなんとか理解するのが限界だったし、英語力は限りなくゼロに近かった。当然理科もダメ。点になりそうなのは社会と国語だけだった。

彼の内申から本番では190点とれば合格と弾きだせた。

それで彼のとれる得点を計算してみる。

都立の数学は当時、すべて1問5点であった。そして1番は小問8問で構成されており、40点分もある。問題は正負の数などの基本ばかりだ。

これで私は30点は取れるとふんだ。

英語は記号問題ばかりで、彼はいつもでたらめに記号を書いてくる。なぜかそれで40点以上とることもある。私は控え目に20点とカウントした。

理科についても、記号問題ばかりだが、これは40点はとらないと厳しい。それで超基本知識に絞って覚えさせることにした。理科の計算問題はすべて捨てさせた。これで190点中110点は確保したことになる。

残る80点につき、社会と国語でかせげばいい。

社会と国語については、徹底してやらせた。来る日も来る日も社会と国語を鍛えた。受験直前の過去問チェックでは、社会は常に70点以上をとれるようになっていた。国語は60点から70点の間に安定した。これで、少しくらい理科でへこんでも何とかなると思った。

 

結果は合格と出た。

しかも、合格最低点が大幅に下がって、余裕の合格となった。

私は土壇場になってこの手法をよく使ったものだ。

ここ何年かは正統派の子たちを指導するようになり、最近はその存在さえもすっかり忘れてしまっていたのだが。

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