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竹の会回顧録(平成8年)~孤独な闘い~

2015.10.28

★昭和女子大附属昭和中学校・合格(女子)

※平成9年、「心の指導」という小冊子を出しました。その中に収載されていた本文から、思い出の子を紹介したいと思います。

※彼女は小5から小6まで竹の会で過ごしました。人懐こい笑顔が特徴でした。公立小に通うごく普通の女の子でした。勉強というものが何かもわからない、牧歌的な環境に育ちました。

 

 

○本文(「心の指導」より)

今年は、久し振りにいい仕事をしたという実感です。

このところ中学入試の依頼があっても、ほとんどが大手塾に通う生徒の補助ということでした。

平成2年に独協中学に合格させたのは、私の仕事です。翌年、東洋英和に合格した女子は、四谷大塚の準拠塾の児童でしたが、竹の会の算数を一応は指導した子です。

 

平成7年には、成城学園に女子が合格していますが、これは日能研の補助でした。

大手の生徒の補助というのは、気分的には楽です。結果の責任は負いませんから。竹の会では、中学入試の児童は毎年一人二人いる程度です。しかも、純粋に竹の会のみでやろうという児童はあまりいません。今年は久し振りに私の方法でやりました。

私の方法といっても、特別な方法などはないのです。

過去問を解いていくだけなのですから。私の仕事は能力の段階に応じたいい問題を取捨選択すること、問題をじっくりと考えさせること、生徒がどこで悩んでいるかを的確に見抜き、本質を突いたヒントを暗示すること、その場合も決して懇切丁寧には教えないこと、です。

 

過去問は、なるべくレベルの高い学校のものを使います。

問題の質が最高にいいのです。過去問は、様々な問題がアト・ランダムに出てきますから、大手のテキストのようなパターン化思考で凝り固まるような弊害もありません。しかも、実によく考えさせられる良問が多く、思考の養成には最適の教材なのです。私の経験では、立教あたりの問題から始めるのがもっとも効果があるようです。

私は必要な過去問を的確に選んで、生徒に考えさせ、必要な能力を抽き出し育てるプロといっていいのかもしれません。そのために、私が解いてきた過去問はおびただしい数にのぼります。

さて、話をもとにもどしましょう。

今年受験した児童が、四月の時にどういう状態であったかから始めましょう。

能力的にはごく普通の子です。このとき、東京家政学院の問題を解かせたところ、計算が七題中二題解けたきりで、文章題は全くの手つかず。ほとんどゼロからのスタートだったのです。

 

まず計算、そして割合とか縮尺とかの、パターン化されたやり方さえ覚えればできるようになる問題を習得させることから始めました。これに八月いっぱいかかりました。

 

九月から過去問に入ったのですが、家政学院のレベルで四苦八苦の有様でした。ほとんど全部がわからない状態なのですから。おまけに、4月から家でやる事になっていた国語のテキストを結局全然やっていなかった事が9月になってわかり、私をがっかりさせました。算数だけでなく、国語がさっぱりとれず、事態はまさに八方ふさがりでした。やはり小学生は、親がつきっきりになってやってやらないと、家では何もしないということなのでしょうか。

 

平成2年の独協中合格者のとき、4月からいきなり立教の過去問からスタートできたのとは、大きな差です。が、その時も国語で苦しんだ悪夢が思い出されます。とにかく、過去問を使った思考作りは、先の見えない暗い見通しの中で続けられました。

10月のコンピューター・テスト(注釈:当時の模試のようなもの)の結果は最悪でした。3、4割といったところです。11月、思い切って芝中・立教中のレベルに過去問をあげることにしました。

私の思考作りは、その一問一問でその子を思索の中に追い込むこと、迷った思考にほんの少し謎を解くヒントを与えること、そして再び思索の中に追い込むこと、このくり返しです。ヒントは多く与えすぎてはいけない。本質を突く的確な暗示でなければならない。もちろん、あることを知らなければ解きようもない問題もある。そのときはあることを教える。ちょっと見方を変えるだけで、解ける問題もある。その時はしばらく何も言わない。入試の問題は刻々と変化する、まさに千変万化です。その問題の一つ一つが、思考なしには通れない。

 

12月、冬休みが迫る。まだまだ足りない。本来なら、12月に入ると復習のリズムに入るのが私のやり方。だが、まだ、思考が足りない。

冬休み直前、慶応の過去問に入ったところで過去問は終わり。冬は、午前中は過去問テスト、午後は六時間かけて、今までやった過去問のやり直し、夜七時からは国語、このリズムである。冬休みが終わっても、過去問のやり直しは続く。「先生、4回目のやり直しに入ります」。必ず何をするにも、私に断ってからする癖がついた。私は彼女が何をしているのか、常に把握できた。

 

1月、最後までどうしても解けない過去問の解説をする。

日曜の過去問テストは、なかなか私を納得させてくれない。入試まであと4日という1月27日の過去問テストでは、大妻の問題を使った。算数86点、国語87点(去年の合格点を軽くクリヤー)。

来た!ギリギリようやく私の待っていたものがきた!伸び始めたのだ!もう止まらない!これだ!これだ!私は打ち震える心をおさえた。

入試まであと4日、私はずっとこれを待っていた。

何度も、もうダメかもしれないと思った。

でも彼女は、私を信じてけなげに頑張っている。くじけそうになるのを何度思い直したことか。お母さんと話すときがつらかった。かなり高いところをいっている。私は彼女をぜひとも合格させたかった。だから、私のいうとおりにするように何度も説得した。そして彼女は私の言葉に従った。私のやるべきことはすべて終わった。

 

入試は孤独な闘いだ。だからきつい言葉を何度となくいってきた。彼女は涙ぐみ1時間も2時間もしくしく泣いていたこともあった。つらかったがしかたない。

 

「先生!トキワ松受かりました!」「先生!昭和女子うかりました!」弾んだ彼女の声が響く。私は彼女と私に合格を与えてくださったことに心から感謝しました。

これで私の仕事は終わりです。  

 

塾長・追記

当時の私の指導法は、過去問指導法といわれるものです。当時はまだレジュメもなく、赤本をコピーして使いました。解いた過去問はよく「過去問電話帳」と呼ばれました。竹の会伝統の指導法です。彼女は体験談にもあるように、もともと大手の日能研に行っていました。

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