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竹の会回顧録(平成13年)~類稀なる逸材との邂逅~

2015.10.28

★都立西高等学校・合格(男子)

 

さて今日のお話しは小6の4月に入会したY君のお話である。

別に中学受験をするというわけでもなく、彼は竹の会へとやってきた。そして小6を卒なく過ごして、公立中学へと進んだものである。

部活も悠々とテニスを愉しんでいたが、「勉強する」という一点においては絶対譲らない鉄の意志があった。類まれな実行力は私の出す課題を一度として無にすることはなかった。「『英語指導案』をノートにやりなさい」といえば、思わぬ早さでやりあげて提出してきたものだ。『数学100問』も結局やりあげた。私が希望した7回復習もきちんと実行した。

とにかく私の指示がこれだけ実行されていった生徒も珍しい。

 

理解力は抜群のものがあった。小6時「東京工大へ行きたい」とさらりと言ったものである。中学での成績は常にトップクラスにあった。彼は竹の会の指導に十分満足しているようであった。とにかく私の指示はいつも100%実行された。どんな課題も必ずやりあげられて返ってきた。中2の時に、漢検2級に高得点で合格した。中3の成績は、素内申44で、試験を受けるまでもなく、都立西へ推薦進学した。

 

高校合格、数か月して、彼のお母さんがやってきた。

「早稲田に合格したS君や青山学院に合格したTさんが高校になっても竹の会に通えてずっとうらやましいと思っていました。なんとか高校でも見てもらえないでしょうか」という趣旨のお話しをされたと記憶している。

 

もともと小6から見てきたので、私の指導にも慣れていて、数学と英語をいつものとおりに、言われた通りにこなしていった。西では常に学年50番内にいた。その彼が高3になって、東大受験を言いだした。しかも、理系である。

私は文系出身である。理系の大学受験数学は、塾を始めて軽く研究した程度。彼が持ってくる問題は、たいてい東大の難問に限られていた。ゆえに、私も解くのに1時間以上はかかる。それでもなんとか解答して、私自身も数学の理解を深めることが多かったように思う。

 

彼は高3の冬には、大手予備校の行う東大模試でB判定を取るまでになった。なお、冬の東大模試でB判定を取れば、ほぼ合格圏内である。

しかし、現役では東大に失敗する。

このとき早稲田の理工に合格していたが、1浪を決め東大に再チャレンジすることになった。その後は当然ながら、通年で大学受験専門の大手予備校の東大クラスに通った。夏の大手予備校の東大模試では、彼の名前が全国20番台に載っていた。誰が見ても、合格確実の実力者だ。

しかし、東大受験の恐ろしいところで、合格確実と言われながらも、合格発表日に彼の受験番号はなかった。滑り止めで早稲田理工と慶應理工に合格していたため、結局、慶應理工に進むことになった。

小6から高3まで7年間の付き合いだった。

彼のような類稀なる逸材との邂逅は、私の記憶に今も残っている。

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