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思い出の声⑦

2015.10.28

※この文章は、数年前、竹の会に実際にお子様を通わせておられたお母様に「わたしと竹の会」というテーマで寄稿いただいたものです。

★「わたしと竹の会」

 

私が「竹の会」と初めて出会ったのは、娘が小学3年生になって間もなくの頃だったと思います。

もちろん、それはパソコンの中の竹の会で、それからしばらくお会いしたことのない先生の「草枕」を読み続けていました。

 

4年生になる前にみな塾に通いだすらしいなど世の中の噂話など耳にしながら、さて我が家はどうしましょうかと日々思案しておりました。

大手の見学も数回、いろいろなところに伺いました。たくさんのお子さんたちが熱心に黒板に向いている様子も拝見しました。

でもその一方で、教える方は全員にそのエネルギーがむけられていない印象があり、通わすことに迷いも多く感じられました。一人一人と向き合っていない感じがしたからです。

 

それからしばらくして、竹の会にお電話したところ先生が出られました。

若々しく活気に満ちたお声でしたが、はじめはあっさりしたもので、入会できるのかしら? なんだか狭き門のような・・・。など心配に。

そうなると俄然どんなところなんだろうともっと知りたくなり、今度はメールをして見学させていただくことにしました。

確か初夏だった気がします。新しい渋谷教室でした。

 

大変静かな中、みなさん熱心に取り組んでいらっしゃいました。

学年もバラバラでちょっと不思議な空間でしたが、学ぼうという姿勢はどこよりもあったように思います。皆真剣そのもので先生も大変熱心に指導なさっていました。

 

いろいろな資料を見せていただいて是非伺いたいと思いました。

それから入会試験まで約半年、「草枕」を読みながら入会試験の日を待ちました。

試験は12月23日頃、家族3人で伺いました。先生の指導室での試験でしたが出された問題に娘が取り組んでいる間中、親の方が緊張でした。

当の本人は淡々と解き、無事合格(きっと今よりやさしい問題だったんだと思います)。

 

翌年2月から竹の会門下生になったわけです。

数か月の間は、休みの日を利用し、通う練習をしていました。

通い始めた当初は分数の塗り絵の課題をしていた彼女ですが、今は色々な計算を楽しんでできるようになっています。

家では、はじめは「わかんなーい」「だめだー」など自室から聞こえていたこともたびたびありましたが、このところ先生からの課題に黙々と、かじりつくように取り組んでいます。

 

あんなにじっくり取り組むことはほかの環境ではなかっただろうなと、思っています。

現に、他の塾に通うお母さまから次々に課題が課せられこなし作業になっている。中には結局親が教えることになり険悪になることもしばしばとか・・・。

 

我が家も5年生になり、通い始めて1年半が過ぎました。

大変のんびり屋でありますが、先生の寛大な対応で現在に至っております。

いつも出かける前には、今日も合格ハンコがもらえるようにと願いつつ通っています。

昨日は計算の300題を合格し、満足そうに帰ってきました。

来年2月になればいよいよ受検への主役の1年間です。

まだまだ未熟で1日の時間が無限にあると思っている節もあります。時間を有効に使って日々過ごしてほしいと切に願っております。

 

竹の会と出会いはほんのちょっとしたパソコン検索からでしたが、そこから得られたものははかりしれないものです。

どうかあと約1年半竹の会の門下生として過ごすことができ、そして先生のご指導に報いる結果が出せればと思っております。

つたない文章ではありますが、私たち家族と竹の会の出会い、そして現在を書かせていただきました。

 

 

※「思い出の声」のコーナーでは、塾長が大切に保管している塾生・親御様からの私信や、塾生・親御様から頂いたコメントなどを掲載しております。

※ご本人様が特定されないよう、いつ竹の会に在籍していたのかは記していません。また、ご本人様が特定できるような記述は削除しております。

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