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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

「ためにする勉強」

2022.09.17

竹の会通信2022.09.17

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〇冬期指導予告 

 10月下旬「要項」配布予定。申込みは11月まで。

 

「ためにする勉強」
 明日のためにする勉強はするな‼️
 まず、本来やるべきところからやること。本来やるべきことのレベルにはまだ足りないからと「ための」準備をするのは、いかにも迂遠です。もちろん基本は大切です。基本は完璧になっていること、これが前提です。その上で、本番レベルに達していないという判断のもとに、「明日のために」の勉強に時間を浪費してはいけないということです。なぜか。最大の理由は、限られた時間の節約です。時間がないのです。
 基本には、いわゆる7回繰り返しが絶対原則としてあります。これを飛ばしてとにかく応用をやりたがるのが、多くの、失敗を約束された受験生たちです。基本を疎かにして応用を重視する、応用ばかりに時間を費やす、これが多くの大手に通う生徒の実像です。大手がこれでもかと仕掛ける応用演習のオプション講座は、基本を見直す時間を与えません。それはそうでしょ。大手は天才しか想定していませんから。学校の優等生は、大手では、普通以下のお荷物です。
 私は、基本には、十分時間をかけることは前提として述べています。問題は、その先の話しです。ここで応用演習に大切な時間をかけるな!そう言っているのです。ここは一気に過去問をやる、いや過去問レベルプラスアルファです。数学なら問題数にして、過去問50問(志望校1あたり)、プラスアルファ問題35問くらいです。
 私は、基本と過去問の間に、演習などいらない、と言っているのです。やることは多い。数学だけではない。英語だって、共通試験並みの力が求められる。国語だって、共通試験レベルです。理科、社会は、都立のレベルはお花畑です。私は、筑駒、開成のお話しをしているのです。
 ところで竹の会で基本ってどんなレベルなのか。
 数学を例に取りましょうか。
 竹の会では、中学数学の全体系をテーマごとにレジュメにまとめています。問題、添削、解説、解説レジュメの手順で一気に終わらせてしまいます。中3数学のレジュメは、例えば、帝京大学高校、日大二高、早慶などの偏差値70までのレベルの入試問題を取り込んでいますから、かなりハイレベルです。だから竹の会でいう基本とは、いわゆる基本というのとはわけが違います。私がこれは必須問題だと思うものを拾い上げ編集したものです。入試に必要十分なテクニックを解説網羅しております。
 まあ、基本の話しはこれくらいにしておきましょう。
 基本が仕上がってからの勉強は、畳み掛けるように、本番レベルの問題を解くこと、です。つまり、その中間はない。
 それから志望校の過去問集を買ってきて「やる」のが、たいていの凡人受験生なのでしょうが、多くの受験生がこれで失敗します。一つの原因は実力がないくせに、高い偏差値のところを狙う、それで過去問を何度もやってその特定の解き方を覚えてしまう、ということがあります。これはいろんな意味でまずい。まず本番では過去問と似た問題が出ると思い込んでいる。さらに悪いのは、本番で、似た問題探し、似た解き方を思い出すことで、問題を読んで考えることをしないこと、いわば思考停止に必然陥ることだ。
 私は、筑駒と開成以外の過去問は、やっていない。渋谷幕張を受験するとき、「過去問はやったほうがいいですか」と聞かれたのは、2月のこと。つまりそれまでも過去問は一切やっていなかったということだ。わたしは「やらなくていいでしょ」と明快に答えたものだ。彼は幕張の「特待生合格」のその上の「特別特待生合格」だった。彼は、滑り止めのつもりで幕張を受田に過ぎない。同じように城北巣鴨を受ける予定だったが、城北受験のとき、時間が余り過ぎたので、受けてもしかたないと思い、巣鴨はスルーした。それはそうだろう。彼は、駿台模試の慶應志木志望者中一番、早稲田高等学院志望者中一番を取ったのだから。受ける予定だった都立日比谷も結局受験することはなかった。駿台模試では、日比谷志望者中一番を連続4取っていた。日比谷は、彼にとっては単なる滑り止めでしかなかったということだ。
 多くの受験生が、志望校の過去問は必ずやる。しかし、竹の会では、やったのは、筑駒と開成だけだ。過去問にしても、模試にしても、わたしには、医師のやる検査みたいなものだ。弱いところをとにかく発見する。発見したら、治療する、そのためにやるのだ。具体的には、例えば、灘高校の過去問をやることで、偏った先入観を正すとか、大学受験予備校の某教材を入手して、英語の手直しをするとか、とにかく考えうる最良の手を打ってきた。竹の会の、私の指導は、とにかく検査診断する、そこから答案に何気に表れている病気を発見すること、この見極めが特に経験を要することである。そして病気、つまり弱点を見つけたら、これまた最良の治療、つまり対策を講じることだ。
 私が、この子を受からせようと思ったとき、私は鬼神のように、そのことのみを考え、打てる手を終日探り絶え間なく考え閃いた手を打ってきた。
 私を動かすのは、受かりたいという、直向きな子どもの心情だ、私の胸を打つのは、私を心より信頼していることが伝わったとき、素直な「敬い」の心を感じとったとき、遠慮気に、つまり心からの謙虚さが滲み出ている態度、振る舞いに私が心動かされたときだけであろう。こういう子の親御さんというのは、不思議と私の指導に口出し(結局、クレームなのだが、親にその自覚はない)はしない。しかも一切しない。もちろん例外の親もいたが、それなりに節度は弁えていた。
 親御さんは、ほとんど無言というか、口を挟まない。以心伝心というか、口を挟まないのは、信頼しているという意識が鞏固だということが窺われるのであるが、また子どもの現状に満足し見守っている、ということもあったのかもしれない。付け加えれば、何かと口出しする親は、自分なりに一家言あり、またそれだけの学歴や自負心、考えがあるために、どうしても何か言いたくなるようだ。そしてわたしの指導に横やりを入れて子を失敗に導くのが落ちである。
 一般論なのだが、失敗する子の親というのは、とにかくクレーム紛いのメールが多い。そんなに私を信頼できないのか、いやどれだけ不安なのか、心はいつも動揺しているように見える。親がいつもぶれているから、子も不安定で、成績も冴えない。
 ところで、話は変わるが、子が(勉強を)やらなければそれが心の負荷となり、その負荷が積もり積もれば、直前に心は崩壊する。
 受験成功の鍵は、実行力実行する意思力にかかっている。それは耐える力であり、我慢する力でもある。ただもし可能なら我慢ではなく楽しいという心の持っていき方をするのがいい心のコントロールである。

 試験は、速解力が問われている。速さである。「もう、解いたの‼️」と私を驚かせた子たちは、間違いなく、受かる子であった。時間のかかる子は、受験では成功しない、というのは、真理である。
 この速さは、実行の積み重ねが、もたらす。のんびりやるというのは、じっくり考えながらやるということであり、悪いことではないが、試験にはマイナスである。試験というのは、時間制限がなければ成り立たない。時間の制限があるから、どんなに頭が良くても時間ないにできなければ切って捨てられる。つまり、試験というのは、ある程度の速さを前提にしている。試験対策というのは、制限時間内にどれくらい解けるか、が試されている。時間、つまり解く速さを考えない勉強は、必ず挫折する。設定された時間内に解けないなら、そこまでの力、能力はない、ということである。ところで、竹の会(の教室)ではできないのに、家でやってくると「できている」という子がよくいる。こういう子は本番では例外なく落ちる。この事実が何を示唆しているか、想像に難くない。私の目の前で、一問10分で解くことができなければ受かる確証はとれない。
 もう一度言う。試験とは、制限時間内の能力勝負である。時間を意識しない勉強は試験を想定しない、単なる自己満足の勉強である。時間を常に意識して、考える、5分考えて、閃かないなら、勝負あった!と観念する、そういう張り詰めた真剣さが必然求められる。そうであれば、のんびりやる勉強なんて勉強じゃない、ということも自明のことではないか。
 与えられたら、必ず実行する。何を置いても最優先でやる。わたされたレジュメを1か月もやらないで放置するのは試験を受ける人のやることではない。

 

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