2023.03.04
都立高校だけは、落としてはならない、それは私の辛い過去の呪縛であった❗️
もう20年以上も前のこと、都立に落ちた母親が、塾に悲壮な顔をしてやってきた。「先生が受かるといったから目黒にしたのに、落ちるんだったら、下の都立にしていました。すぐ下の弟は、姉が私立に行けば、塾にも行けない。」
当時の教室は2つあり、わたしの目の届かない教室で事件は起きました。過去問指導、都立過去問を使った実践練習で、すべて合格ラインを越えていたことが、わたしの判断の根拠だった。しかし、実際は、隣の子の答えを見ていたのだ、ということを後から隣の子や周りの子から知らされる。あの当時のVもぎがどうだったか、記憶はもうない。ただわたしの判断が偽りで狂わされた、苦い経験であった。「先生は悪くないですよ」と子ども達が落ち込むわたしを慰めてくれたことを思い出す。
あの時の衝撃は、それよりも都立を落ちたらその家族はたちまち経済的に窮してしまう、という現実であった。都立に落ちたら私立に行けばいい、そんな能天気な話しではない。現実には都立しか行けなという家庭が多数あるのだ。とにかく都立志望の子を落としてはならない。絶対に落ちてはならない。この悲痛な経験はいつまでも私のトラウマになり、都立第一志望というとき、わたしに過度の、悲壮感にも似た緊張をもたらした。落とせない、絶対落とせない、なんとしても受からせなければならない、という決心、強い決意がわたしの中に貫いていた。この緊張は、入試前日まで緩むことはない。入試当日は落ち着かない。時間が過ぎても自己採点の結果を報告してこない生徒がいる。これはいろいろな意味で参る。発表の日は、午前4時前には目が覚めてしまい不安が増幅する。
高校受験の年は、発表の日まではまともに睡眠は摂れたことがない。危ないという生徒はあたりまえだが、安全圏にあるときでも、次から次に不安要素が見つかり、安心できるということはほとんどなかった。高校入試は、わたしには重荷を背負って坂道を上るにも似た心理的な圧がある。それでも合格、都立の合格はわたしから、一気に重荷を外して解放してくれる。身も心も一気に軽くなる。ゆったりとした安らぎが訪れる。
落ちたときの、あの重苦しい、ブルーな精神状態は、都立中学受検の比ではない。都立中受検は、落ちてあたりまえの試験である。倍率5〜8倍というのはそういう試験である。また小学生は親も子も受検をなめているところがあり、習い事や稽古事、ピアノ、サッカーなど、家族旅行も普通にやるから、追い詰められたという感じがない。落ちたら公立に行けばいいだけのことと無意識に高をくくっているところがある。ちゃんと逃げ道があるのだ。しかし、都立高校受験は、落ちたら私立に行くしかない。年間100万円前後は覚悟しなければならない、しかも偏差値は中の下。対して都立なら、入学料は5650円、授業料は月額9900円、年額にして11万8800円で済む。しかも、この費用も都立の場合、就学支援金制度で払わなくていい場合もある。都立のいいところは、中堅以上の都立なら、真面目に勉強すれば、早慶やマーチも夢ではないところだ。都立に落ちて行った私立にもよるが、下手をするとよくてFランというところばかりだろう。
この数年の間に、都立に3人が失敗したことは、まだわたしの記憶に新しい。
それぞれに、わたしの手の及ばないところで、事件は起きた。
①まず、部活ですね。それからわたしが完全にコントロールした指導をさせてもらえなかった。母親の関与が大きかった。
②わたしにあらゆる情報を隠したこと。指導は事実上できなかった。
③実力に見合った志望校ではなかったのだと思う。真実を見抜けなかったのは、わたしの責任です。
以上3件とも、志望校はすべて自分で決めました。私は報告を受けただけ。わたしが志望校について相談されたことは一度もありません。「ここを受けます」と知らされただけです。
この3人に共通しているのは、内申がそれなりに高いことでした。だから志望校も自然と高くなったのでしょう。
この内申ならこの都立ということで選んだのでしょう。しかし、実力が見あってなかった。ランクを下げるという発想はない前提でした。
①の場合、わたしが過去問チェックしていないので、何が理解できていないのか、知る術もなかった。過去問はすへ母親が家でやらせた。手をかけてやることができなかった。
②の場合、すべて自分の思いのままに進めたものでした。わたしは何も知る立場にはありませんでした。最後はどこを受けたのかも知らせてもらえませんでした。わたしは、最初から「落ちる」と思っていました。内申に遥かに見合わない実力と判断していましたから。
③の場合、志望校は決定を報告されたもので、わたしはその決定に従いましたが、実力がそこまではなかった、のだと思います。独自問題校でしたが、理科、社会ができなかったのか、と思いましたが、すべて手が届かなかったのではないでしょうか。背伸びし過ぎたかもしれません。私立も偏差値トップクラスばかり受けすべてダメでした。併願私立に進学しました。指導のとき、いつもモヤモヤしたものがわたしの心にはありました。何か言い得ない違和感がずっと付き纏い、スッキリしなかった。この違和感は本番ですべて赤裸々に露顕することとなりました。
わたしは、付き纏う違和感に忠実にならなければならなかった。直前になんとも説明のしようのない不安、あれはなんだったのか。わたしの心の奥底でチラチラと燃えていた火の種、それはほんとに小さな違和感だった。しかし、過去問チェックでは、すべてクリアしていたのです。もし家庭で過去問をやっていたなら(?)、と疑問が過ぎりました。そう言えば、過去に家で過去問をやっていた子が、竹の会で90点以上を取るものですから、すっかり騙されたことがありました。子どもは信用してはならない。これは指導者の鉄則でした。客観的証拠だけを基に判断しなければならなかったのです。さすがに中3はもう信頼できる年齢ですが、過去に騙されたことをすっかり忘れていました。人柄から信用するということをまたやってしまったのです。
わたしに本当の実力を曝け出してくれなければ、わたしは手をかけられない。それが通じないのが、悲しい。隠すのは、わたしの信頼を裏切らないようにしようという意思からなのでしょうが、自尊心を傷つけたくない、という動機もあるのかもしれません。いずれにしてもわたしに真実を晒さないのは、結局、最後に自分が最も悲惨な形で傷つくことになるのではないでしょうか。
嘘、偽りがあれば、わたしは、手をかけられない。わたしの本当の指導を受けられないのです。