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専修大学松戸一般受験,明治大学附属明治高等学校推薦入試合格報告/異なるものを見分けるより、同じものかを見分ける方が難しい‼️

2024.01.23

専修大学松戸一般受験合格報告

明治大学附属明治高等学校推薦入試合格報告

いずれも女子です。専修大学松戸は一般試験での受験です。もちろんお試し受験です。一般枠は定員からすでに推薦組が決めた枠以外(通常定員の50%)の枠を競うため,合格最低点は高く,競争倍率もかなり激しいものとなります。公表の合格最低点は3教科型で211点(300点満点)でした。倍率5倍強。

明大明治は,第一志望校合格です。もともと都立小山台志望(V模擬A判定)でしたが,12月から変更しました。推薦を落ちても一般で受ける予定でしたので,一般で合格できるようにと鍛えて参りました。推薦試験の学科は一般と同じく3科です。出題レベルがさほど一般と変わらないとの情報でした。150点満点の75点で合格との情報です。一般に推薦で合格を狙う生徒は一般では通用しない生徒が大半ですから,推薦の学科で高得点を取れることは絶対有利です。報告ではかなりの高得点を取ったようです。特に,英語は,竹の会の「新英語ポイント集」の中からほとんど出たという報告は英語ポイント集が他の英語書と一線を画するすぐれものであることの評価を確認するには十分でした。

昨今都立中高一貫校に合格してもその大半が日東駒専に集中しているのが実態であり,都立中学にこだわらず3年型都立受験が有名大学への道を開くこともわかってきており,また東京都では私立高校の授業料の無償化が進められることとなり,これからは有名私立高校が選択肢の一つとして重要性を増すものと思われます。推薦試験の場合は,一定以上の内申(素内申38以上など)が推薦受験の要件とされるため,内申の重要性は私立でも変わりません。また推薦では,英検2級以上が求められることも多く,漢検2級,数検2級を求めるところもあります。

都立などの推薦受験者は,一般入試ではとても力が足りないが,内申が高いために受験したという生徒が大半を占めます。そういう子たちが運良く合格しても落ちこぼれになることは,かつて新宿高校の説明会で担当の先生が述べていたことです。推薦を狙うとしても実力は一般でも通用する力があるというのが入学後を成功裏に進めるには前提要件です。推薦で入りさえすれば,合格さえしてしまえば,という目先のことしか考えていない親子はその後地獄を見ることになるということです。

竹の会は高校入試指導に特化して長年指導・研究を重ねてきました。こと高校入試に関しては絶対の自信をもっております。

 

 

🔛同じものかの判断
 異なるものを見分けるより、同じものかを見分ける方が難しい‼️
 異なるもの、違うものを見つける、この脳の働きは、既に、脳が同じものを見分けているのが前提となる。
 だが、養老孟司によると、動物は、同じものを同じものと判断できない、のだそうな。動物は、違うものを区別することしかできない。例えば、同一花瓶でも、テーブルの上にある花瓶と窓際にある花瓶は違うものとして認識される。テーブルの上にあった花瓶を窓際に移動させただけの場合も、違う花瓶である。養老孟司は、この同じものを認識する能力が、人間の社会を発展させた、と分析する。例としてあげられるのは、等価交換。確かに、同じものを見分ける能力がなければ、経済の発展はなかったであろう。民主主義という概念にしても、多数の意見が同じことを前提としている。
ところで、養老孟司は、動物は差異で判断するという。
それなら人間は、差異は判断できないのか。よく考えてみると、差異というのは、同じものかどうかの判断と表裏なのではなかろうか。差異の判断は、同じものの判断を同時にしていることにならないか。
人間ならそうである。しかし、動物は、感覚、所与=差異、事実として判断している。
人間は、脳、意識=同じもの、として判断している。つまり、動物には、差異の判断の前提としての脳のはたらきはないのだ。
わたしは、これを養老孟司の法則と呼ぶことにする。
読解と養老孟司の法則
評論文の読解について
評論は、筆者が、一定の価値を主張するものと言える。
つまり、評論文には、核としてある価値があるのである。その価値の発露として、諸事象に一定の価値観が展開されると言える。この価値論の読み取りを読解という。わたしたちは、一定の価値から発する表現の同一性を判断するのである。畢竟読解とは、甲という表現と乙という表現の同一性判断の問題である。
同じものを同じと判断できない子たち
入会試験に、一問も取れない子というのがいます。入会試験は、詰まるところ、同一性判断を求めているものです。この同一性判断のできない子を指導するのは困難を極めるものです。単純なことを繰り返し、できるまで繰り返す、こうして同一性の認識を植え付けるほかありません。しかし、それが実を結ぶことは実は過去の経験からはほとんどないのです。
こういう子の頭の中がどうなっているのか。
それは動物と同じ判断構造、つまり差異の認識しかできないということではないか、と思います。 
動物と人間の脳の違いは、端的に、動物は同一性を認識できないことです。動物は、見たままの風景の違いしかわからない。
具体的にどういうことか、を説明してみたいと思います。
3aーa=3
この式は、3とaが違うものと認識したのです。3は数字でありaは記号だから違うと見たものです。だからaーa=0 だから、3が残ると考えたのです。 
多くの、理解能力が問われる子たちの判断構造は、このようなものと考えられます。
昔、中3の女子が、2次関数の問題ですが、y=x2 において、ー1≦x≦2のときのyの定義域が0≦y≦4というのがどうしても理解できなくて、なぜ1≦y≦4じゃないのかと、いつまでもわからなかったことがありました。
0となるのが、「ありえない」というのです。何か「消えてなくなる」みたいなことを言っていました。その子は、クラス委員長やってるほどに人望のあるしっかりした子でしたが、結局普通に高校受験できない結果に終わりました。
理解できないというとき、それは見たままの事実を動物と同じように、差異でしか認識できない、ということです。
同一ものを同一と判断するというのは、見たままの表象でそう判断しているわけではない。見たものを抽象化して、共通点を意識している、ということなのです。同一性判断とは、抽象的な意味の同一の判断です。
 

「わからない」という子の頭は、物事を差異でしか判断できない、ということです。同一とは、意識的なものです。a=b というのは、動物レベルだと、aとbは、違うものだから、等しいわけがない、ということになります。
このように同一性というのは、意識レベルの同一です。人間は、意識レベルで、対象の同一性を判断できるのです。
わたしたちは、同一性の判断を磨くために、学問をしている、と言っても過言ではない、と思います。しかし、その自覚のある人はおそらくほとんどいないと思います。
抽象化概念の再構成
人間の、高度の思考とは、どのようなものか。
おそらく抽象レベルの高い、概念と概念の同一性を想定したものとなろう。
抽象化とは、何か。
諸事象の共通点を一つの上位概念として概念化することである。共通点とは、諸概念を同一のものとする根拠である。 
抽象化とは、同一性による分類と言える。
我妻榮博士は、帝国大学時代の勉強法について、高学年になってからは、教科書のページの端のスペースに書き込みをしたとある。そのとき、そのページの内容を「分類、総合」したと記している(我妻栄著「民法案内1」)。わたしは、その意味が具体的にどういうことをするのか、わからずに頭を捻ったが、まず「分類」とは、抽象化するということであると合点した。次に「総合」の意味であるが、これは、概観する、鳥瞰する、つまり、要約する、ということである、と思われる。

要約とは何か。
要約とは、同一の意味の表現を、より抽象度の高いものに置き換えることである。
抽象的に表現された命題の同一性の判断 
これこそ、多くの受験生を悩ませる国語読解の、これまで予備校講師、大学教員などの諸子百家が諸説唱えて来た方法指南であった。
読解とは、ある意味「観察」である。まず観察することは、すべての学問の前提である。
観察の雑な人間には、雑な読解しか約束されない。正解な観察はそのまま読解となる。
観察のポイントは、ありのままの事実の観察である。「ある」ものの観察である。
私たちは、文章の吟味において、客観的な観察者としてまずあらなければならない。
以上,養老理論をわたしなり敷衍してきましたが,さらに読書を重ね,読解のマジックを手に入れられるように研究を重ねてまいります。

 

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