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小学で学力のない子が、高校受験で成功することは100%ない❗️

2023.02.28

小学で学力のない子が、高校受験で成功することは100%ない❗️

教育は子どもの将来への投資である!! 

 竹の会を始めた頃の親とは、教育にカネは基本かけないという親が圧倒的に多かったと思います。だから高校入試のために塾に来るのは、中3になってからです。
教育は将来の投資だという発想を全く持ち合わせていないのです。長屋の八さん、熊さんと変わらない頭の親ばかりでした。塾は安いほど良い、と考える人たちでした。だから塾の講習なんかは、一番安いコースか、出ないか、のどちらかでした。
 竹の会は、そういう人たちとどうにもならない矛盾と苦悩を抱えながらも、与えられた悪条件の中で、受験と戦ってきたのでした。そういう子たちが、なんの不満もなく偏差値の低い都立に進学し、あるいは底辺の私立にそれなりに喜んで進学していった時代の話しです。こうした卒業生の記録は竹の会の歴史の表には出てきません。そういう夥しい数の卒業生たちが竹の会で学び、竹の会から高校へ進学した、その合格記録は、竹の会の歴史記録には載せられることはなかった。古い体質の親たちとの葛藤の記憶は、とにかくも合格という形で終わらせられたという安堵とともに私の脳裡からは消えてしまった。忘れることがわたしには薬となった。教育にカネをかけない種類の人たちは、私の考えとは相容れないものでした。教育にカネをかけると言っても、それは投資ということです。自分の愛する子どもの将来の人生をよりいいものにしようとする親の心です。だから親は投資するのです。投資という発想は、熊さん、八さんのように目の前のことしか考えない人類には「ない」発想です。近い未来を見据えて投資する。それが近代的なカネの発想です。目先の損得で判断するのではない。
 子どもというのは、もう小2あたりから、手をかけてやることで、将来の逸材として頭角を表してくるものです。鉄は熱いうちに打て、と言いますが、子どもはまだ頭も柔らかくて形をなしていない、そういうときに形を整えてやるものです。型をつけるために訓練という指導を間断なく施してやるのです。これを手をかけてやる、と言います。もしこの小学の数年間を子どもの思うままにさせて、訓練を施してこなかったら、子どもは粗野で勉強という習慣のない、どうにもならない子になってしまうでしょう。字は殴り書き、大きさを統一して書けない、バラバラの大きさ、止めもハネもない字、こういう子をどう指導できるというのですか。また家庭で勉強するという習慣のない子ども、思考をするスタイルを持たない子をどう導け、というのですか。
 そういう放置型の親ほど、もうどうにもならない時期になってようやく子どもを塾にいれる。それはもちろん無駄なカネは最後まで使わないという思想からの行動でもあります。しかし、そういう子は、もうどうにもなるはずはないのです。カネが無駄なら、子もすでに何をしても無駄なところに来ています。
 東京は共稼ぎ世帯が普通かと思いますが、それはそれでいいのですが、特に、そういう家庭の男の子に多いのが、まともな字を書けないということです。字の形ができていない。いわゆる殴り書きがその子の最高の字です。一つ一つの字をそろえて書くなどということはこの子らには超人的な能力を要求するかに思えます。さらに共稼ぎ世帯の男の子に多いのが、勉強という生活習慣が全くと言ってないことです。きちんと勉強が生活の軸として組み込まれていないので、まずまともに勉強をやるということができない。勉強はこなし仕事として片付けることしか頭にない。これは公文に通う男の子にも見られる症状です。公文をやっていたという男女によく同じ症状が見られます。
 親が何もしなかった。放任していた、ということなのですが、親は仕事でついつい、逆に甘やかせてきた、ということが締まりのない生活、悪字に拍車をかけてきたということでもあります。
 こういう子に、つまり殴り書きの子に勉強を教えるということはなかなかに困難なことです。また殴り書きの子に勉強という生活習慣をつける、というのも至難なことです。如何に小学1年までの時期に字と勉強習慣を躾けるのが大切なことか、お分かりになるでしょうか。
 都立中受検指導と将来を見据えての指導とは、切り離して考えなければなりません。仮に都立中を受検しなくても、高校受験を見据えての基礎学力習得のための指導は、小学低学年からやらなければならない。基礎学力がないままに中学生になることほど無謀なことはない。ある意味自殺行為である。中学ではまず間違いなく底辺を這うことになる。仮に中学になって、できないというので、急遽、カネをかけて家庭教師を雇い、個人指導塾に通ってももはや浮上することは決してない、のです。やるだけ無駄です。
 数学は小学時代に割合などを完璧にしておいて初めて中学で伸びる科目です。もちろん知能があっての話しです。英語は毎日きちんと勉強する生活習慣のある人にのみ可能な科目です。またそういう習慣のある人だから、理科や社会の勉強も飽きずに継続することができるのです。
 小学時代に地道な勉強習慣をつけて来なかった子には中学はただの転落の過程でしかない。
 高校入試の誤解
 これは中学受検の誤解と共通のものである。中学では、中3になるまで塾に行かない、という生徒の一群がいる。この人たちには、「今の公立中学では、高校受験成功に必要な学力はつけられない」という認識が欠如している。
 ところで、この人たちは、2タイプに分けられる。1つは、女子に多いのだが、塾に行かなくても学年トップという生徒がよくいる。小学時代からの優等生である。女の子は親孝行というか、親に経済的に迷惑をかけたくないという意識が強い。そこが女子の精神年齢が高いという証しにもなる。だから塾に行かない場合が多い。こういう子が学年トップを維持できるのは中2までである。中3になるとすぐこのままではだめだ、とわかるのはさすがに頭のいい子です。それで塾に行くことになる。しかし、時既に遅しである。このブログでも再々書いてきたが、高校受験の勉強というのは、前倒しの準備をしていかなければならない。中2の夏までには中学3年間の英数の履修事項はすべて終えていなければならない。遅くとも夏には本格的な準備に入らなけばならない。理科社会にしても中2の夏にはほぼ完成させておくのが理想である。そういう人たちに、すわ、3年になりました、塾に通います、で対抗できるか、という話しである。そうでなくても早慶レベルの高校では、もっと早く、前倒しの勉強が求められるのです。
 繰り返します。今、あなたたちが通っている区立中学では、あなたたちが、志望する戸山や青山に合格する力はつけてくれません。授業で教科書を進めていれば、都立入試の日に間に合うということはないのです。高校入試の数学、英語は、教科書だけでは解けません。制限時間内に英語の長文を読み解く力をつけるにはそのための訓練が必要です。数学にしても教科書より遥かに難解な問題が出されます。学校の授業で解けるのは、定期試験に限ります。学校で1番というのは、ただの定期試験の1番です。それは、範囲のある試験です。範囲も限られたものです。ワークやノートという助けのある試験です。範囲が膨大な入試とは違うのです。
 もう一つのタイプは、もはやお話しするほどのことはありません。勉強にまるで興味がないか、知能的についていけないか、親に教育にはカネを出せない、という認識しかないということです。それは勝手にしてください、というだけのことです。
 ここまで述べてきますと、お分かりになる人もいると思います。そうです。高校入試成功の万全策というのは、小学から計算、割合を鍛えて、思考を培うところから、勉強へのスタンスを固め、生活のリズムが勉強を軸として回っていることにあります。
 受検すると否とは関係のないことです。受検してもしなくても、近い将来の高校受験に備えて、小学から準備を前倒しで開始しなければならない、ということです。
 教育は、投資です。子どもに投資することが、将来子どもに高級国民としての人生を約束することになる。ただそれだけのことです。教育にカネを出し惜しむのは、教育に投資をしない選択をしたということです。だからそれは子どもに下級国民としての人生を生きなさい、と断じたということです。現代が、少数の上級国民と大多数の下級国民という二極化の時代に突入したと言ったのは、同名書籍を著した橘令の言ったことです。現代の貧富格差をこの二つの概念で解析した、興味深い本です。

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